社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「独居高齢者の自己決定権に基づいた退院支援の一考察」福田順子、他(2018)『日本看護倫理学会誌』

2023-09-17 10:18:04 | 看護学

1事例を深く掘り下げた実践報告論文。自己決定について、丁寧に説明されている。

引用

・介護に対する思考にはジェンダー差が存在し、女性特有の「介護の現実思考」と男性特有の「家族一体規範」があること、そして、両者の視点がよりよい形での「家族一体」を作り上げ、高齢者の自己決定をサポートする一助となることが示唆された。

 

本論文内には、「傾聴」「自己決定」「尊厳」という言葉がよく登場する。

病棟看護師としての専門性(立場)を退院支援にいかに生かすか、その“もがき”、“迷い”を感じ取れた。

地域でケアマネージャーとして働く立場から読むと、「本人が望んだからと言って、その気持ちだけで送り出すなんて…」と、

モヤモヤする部分もある。おそらく退院支援には、もっとたくさんの院内や地域の専門職が関わっていたであろう。

退院のその1週間後、個人的にはそこがとても気になった。

 

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「在日コリアン高齢者の福祉アクセシビリティ」木下麗子 『ソーシャルワーク学会誌 第29号』(2014)

2023-09-03 11:20:20 | 社会福祉学

副題:地域包括支援センターによる夜間中学校へのアウトリーチ実践から

 

在日コリアン高齢者の福祉アクセシビリティについて、阻害要因、促進要因の分析を行い、その構造と構成要素を明らかにしている。

調査対象者は、夜間中学校と地域包括支援センターの職員(インタビュー調査)、夜間中学校の生徒(量的調査)としている。

*管理者:注)アクセシビリティとは?

 →高齢の方や障害をもっておられる方などを含め、誰でも必要とする情報に簡単にたどりつけ、提供されている情報や機能を利用できること意   

  味する(国立障害者リハビリテーションセンターHPより)

 

引用

阻害要因:

・区役所の人たちも地域包括支援センターのことが何なのか分かっていない。

・役所への問い合わせで主訴が伝わらず認知症と勘違いされることや色々な所を回されるケースが未だに多い。

・住所を書くのが難しいから区役所へ行くのはハードルが高い。

・病院の先生、学校の先生が難しいことを言われると、耳が遠いこともある「うんうん」というけれど本当は分かっていない場合があり、どの病

 院に行っていいのか分からないという相談もある。・・・など

促進要因:

・申請の手続きには手助けが絶対にいる。個別訪問などで申請の手助けをしてもらう、というのが理想。

・マイノリティの人たちに対しての人権は常に意識をしなければならない。そこに格差があることを認めないから逆差別という発想になる。

・連携は個人の力とは違う大きな力となる。

 

 マイノリティの人たちに対する働きかけは、点ではなく、線ではないといけないことは周知の事実である。

この働きかけは時間も労力も必要となる。できれば関わりたくないという雰囲気は、あくまで個人的な印象であるが、行政機関に色濃く残ってい

ると体感している。

そしてこれもまたあくまで個人的な印象であるが、在日コリアン高齢者は、とても陽気で人懐っこい。こちらが話をすると、何倍にも返して反応

してくれる。

でも本論文を通して、これはもしかしたら「つないだきっかけを離したくない」という必死の表現なのかもしれない。そうも思った。

そうであるならば、いま目の前にいる人たちの声は、できる限りいろんな人や機関につないでいかないとならないと、強く思った。

 

     

 

 

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「やがて訪れる春のために」はらだみずき(2023)新潮文庫

2023-08-30 10:23:53 | その他

表紙のうつくしさに魅かれて手に取った。

読み物として秀悦でありながらも、認知症ケアにたずさわる者として、「症状」から人を見るのではなく、

「人」をまず見たうえで、その人をとりまく環境やしんどさを見ていくことの大切さに気付かされた。

引用

認知症と診断されたハルが娘に向けて…「だれだって忘れることはあるでしょ」「じゃあ、あなたは忘れたことがないの?」「忘れることはそんなにわるいこと?」

 

一人暮らしの家に、「あの子が来るから」と言う。

●●さんのおすすめの物が欲しい。

生花を引きだしにしまい、枯らしてしまう。

…いずれもこの物語で綴られていることである。認知症を診断されたハルの言動で、長らく一人暮らしをしており、

家族はどのような生活をしているのかをきちんと知っていなかった。

それゆえに、「一人暮らしなのに、子どもが来るわけがない」「●●さんなんて人は近所にいない」=幻覚

「花を本来ある場所ではないところにしまい込み、それを忘れてしまう」=収集癖(しまい込み)と記憶障害

と、とらえてしまう。

 

物語を読み進めると、これらの言動は現実に起こったことと一致していて、

幻覚でもなく、収集癖や記憶障害ではなかったことが分かる。

 

いったん診断がついてしまうと、それのフィルターを通して理解を深めようとする。

認知症ケアにおいて、その症状を適切に理解して、それをその人の言動理解につなげようとする。それ自体は悪いことではない。

しかし「本当にそうなのか?」といったん距離を置き、俯瞰で物事(もしくは人)を捉えることの大切さも忘れてはいけない。

そう考えさせられた。

 

 

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「人生の最終段階に向けた医療・ケアの話し合い経験の関連要因ー埼玉県A市における横断的調査の結果から―」山口乃生子、他(2023)

2023-06-14 16:18:24 | 看護学

『日本エンドオブライフケア学会誌』Vol.7,No.1

死が間近に迫ったとき、もしくは意思表示ができない状態になったとき。そんな「もしも」の時に備えて、家族間で話し合いをしているのか?

もししているのであれば、何がきっかけとなって話し合いをしたのか等の要因を明確にすることを目的としている。

調査方法は、20代から80代以上の地域住民を対象とした質問紙調査である。

*本研究における「もしも」の時の定義、「例えば事故や病気などで死が近い時、あるいは自分の意思を誰かに伝えることができなくなった時」

 

引用

・(管理者 注「死を考える経験」←身近な人が病気になった、大きなけがをした等 を糸口に)その経験が話し合いの糸口となる可能性がある。

・家族と意見が異なる時、「話に触れない」ことが話し合い経験に負の関連を示した。

・話し合い経験に関連する要因⇒話し合いの必要性の認識、死を考える経験、代理意思決定者の選定、書面への記載、かかりつけ医の決定、

               意見が異なる時でも話ができるよう関わること

 

「痛いのは嫌だから、必要以上の注射とか点滴はしなくていい」「口から食べられなくなったら、自然に任せて欲しい」

…一見あいまいに聞こえる意思表示かもしれないが、こういったささいな事がきっかけで、本腰を入れて話を詰めることにつながることもある。

「子どもたちのいいように」とか「あなたに任せる」といった意思表示が、周りの人を苦しめることも少なくないように思う。

元気なうちに、とは言っても実感がわかないと何を話していいのかすら分からない。

そのため、誕生日にとか、結婚記念日にとか、その人の大きな節目に、

支援者があえて「もしもの時のことを話してみませんか?」と切り出してもいいのでは?と思った。

 

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「在宅療養支援診療所における相談支援・連携業務の多面性とその実践状況:社会福祉専門職の特徴分析」西岡大輔、他(2022)

2023-06-02 16:54:33 | 社会福祉学

『日本在宅医療連合学会誌』第3巻・第4号

在宅療養支援診療所において、相談連携担当者が関わる重要な業務の多面性とその種類を統計的に抽出することを目的としている。

さらに、社会福祉専門職が果たしている役割と可能性に関して検討している。

 

引用

・相談連携担当者が社会福祉専門職である場合に、地域活動業務や連携業務、スペシフィックな支援業務が重要と認識され取り組まれやすいこ

 と、医事関連業務が実践されにくい傾向があることが計量的に明らかになった。

 

本研究の最も大きな成果は、社会福祉学関連の専門書や職能団体の学会誌ではなく、

医師や看護師といった他職種が中心となり結成された学会の誌に掲載されたことであると、私は思う。

在宅療養支援診療所に限らず、有床医療機関の地域連携室等には看護職が配置されており、社会福祉専門職としての専門性を

ながく問われている。

20数年前、片手で数えられる数しか存在していなかった在宅医療領域のソーシャルワーカーが、他の学問でも受け入れられ、

そして掘り下げられていくことを、「感慨深い」という一言では表現しきれない、嬉しさ爆発の感情を持って読み進めた。

 

 

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「自治体の保健師に求められるジェネラリストとしての専門性-チームで対応した事例による考察-」崎村詩織(2018)

2023-05-28 12:57:31 | 看護学

『保健医療科学』2018 Vo.l67 No.4

 

保健師の専門性のひとつとして、ジェネラリストとしての側面があるということを事例を通して考察している。

活動実態が見えにくい、自治体の保健師の活動について、分かりやすく紹介している。

 *管理人 注:ジェネラリストとは?幅広い知識を持つ人のこと。

 

引用

・保健師が事例のケースマネージャーを担った理由を考察すると、保健師は公務員かつ専門職という立場であるため、事例および関係機関から、

 高い信頼性を得られたためではないかと考える。

・保健師は直接支援(個別ケースワーク)において、各分野に精通すると同時に、事例のケースマネージャーとして、医学的かつ予防的な側面か

 ら事例をアセスメントし、事例の問題解決のために、当事者・関係者にとっての最適な状況を見つけ、解決をリードする、つまり、ジェネラリ

 ストとしてのマネジメント能力が求められていると考える。

 

 問題が複雑化し、支援機関が多岐にわたるケースについては、「責任の所在」が見え隠れする。

本論文では、その責任の所在を自治体の保健師さんが受けてくれている、そのように感じた。

でもそれは保健師さんだからなのか?行政の人だからか?このあたりはとてもデリケートで、保健師という資格でなくとも、

精神保健福祉士や社会福祉士であっても、行政の人であれば対応できる部分なのでは?という疑問が拭えない。

保健師さんとしての専門的知見…「医学的かつ予防的な側面から事例をアセスメントする」という部分をもっともっと掘り下げてもらえれば、

他職種からの理解が深まるのではないかと感じた。

 

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「地域包括支援センター保健師の専門性に関する研究ーテキストマイニング分析を用いた内容分析からー」古賀佳代子、他(2020)

2023-05-24 19:53:11 | 看護学

『日農医誌 68巻5号 2020.1』

地域包括支援保健師の専門性を明らかにするため、半構成的面接法を用いて調査している。

 

引用

・地域包括には3つの職種が配置されており、保健師は保健医療、社会福祉士はソーシャルワーク、主任介護支援専門員はケアマネジメント等、

 専門性を発揮することが期待されている。

・今回のインタビューから、住民の生活に入り込み医療的知識を活用しながら予防的に関わり、包括的に保健指導を行うことが求められていた。

・(調査結果から)地域包括保健師の専門性として、「相談を受け、関係性を大事にし。判断する能力」、「認知症高齢者や精神疾患、医学的知

  識、在宅生活を知ることが必要」、「介護予防事業の支援」、「保健師が訪問やサロンに行って皆と一緒に活動」「地域で包括的に保健指導

  等の活動が求められる仕事」の5クラスターが抽出された。

 

 私の勤務している地域包括支援センターには、この4月から新卒の保健師さんが在職している。

本研究で抽出された専門性について、新卒で一人職場にいる彼女がどこまで遂行できるのか?というのが率直な感想である。

専門性として抽出された事柄は、他職種である立場から見るととても曖昧で、保健師さんじゃなくてもやっている/できるのでは?という思いを

抱いてしまう。

「地域で包括的に保健指導等の活動が求められる仕事」がもう少し具体的に表現され、職能教育に応用されれば、

新卒の保健師さんも自信をもって地域で活動できるのではないかと思う。

 

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「がん闘病中の夫婦のコミュニケーションにおける困難-話題にしづらかった内容とその背景要因ー」鈴木いつ花(2019)

2023-04-19 13:48:17 | 心理学

『家族心理学研究』第32巻 第2号

 

夫(妻)をがんで亡くした配偶者を対象に、インタビュー調査を実施。

その結果を踏まえ、がん闘病中の夫(妻)を抱える配偶者を支援する際の視点を考察している。

 

引用

・がん闘病中の夫婦の間には、互いに察したり配慮したりするが故に齟齬が生じてしまうという、周囲からは捉えにくい複雑なコミュニケーションが存在していることが示唆された。

・配偶者は、自分自身が夫(妻)のがんを受け入れることと同時に、夫(妻)のがんの体験過程を理解しようとしており、二重の過程があると言える。

 

 いまや、2人に1人ががんに罹患する可能性があると言われている。

身近になりつつありながらも、治療方針や予後については多岐にわたり、考えることや決めることが多すぎることは、言うまでもない。

本論文では夫婦であるがゆえに、踏み込めないこと、聞きそびれてしまうことが、インタビュー調査の「声」によって綴られている。

「日ごろからコミュニケーションが良好であれば、言い残しや伝え残しがない。」ということにはならない。

そんな切ない声を本論文では丁寧に取り上げ、考察されていた。

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「終末期がん患者の看取り時に死の文化的特性である ヌジファを取り入れた家族ケア」謝花小百合 、大城真理子ら(2022)

2023-04-08 14:20:36 | 看護学

『沖縄県立看護大学紀要第23号』

終末期がん患者の看取りを経験した看護師を対象に、インタビュー調査を実施。沖縄独自の文化的特性を取り入れた看取り支援について、考察を深めている。死を取り巻くことについて、地域ごとの特性があることをあらためて知らされた。また、インタビュー解答には具体的な様式が紹介されており、大変興味深い。

 

引用

・沖縄では、病院で患者が亡くなると身体を離れたマブイ(霊魂)が、亡くなった病室に残り、成仏できないと 信じられている。民間信仰において、人が自分の家以外の場所で亡くなると、亡くなった人のマブイが迷い、地縛霊となると信じられている。そのため、病院で患者が亡くなると、遺族はユタと呼ばれる霊能者 ( シャーマン)に依頼し、そのユタと共に病院や患者が亡くなった病室等で患者のマブイをあの世に導くヌジファという儀式を行なうことが少なくない(参考文献からの引用として、紹介されている)。

・(研究結果より)看護師は終末期がん患者が入院中および死亡退院後も、亡くなった患者の家族が執り行う死の風習としてのヌジファを容認しており、それが遺族へのグリーフケアにつながるとの認識を持っていることが明らかになった。

 

 地域によって弔いの方法は異なり、その文化が根強く残っていることに感銘を受けた。そしてその文化を肯定的にとらえ、ケアの一環として受け入れ、実施している現場があることを知り、たとえ亡くなった場所が医療機関であっても、「死」が生活のなかにあるのだという、温かみのようなものを感じた。

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「死が近い高齢者をケアする際の葛藤:ケアスタッフが僧侶と研究者に語ったこと」岡村毅、小川有閑ら(2021)

2023-03-10 10:30:59 | その他

『日本老年医学会雑誌』58巻1号

 

僧侶と研究者の共同研究。終末期ケアに従事する介護職、看護職らを対象に調査を実施している。

宗教者に対する期待、医療機関に対する失望など、率直な言葉が印象的である。

引用

(インタビュー調査、発言要旨より)

・かつては施設での看取りは考えられなかった。ただでさえ、自転車操業な大忙しの毎日の中の片手間としてやっている。片手間でやっちゃいけないことを片手間としてやらざるを得ない今の職場環境はつらい。

・本人が求めているものにこたえられる何かを宗教者は持っていると思う。

・入退院を繰り返すことは本人にとっては苦痛であり、本当はゆっくり休みたいと思っているのではないだろうか。

・死に至る段階は医師や看護師から伝えたほうが説得力がある。

 

 特に認知症を持つ方に対して、本人の意思を汲み取れないこと(汲み取りにくいこと)による葛藤が多い印象を受ける。そして本人の「生きていたい」という意思よりも、「生きていて欲しい」と思う家族の気持ちが優先されていることも少なくないと、私自身も現場で体感している。本論文のインタビュー調査の発言の中に、「最期の最期の段階で、家族がやはり点滴をして欲しい、酸素をして欲しいと言ってくる」というものがあった。これは私も多く経験していることで、そこまでにどれだけ対話を重ねても、家族はぎりぎりまでできることを模索し、「できることはすべてやってあげられた」と思うことで、家族の死の受容に結びついていくのだということも、多く経験している。それでもなお、「まだ医療処置をし続ける意味があるのだろうか?」と感じることも、少なからずある。

 本論文を通して、医療者や福祉職だけでは入りきれない、受容と諦め(という表現は稚拙であるが…)の間に、宗教者が関わることで、本人・家族・ケア提供者の葛藤が軽減していくのではないか、思った。

 

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