Today is a gift.

昨日はヒストリー、明日はミステリー、今日はギフト。
That’s why it’s called a present.

千秋楽

2006年11月26日 23時59分26秒 | こだわり

今日は千秋楽

横綱 朝青龍 が全勝優勝を飾りました。
予想通りの優勝。 まったく隙がなかったですね。

来年、頑張ってもらいたい力士たちを応援するためにも、
今回撮影できたとっておき写真を掲載します。

地元、福岡の星、“魁皇”関。 引退なんか考えずに頑張ってください。
「今場所、お疲れ様でした。」

もう一人の地元九州が生んだ暴れん坊。 千代大海関。
「来場所は頑張ってください。」


素質はあるのに相撲が小さくなっている、琴欧州関。
「なんか元気ないぞ。 来年は横綱へ挑戦してほしいです。」

それに土俵を沸かせるもう一人のパフォーマー。 北桜関
「あなたの時間前に見せる、手を突き上げ天から気を貰う動作、
それに制限時間いっぱいでの塩まきと気合の入れ方、好きです。」
「来場所は出直しですが、頑張りましょうね」

それではおやすみなさい。


読書の秋

2006年11月25日 00時36分49秒 | お仕事

後輩にある本を薦められた。

今日、会議が長引いて約束していた後輩を2時間も待たせてしまった。
仕事ついでといえど、東京から帰ってきている貴重な時間を失礼した。

数週間前、彼に人生本とも言えるお金にまつわる生き方の本を紹介した。
その本の名前は、「ユダヤ人 大富豪の教え」ⅠとⅡだ。
以前ベストセラーになった本だが、僕も親しい友達から紹介される。
いつものように、速読で一気に読んだ。
しかし、この本は普段の数十倍の速度で読み直させたほどで、
とてもこれからの生き方の参考になる内容。

久しぶりに良い本を読んだ。 友達にも感謝した。
これを小さな事業家の友達に紹介したら、すでに彼は読んでいた。

この中に登場する「自由人と不自由人」。
つまり自分の好きなこと、やりたいこと、大事だと思うことを通じて、
それを仕事にしている人は、自由人と言える。
お金を持っているからという尺度ではない。
自営業や医者や弁護士もある意味、実は「不自由人」だと言う。
自分以外の何かの意思に束縛されながらお金を稼ぐことをいっている。
サラリーマンは、その典型だと。

もう一つその中にこのようなくだりがある。
「人に幸せや喜びを与えた数だけ、お金は後から自然と付いてくる。」
僕もそのような考え方を持って生きたいとかねてから思っていたが、
どうやったらそんな考えになれるのか明確な指針はなかった。

考え方だけでも実践しようと思っていたら、後輩がこう言ってくれた。
「先輩は、サラリーマンの自由人ですよ。」 と。
何かありがたかった。 救われるような気持ちになった。
確かに良く考えたら、サラリーマンでありながら、好きな仕事をさせてもらい、
「これは良い」と自分が描いたシステムを、ことごとく実現させてきたではないか。
とても時間がかかったものもあるが。

今日の後輩が、その本を紹介した微笑返しに、
ブルー・オーシャン戦略」という本をプレゼントしてくれた。
今から読むことにする。 
本を通じてコミュニケーションを図るだけではなく、お互い生き方や考え方を良い方向へ導いていけることが、とても嬉しかった。

彼は、若いのにあるネットワーク関連の会社でバリバリの営業本部長をしている。
昔はやんちゃで、今こそ外資系が長かったせいかお洒落なエリート風だが、
本を沢山読むタイプには見えない。
少し、意外な面を見たような嬉しさも重なり、この本をしっかり読むことにしよう。

できれば、その感想を次の大切な人々へも伝えていきたい。


画像ショットで垣間見る大相撲

2006年11月22日 22時44分42秒 | こだわり

大相撲の続きです。


中入り後の取り組み。 電光掲示板。



外国人力士。 入館を撮影です。 
バルト! ちょっと気合抜けてないか? 浮ついてる目でした。



高見盛は本当にロボット君、コマーシャルそのものでした。
今日も絶好調。 かなりの近眼君なんですね。 でも愛嬌があります。



負けて8勝2敗目となった無念 栃東。 引き上げていくときは、足を痛めた模様です。
今日はその影響もあったのか3敗目をきしてしまいました。



やはり最も輝いていたのが、東の一人横綱 朝青龍。
横綱 朝青龍 の集中力は誰をも上回るものでした。



そして、横綱の後ろ姿、堂々として惚れ惚れする輝きがありました。
肌艶も良く、綺麗な肌をしてました。 これがオーラでしょうね。



写真はいっぱい撮りましたが、このへんで。


おまけです。 虚ろな表情の貴乃花親方をどうぞ。 退屈そうでしたね。



大相撲 九州場所

2006年11月22日 02時24分51秒 | こだわり

九州場所 10日目

晩秋の晴れ間に叔父叔母を連れて枡席最前列へ
思い出に残る一日だった。

やはり実物の迫力は凄いものがある。
勝ち負けは体や表情へ如実に現れている。
そんな妙をうかがい知ることが出来た。

また、一瞬の気合と立会いが勝敗を分けることも知った。
若手の取り組みは、静の中で行われる。
息遣いが聞こえてこない。体のぶつかる音とすり足の音だけだ。
力士は力を出す瞬間は、息を止めていることに気づいた。
立会い後は、しばらくまったくと言っていいほど声を出していないのだ。

心・技・体 そのものなのである。

それにしても横綱、朝青龍の気合と横綱らしい姿の美しさには正直驚いた。
その圧倒的な強さはその輝きからもうかがい知れる。
日本人にも彼のような力強さを持った力士が育って欲しいものだ。


日が沈むとき

2006年11月20日 00時10分03秒 | 出来事

昨日、訃報が入った。

自宅の前に以前住んでいた隣人の奥さんが他界されたそうだ。
ご主人は、とても恰幅がよく、親しみのある人だった。
ある会社の社長をされていて、数年前弟に会社を譲り、悠々自適の生活をされていた。
自宅前を駐車場として貸していた関係で、帰宅時によく立ち話をした。
そのご主人も一昨年まえから何度か脳卒中で倒れ、不自由な暮らしをされていたそうだ。
小柄で瀟洒な感じの奥さんが看病をしていたのだが、皮肉にも奥さんのほうが先にガンに倒れてしまった。
63歳と聞いている。 これから人生の晩年を楽しく過ごせる時期だったのにとても残念だと思う。

小雨にもかかわらず葬儀には沢山の人が参列していた。
久しぶりに写真をとおしてお逢いした。 ご冥福を祈った。

人間、大切な人に囲まれて先に行くのか、大切な人を愛おしく看取るのか。
どちらも辛い。
「とにかく精一杯生きていこう。 悔いの無いように。」
このような光景を見るといつもそう思うのだか、すぐに刹那に惑わされる。

そうであれば、やはり自然体で行くしかないのではないか。
自分自身と大切な人のために。 手を取り合って。


鹿児島出張にて

2006年11月19日 00時47分32秒 | お仕事

金曜から土曜にかけて鹿児島へ出張した。

鹿児島といっても北薩摩地方の川内、串木野である。
ただし、地名が変わっていた。

川内(せんだい)市は、「薩摩川内市」。
2年前に近隣8町村が合併してできた。 鹿児島でも面積が最も大きな市で、東シナ海に浮かぶ甑島も含まれている。
特産物はよく知らないが、川内原子力発電所があることは知っている。
それに“焼酎の田苑”もたまに飲むのでよく知っている。
初めて訪れたのだが駅舎も思ったより大きく、駅前商店街は寂れていたが、道路も広く人口もそこそこいるなと思った。
ラムサール条約によって指定された湿地として有名な藺牟田池(いむたいけ)がある。その写真を拝借して載せてみた。

串木野市は、「いちき串木野市」。 
1年前に市町村合併。“さつまあげ”と“焼酎の海童”が特産物として有名である。
しかし、隣の薩摩川内市に比べるとあまり特徴の無い街に思えた。

なじみのあった地名が市町村合併によって新しい地名となるのだが、あまり大きくない”市”がつぎつぎと並ぶことになる。
そう考えると、これは行政だけの話であり、地名まで変えるものではないような気がする。
町長さんや村長さんがいた時代、地域の結束は硬かったはずだ。

小さなものが大きなものに飲み込まれていく時代。 それが現代の経済。
勝ち組”と“負け組”、所得も2極化している。
みんなが小さかった時代は、お互いいろいろあっても幸せな時代だったのかもしれない。
それが昨今では、みんな大きくなりたがっている。 いや、大きくしないと生き残れないと思っている。
人生もそうだが、世の中も果たしてそうだろうか?

もっとも大事なのは、“個の自立”と“社会との調和と協調”ではないかと思ってしまう。


秋深し

2006年11月17日 01時22分13秒 | 出来事

いつしか秋も深まってきた。

朝は、めっきり冷え込み、出勤時のエアコンの温度も24度に設定を上げる。
風も強い。冬の季節を迎える準備が整いつつある。

昔は、23日の「勤労感謝の日」を境に、霙や初雪が降ることがままあった。
今年はどうだろう。 温暖化が叫ばれて久しいが、季節の移り変わりだけは未だ失われていないようだ。
春、夏、秋、冬。 日本は本当にこの四季が素晴らしい。

季節を感じることで、生活も変化し、心も変化する。
社会の機微や人の機微を感じ、思い起こすタイミングが4回。
一年をクオーターに区切り、会社も
四半期決算を義務付けられている。
決算だけではなく証券や投資の世界も同じである。

世の中の仕組みや人の関わり合いも年4回、棚卸できると思えば、本当にありがたいことだ。

これを意識し実行するかどうかは、その人によるが、季節を活用しない手は無いと思う。


労働組合

2006年11月13日 10時26分13秒 | 出来事

今日、組合大会後の懇親会に出席する。

もう10数年前になるが、専従で書記長をやっていた。
当時は、バブル前からバブル崩壊までの中にいたことになる。
とても懐かしく思い出される。
組合結成時には、右と左の闘いがあり、第1組合を潰すために職場オルグを毎晩のようにしていた。
われわれは第2組合、御用組合とののしられ、当時民社党系の上部団体に所属。
「枯れた井戸からは水は汲めない」という名言とともに、
会社は収益を出してこそ、社員やお客様へ還元できるという考え方だ。
今の時代では、これは当たり前になっている。
株式市場でも、利益が出ていない企業は市場から退場せざるをえない。

しかし、楽しいことも一杯あった。
毎月のように東京や各地を訪れ、貴重な経験と勉強をした。
そのときに多くの同業他社の人達とふれあう事ができた。
生え抜きといわれる社員は外をあまり知らない。
物事を判断するときにはこの比較というものが大事になる。
自分だけの常識、社内だけの常識、業界だけの常識。
それだけで済む世界もあるが、社会においてやプライベートの世界では通用しないことがままある。
興味を持っていろいろな世界を知ることは、人生にとっていかにプラスになることか。

いまさらながら、その当時に感謝した。

注)画像は、高木連合会長の就任


システム化

2006年11月09日 14時48分35秒 | お仕事

システムの構想をまとめる時、

隠れ家的な場所で、電話や人の訪問も受けない場所を選ぶ。
頭を常に連続して効率的に没頭するにはこれしかない。
将来像を描き、運用を固めるためには、イメージ力が決めてになるからだと思う。
イメージはその場で頭から手へ書き留めなければすぐ忘れてしまう。

てなことで、今その最中である。
ブレークタイムにこのブログを書いている訳だが、システム化構想にはいつも矛盾がつきまとう。

それは、本当に全てシステム化したほうが望ましいのかということだ。
物流センターの新規構築を目指しているのだが、世の中には設備的にもシステム的にも最先端の仕組みがある。
そのような仕組みを導入している企業をみると「すごいな!」と関心させられる。きっと莫大な投資をして運用しているからだ。
多分それら企業は、最先端を競うのではなく、自社の物量やコストと人件費などを勘案し、製品や商品の原価を計算してのことだろうが。
ところで、それら企業は、その損益分岐点なるものをどの辺に設定しているのであろう。 本当にうまくいっているのか疑問である。

こう考えてみると、ある一定線までは人海戦術でまわした方が、投資コストよりも遥かに少ないコストで運用できるかもしれない。
リードタイムや顧客対応などのサービスを考えると、コストだけではない部分も確かにある。
要は、その規模と要件にあったものでなければ、何の意味も無いということかもしれない。 後は
ステップアップだ。

これは、人にも当てはまるような気がする。
人間背伸びをしても無理をするし、時には不幸にもなる。
また、自分だけが被害者になったような意識で毎日を暮らすこともこれまた悲劇である。
自分の環境に則して目標に向かってステップアップし、常に自分というものとまわりの環境を変化させていくことも大事なのかもしれない。

それでは、仕事に戻りましょう。

 


キャベツ畑

2006年11月05日 01時36分27秒 | プライベート

一面に広がるキャベツ畑

秋冬キャベツなら品種は“アーリーボール”だろうか。

キャベツの原産地は、比較的温暖なヨーロッパの海岸地域及び地中海沿岸。
平均気温が夏季16~19℃、冬季3~5℃。
最初に食べ始めたのはスペイン地方のバスク人と言われる。
その後西欧、北欧に、次いで米国に伝わって、多くの品種に分かれ、
日本には江戸時代に入ってきた。
しかし、日本の気候は暑く、湿潤すぎてそのままでは栽培できず、気候風土の似た北海道で初めて栽培される。
大正、昭和に入るとキャベツは日本の野菜として定着し、第2次大戦後食生活の洋風化に伴ってキャベツの需要は増加。
その後、技術や品種改良も進み、一年中栽培が可能になったそうだ。

ご先祖さまのずっと昔からあったと思ったが、以外だった。
私たちの食卓に乗っている野菜達。 「外国生れかよ。」
「それに初めが北海道」の気候にあってるとは。
以前、飯田高原で見たキャベツ畑は壮観だった。

今回は、日田市近郊のキャベツ畑。
僕らは思わず車を止めて、カメラに収めた。
昔見た映画、「月とキャベツ」、山崎まさよしの「月とキャベツ」も思い出した。

気の合ったあの人と再び冬キャベツの収穫を見に行きたいな。
収穫時期の壮観で豊潤な畑はとにかく見ものだ。