これから、明石海峡大橋(パールブリッジ)を渡って神戸へ。
阪神高速から名神高速、京滋バイパスを通って草津ジャンクションから新名神へ、
亀山ジャンクションから伊勢自動車道へ。
そうです、これから伊勢へ向かうのですね。
すっかり日が暮れてしまいました。
望月前の月明りに照らされ、まるで“月讀尊”に導かれるように、
明日は、天照大御神がおわします伊勢神宮の外宮から参拝させていただきます。
ほんとうにありがたいことです。
これから、明石海峡大橋(パールブリッジ)を渡って神戸へ。
阪神高速から名神高速、京滋バイパスを通って草津ジャンクションから新名神へ、
亀山ジャンクションから伊勢自動車道へ。
そうです、これから伊勢へ向かうのですね。
すっかり日が暮れてしまいました。
望月前の月明りに照らされ、まるで“月讀尊”に導かれるように、
明日は、天照大御神がおわします伊勢神宮の外宮から参拝させていただきます。
ほんとうにありがたいことです。
仕事で岩国市、錦帯橋へやってきた。
今まで何回か岩国市を訪れたのですが、なかなか寄る機会がありませんでした。
この際と、オスプレイ問題で注目の岩国基地とここへ。。。
岩国基地ではナンバー控えられたかもね。 ちょっと近寄りすぎました。
ノーテンキもほどがありますね。
とても寒い。 冬の空の蒼さ。
和様と唐様が混在した五重塔。
爽やかな空の蒼に、朱の塔が映えますね。
豊国神社の千畳閣。
未完成の建物でありながら、存在感は大いにあり。
秀吉さんは色々な処に箱モノを建てたのですね。
建立を命じられた安国寺恵瓊、毛利氏を関ヶ原の西の大将に工作。
今まさに、司馬遼太郎さんの「関ヶ原」3巻を読んでおります。
「君たちはほんと幸せそうだな~。 今日は寒いだろ。」
「仲良くけづくろいかよ。 寄り添う姿に癒されました。」
確かに、奈良の鹿さん達とはちょっと違う。 ちょっとおっとりしてるわ。
しかし、これは食べ物もなく力尽きているのか、それとも諦めの境地なのか。
私たち観光客も、ただ可愛いねだけじゃなく、
その奥に隠れた問題も受け止めないといけないのですが...。
久しぶりの世界遺産「厳島神社」、鳥居。
外人さんの観光客が大勢みえられてました。
2度目ですし、「かき」と「あなご」を食べましたので、もう来ることないかな。
「一杯やりましょう」と期待を胸にいろいろ探したあげく、ここ美観地区にある居酒屋「?」さんへ。
18時現在、お客様はゼロ。 「あちゃ~、観光地の日曜はこんなものかい?」
しかし、そこは我々福の神、お客様を呼び込むのです。
お店はだんだん忙しくなってまいりました。
まず飲んだ地ビールの「独歩」、これはたしかに美味しいです。
ですが、ですが、忙しさのあまりか、持病もちなのか、お店の店主らしきおかみさんが切れてるではありませんか。
厨房の板さんともめてるんですね。 仕込みの具合と自分の想いが違うだのなんだのと...。
客のいる前で「声」を出すなんざ、接客商売、とくに飲食では最悪だね。
気が付いた人たちは引いてますわ。
それにしても、昨日の福山市からここ倉敷市まで、なぜか「人」にめぐまれない。
どうも合わないのか、話がずれる。 人当りが下手だ。 相手を乗せない。 商売人じゃない。
はっきりいって、みんな「しら~」としているな。 ほんともったいないよね。
せっかくのいいものもだめになっちゃう。 地域性なのかしら、それとも連続して運が悪かったのか。
「きっと、運が悪かったんだ」と思うことにしましょうね。
明日は、いい日になりますように。
日曜日の夕闇。
美観地区から人通りは引きまして、寒さが肌を刺してまいりました。
ファインダーを通すより肉眼の方が少し色合い的には幻想的ですね。
さらに道を歩くと、ホテル日航へ続く道の手前、とある2階屋に影絵が...。
向かい合う二人がやがてキスを。 ドキ。 ちょっと良いものを見せていただきました。
夜、大原美術館や倉敷アイビースクエアのある「美観地区」を歩く。
中国銀行 倉敷支店 倉敷本町出張所 昔、本店と呼ばれてたそうな。
夜、ステンドグラスがとても綺麗でしたな。
お昼間に覗くと、天井高く吹き抜けで、昔の格式高い建物って感じですよ。
福山市街から車で30分。
瀬戸内海国立公園の名勝 「鞆公園」へやってきた。
古い町並みと島々からなる湊風景。
「いろは丸沈没事件」で、紀州藩相手にあの坂本龍馬さんの談判で有名なこの地。
町並みの向こうには、晴れて日の結婚式に臨むお二人をとらえ、
界隈を歩きました。 ほんと寒かったです。
途中で、こんなレトロすぎる喫茶店も発見。
入るにはちょっと勇気がいりますよね。 いわゆる昔のマンションですよ。
それでは、これから倉敷へ移動しましょうかね。
いつも新幹線で素通りする福山。
この町に縁がないかといれば仕事以外に縁がない。
駅の目の前にいつもみえる「福山城」。
城好きとしてはいつか訪れないとと思っていたお城です。
福山藩は、徳川側。 福島正則の改易後、水野家、松平家、安部家と毛利の抑えとなっています。
太平洋戦争での福山大空襲によっての区画整理によって街の道路はほんと広いですね。
商店街も食べ物やさんが元気だし、シャッター商店街になっている地域とは違い健闘しています。
しかしながら、宿泊の「カンデオホテルズ福山」のフロア担当の女性、空気を読めない人でしたね。
マニュアル通りというか、駐車場利用の場合、電話で駐車場の予約をとるようにとHP上でうたっている。
それをしなかったのに「あんたは止めやがった」と言わんばかりに、何度も「次はお願いしますね」と繰り返す。
学校で校則を守れなかった生徒に物申すようで、接客と人の気持ちをおもんばかる配慮はゼロでしたね。
次も何も、ここには決して泊まらないでしょうからいいんですけど...。
私ならこう言うでしょう。
「こちらからのお願いが判りにくく申し訳ありません。
お客様、今回は、お早くお着きいただきましたので、お気になさらず結構でございますよ。
お車番号をお聞かせいただけますか? ...。」 なんぞ言ってほしい。
言い方ひとつで人の気持ちと受け取り方は違いますものね。
山口県下関市唐戸のカモンワーフから
連絡船に10分揺られ、巌流島へやってきた。
時は、慶長17(1612)年4月13日。
宮本武蔵と佐々木小次郎の世紀の決闘。
敗れた佐々木小次郎の流儀「巌流」をとって巌流島と呼ばれるようになりました。
今では、三菱重工によって埋め立てられ以前の6倍の広さになってます。
とはいえ、周囲を歩いても30分とはかからない小さな島です。
この海峡は、源氏と平家の「壇ノ浦の合戦」や
今や、「龍馬伝」で皆様ご存じとなった「下関戦争(馬関戦争)」や
「第二次 長州戦争」。 坂本龍馬や高杉晋作ゆかりの地でございます。
これといった史跡は残ってないのですが、是非おとづれてみてください。
長州の位置づけと、あの幕末の時を感じることはできると思います。