Today is a gift.

昨日はヒストリー、明日はミステリー、今日はギフト。
That’s why it’s called a present.

薬師寺 と 唐招提寺

2012年12月21日 16時17分44秒 | 街の風景 奈良編

ここまで来たら、この二つの寺を観なければと思い立ち、近鉄 西ノ京駅へ

薬師寺は、金堂の左右に三重塔がある世界遺産です。
あいにく、東塔は修復工事が行われていました。

薬師寺は、天武天皇による発願で造営され、おともとは藤原京にあり、移築されたものと聞きました。
講堂において、薬師寺の僧侶の方によるご説明とお説教がありました。

とてもわかり易くユーモアも交えたもので、
檀家を持たない薬師寺再建へのお布施も嫌味なくお願いされました。

ここから引き返し、唐招提寺へ。

鑑真和尚を見ることはできませんが、「天平の甍」の舞台です。
8世紀、苦難の多かった遣唐使とともに6回目の挑戦で、そのとき66歳に御年になられていたそうです。
その時代、伝戒の師として仏教を伝えたいという熱き思いで日本に来れれました。

その意志の強さは凄いとしう表現を通り越し、壮絶と爽快の極みです。


春日大社 への道

2012年12月21日 10時40分14秒 | 街の風景 奈良編

奈良駅から三条通りを東へ

興福寺参道を左手に右手には猿沢池がひろがる。

一の鳥居、ここからの参道が長い。

公園内にはご神獣の鹿たちがのんびりと

博物館を通り過ぎ

二の鳥居へ

鳥居をくぐり少し上り、南を向いて本殿がおわします。

全国に1000社ある春日神社の総本社。 うちの家の傍にある春日神社もその一つです。

藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山(みかさやま)に遷して祀り、春日神と称したのに始まるそうです。
藤原不比等といえは中臣鎌足の子。 なんとか皇室との姻戚になり藤原氏を盤石なものとしたいと長大なロードマップを描いた人です。
文武天皇の擁立、そして娘を嫁がせることに成功し、聖武天皇がお生まれになる。 ここで藤原氏1000年の安泰が確保されるのですね。
天智天皇のご落胤とも言われてますので、あの天武系ではなく今の天皇家へ連綿と受け継がれております天智系ということですか。

ところでタケミカヅチノミコト。 
イザナギが、イザナミが火の神カグツチを生んだときに女陰を焼いて死んだことに腹を立て、カグツチの首を十束剣で切り落としたときに、
岩に飛び散ったときにできた三神の一柱です。
葦原中国平定の時に活躍した二人の神様の一人です。もうお一人は、香取神であるフツヌシノミコトです。
征服されたオオクニヌシが地祇(くにつかみ)であれば、征服者のタケミカヅチはアマテラスから派遣された天祇(あまつかみ)です。
ここにも陰陽五行の思想が息づいてますし、古事記、日本書紀の編纂の不思議さが見えてきます。

天武天皇の藤原京、文武天皇、元明天皇の平城京。
そして八代、天武系が続いたあとに、
肩身の狭い恨み多き天智系の再興を成就させた桓武天皇によって平安京へ遷都されるのですね。


中宮寺 弥勒菩薩半跏思惟像

2010年08月08日 14時21分33秒 | 街の風景 奈良編

中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像伝如意輪観音像)は、いと麗しき像です。

そのアルカイクスマイルは、ギリシャの彫刻に見られるものですが、
生命感と幸福感を演出するためのものといわれています。
確かに、その微笑は、健康と幸福の象徴なんだと思います。

中宮寺では、この半跏像をまじかに見ることができます。
柵もガラスも無いので、不埒な観光客が頬ずりしたらどうするのだろう?と心配するくらいです。(昔、ある京大生がそれをやっちまったらしいのですが...)

それにしても魅力的な観音様ですわ。
しかし、写真は畏れ多く、この画像は他のブログからいただきものです。


法隆寺 大宝蔵院からみた

2010年08月08日 14時00分33秒 | 街の風景 奈良編

夏の法隆寺  とても暑い一日でした。

広大な敷地。 南大門から中門をくぐり、聖霊院を抜け、大宝蔵院から見た金堂と五重塔です。

中門から入ると、しっかりした回廊が境内を取り囲んでおります。

そして、塔の柱は、龍がお守りしております。

聖霊院、ここには法隆寺のご本尊でもある聖徳太子45歳の像が安置されております。 鎌倉時代のもので、当然国宝です。
六角堂につづき、やっと聖徳太子様に御会いできました。


法隆寺 中門にて

2010年08月08日 12時24分54秒 | 街の風景 奈良編

中門(国宝)、現在直接ここを通り抜けることはできませんが、
堂々とした構えは飛鳥建築の粋を感じます。

柱が5本と奇数なんですが、左右に金剛力士像、そして左右に入口がありまして、中央に柱があり柱間が4の偶数なんですよね。ちょっと特異です。

これは、出雲大社と通じるところがあって、子孫を抹殺された聖徳太子の怨霊を封じるためにそうしたのではと梅原猛先生が「隠された十字架」の中でおっしゃってるのですね。 出雲大社は、大国主命の怨霊を鎮めるために建てられたもので、命の鎮座の方角がこれまたおかしいと「逆説の日本史」で読んだことがあります。また、一般の神社の参拝作法は二拝二拍手一拝なのに、出雲大社では二拝四拍手一拝となっています。どうして「四柏手」なのか。怖いですね。

それはいいとして、中門へ通じる参道です。

中門から右手(東)のほうへ目を向けると、夢殿までの参道が続きます。

ほんとうに境内は広いですね。


法隆寺までやってきました

2010年08月08日 11時00分30秒 | 街の風景 奈良編

おはようございます。

朝起きて、朝食食べて、重い腰を上げて、
奈良と反対側へふた駅、法隆寺駅までやってきました。
よか天気ですたい。(いきなり博多もんかい?)

一度は訪れたいと思っていた法隆寺です。
いや、バスに乗ったところです。

そんなこんなで、安全運転の奈良交通バスでなんとか着きましたよ。法隆寺。

ちょっと前の女性がじゃまですが、これが門前です。
門前と門前前のバス停と、沿道も食べ物やさんやお土産屋さんの立ち位置が、
鎌倉の鶴岡八幡宮前によく似ております。
道路の中央分離帯で樹木がセパレートさせているせいでしょうかね。

もうちょと近づいてみました。
国宝ゆえに入る前から、威厳を感じております。
それでは、いざ中へ...。