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「事」の一念三千

2012-06-06 18:34:14 | 日蓮・富士門流
 法華曼荼羅を好しとしたのは、仏像・仏画も所詮観念の域を出ない代物で、一般に使われている文字(漢字)こそ其の儘観心行の本尊足り得るの考えでしょうか。故に大聖人さんのこだわりは文字(漢字)を使って直接法界を観想させることにあると思われます。不思議なもので仏像・仏画は尊いと云う観念があるのに、漢字は其れほど有り難がらない。子供の時から仏像・仏画に馴染んでいた私なんかは、信心を始めた最初の頃は特にこのギャップに苛まれ続けました。これは私だけではなく、一般にいる日蓮系信者の共通する気持ちではないでしょうか。

 文字に観心を見出しているのは中古天台の書物に書かれています。「観心本尊抄」の骨格、それは漢字と云う分かり易い文字を使っての法界観を理観の前作業とする簡易な観想にあると考えます。法華経を研鑽して、「事」の法界観を末法凡夫の観心方法と読み解き、天台を超える第三の法門と考えた大聖人さんはホント凄いと思います。
コメント (2)
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