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下種は寿量品久遠実成無作三身を信受することがポイント!

2011-11-19 06:46:15 | 日蓮・富士門流
 法華経の素晴らしいところ、それは法華開会により全ての教えは法華経に帰一されるとする部分である。寛容な懐の深さが、これまた法華経が経典の大王と呼ばれる所以であります。しかるに、同じ法華経を奉じている日蓮家に於いては「我法華経のみが成仏の種である」としている。ここでは寛容どころか、成仏の種子を限定しているのでこれが同じ法華経か?と思ってしまいます。しかし、他宗派から偏狭な思想と云われようが、他経に久遠実成や二乗作仏等を踏まえた完全な円融三諦の教義が無い以上、法華経への帰一は下種の根源を論じる場合仕方のないことです。覚者となる大王の下種の品種(寿量品久遠実成無作三身)は一つなんですから(笑)。

 大聖人さんが主張した下種仏法はどうしても、寿量品久遠実成無作三身を信受しなければ下種足り得ないとしています。この主張は他宗の仏法者には受け入れ難いものかも知れませんが、一念信解の位に下種の根源を定めた場合、この主張は正しいと私は考えます。爾前に仏因を認めるにも、まず爾前が法華経に帰一することが絶対条件です。何故中古天台で法華経が注目され、学匠が法華経を研鑽したかといいますと、この根源的な下種の探究に原因があります。

 大聖人さんが他宗を攻撃し、自説を誇示した理由、それは他の経典、宗派では下種の根源である寿量品久遠実成無作三身を信受し、観心する教義や方法論が説かれていないからです。三大秘法はこれを成就するための観心システムです。事の一念三千と云いますが、御本尊を媒介にして視覚に訴える観心なんですね。現在解明されつつある脳科学で、人間の認知は外部を経験して自分への返照と云う過程を踏みます。三秘とよく似ていませんか?もう一つ挙げると、天台大師が兄上に仏法を指導したのは、「妙法」と云う文字を使って直接観心に繋げる方法でした。

 心憎いまで人間と云うものを熟知していないと考えられない方法ですよね。理の一念三千は正味イメージを中心とした観法です。テレビは点いていないがイメージで観るわけです。この観法の根源的な薫習は下種にあるわけです。これまでツラツラと日蓮義の他宗攻撃の理由や独自性についてカキコして来ましたが、大聖人さんはホント、仏法の重要な箇所に焦点を当てて当時の仏法者や権力者に正法を獅子吼したわけなんですね。

 今まで日蓮教団に身を置いて退転後、他宗あるいは無宗教に転向して、それまで擁護していたはずの日蓮義に反旗を翻す人は多いです。退転の原因としては、所属していた教団のカルト性に疑問を生じたことが原因の人も居るでしょう。しかし、大聖人さんにまで非難の矢面に立たせる退転者に云いたいのは「それはお門違い」だと云うことと、大聖人さんの真意を理解していないことが原因だと云うことです。正法には魔が競います。是非、是非、賢明なる心眼を持って、日蓮門下はそれらに翻弄されないようにして下さい。

 法華経如来神力品に説かれている結要付嘱は、末法の観心である三大秘法を指しており、釈尊の使者として大聖人さんが出現されたことを忘れてはなりません。今までに無い観心方法であるがために、非常に難信難解であります。付法観・托事観・約行観は天台三大部に配置する見方もありますが、三大秘法は先に述べた3つの観法を統合した観心システムです。肝要にして易行です。それも下種を根本に置いた前代未聞の観心方法なのです。己が知恵の足りなさを大聖人さんに転嫁しないで頂きたいです。

 このブログで仏法について述べていることや、天部で云えば摩多羅神(三宝荒神)を中心とした教義、更には神霊・心霊、神道のことについて理解すれば、正法を理解する上で掌中の珠を得たようなものです。
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