Today is a gift.

昨日はヒストリー、明日はミステリー、今日はギフト。
That’s why it’s called a present.

高野を後に

2010年08月07日 12時26分05秒 | 街の風景 近畿編

この一宿の短い中で、素晴らしい体験をさせてくれた高野山。

大師に逢え、「よく来た」と声をかけていただき、

親鸞聖人や如来や仏のご縁をいただき、心のふるさとになりました。

もう一度来れたらと願い、高野山を後にします。

ケーブルカー高野山駅からの下りの景色です。
これから奈良へ向かおうと思うのですが...。

橋本からJRで奈良へと思ったのですが、そこはローカル、
1時間に1本。距離に比べ意外と時間がかかるのですね。
田舎の列車はすべて放射線状に大阪へ向かっているのです。
そうですよね。 乗降客がどうかで路線は決まるのですから。
そんなことも思いつきもせず、のんきに考えておりました。

結局、南海電鉄で新今宮まで行き、そこからJRで大和郡山まで。
急がば回れですか。


御廟の橋にたどり着く

2010年08月07日 11時00分18秒 | 街の風景 近畿編

一の橋から中の橋まで。

つらつら歩くも、途中でお腹が痛くなってきたのです。
結構歩いてきたからもうすぐ休憩所だと思うも、
右手に中の橋の駐車場が見えます。
そこまで駆け足したほうが、早くトイレに行きつけるかも...。
そう思い参道から外れ土手を駆け下り、駐車場の公衆を目指す。
これがけっこう遠いんですよ。

とにもかくにも落ち着きを取り戻し、返す刀で来た道を帰りまた参道へ。
そこからほどなく御廟の橋前のお茶処へ着きました。
これも試練でしょうか。(笑)

この橋を渡ると神聖な弘法大師の御廟へ。


高野山 一の橋

2010年08月07日 09時38分35秒 | 街の風景 近畿編

ぼちぼち歩き「一の橋」までたどり着きました。

途中のお茶屋さんで「葛きり」と「水羊羹」を買い込み、
休憩ではその甘いものをお口にいただきました。

ここからは、「奥の院」までの神聖な場所となります。
有名無名の大小の墓所が路ぞいに連なり出迎えます。


西禅院、朝のお勤め

2010年08月07日 08時21分57秒 | 街の風景 近畿編

おはようございます。
今日は一転、爽やかな晴れです。

6時半からの朝の勤行に参加させていただきました。
三摩耶経」「理趣経」を唱え、最後に「光明真言」を七反、
南無大師遍照金剛」。

檀上伽藍の参道脇、木立の中に「山紫陽花」の青が綺麗です。

さて、「奥の院」を目指して出発です。

「南無大師遍照金剛」
神戸にある大師寺のHPからのいただきものです。

「南無」はインド語のナモ、ナマス、ナマッハを音写つまり発音の音に近い文字で作った当て字です。意味は帰命、帰依する、永遠に、心から信じお従い申しますという信仰の誓いを表します。
 「大師」は偉大なる師、という意味で日本では大師号として朝廷から徳の高いお坊さまに贈られました。お大師さまは空海と言う僧名ですが弘法大師という大師号を九二一年朝廷から給わりました。日本では二十数名の高僧に贈られていますが、「大師は弘法にとられ太閤は秀吉に取られ」と言われるよう大師と言えば弘法大師、お大師さまのこと表すのです。
「遍照金剛」はお大師さまの灌頂名です。大日如来と言う仏さまの別名なのです。奈良の大仏さまは正式にはルシャナ仏ですが、その別名は大日如来さまなのです。お大師さまが中国に渡り真言密教の教えを授かったとき、最後の仕上げとして灌頂と言う儀式を受けられました。
目隠しをして合掌した手にはお花を持ち、仏さま、如来さま、菩薩さまの書かれた曼荼羅の上にその花を投げるのです。仏さまとの縁結びとでも言いましょうか、お大師様の花は大日如来の上に投げられたそうです。二回して二回とも同じ場所に投げられたそうです。この不思議に驚かれた恵果和尚はお大師さまに大日如来の別名遍照金剛を灌頂名として授けらたのです。 
「遍照」とは仏さまの慈悲の光明で照らされていると言うことです。夜に街を歩いても街灯が有れば明るくて安全です、営業時間の終わったお店でも店内には電灯が灯されて防犯灯の役目をしています。暗闇では犯罪が起こりやすく悪がはびこりますが、明るいと安心出来ますし、悪ははびこることが出来ません、善の世界になるのです。太陽でも、電灯でも物に当たれば影が出来ますが、仏さまの私達を救おうとする慈悲の優しい光は影を作ることなく世界の隅々まで照らされているのです。 
「金剛」ダイヤモンドです。ダイヤモンドは最も強くて堅い物質です。またその原石を磨けばその輝きは素晴らしいものになります。私達凡夫をこの苦しみから救ってあげるんだと言う仏さまの堅い決心と不滅永遠の徳を表しています。
 遍照金剛、大日如来さまは全ての神仏の根本の仏さまであり、その大日如来の一徳一徳を表すと各々の仏になるのです。寿命を表すと阿弥陀さま、優しさを表すと観音さまと言う具合です。
 南無大師遍照金剛とお唱えになるのは弘法大師お大師さまを拝み、その後ろには大日如来さまが控えられ、また全ての神仏へとつながっているのです。御宝号の深い意味を噛み締めながら「南無」と信じるこころを開いて、「大師」お大師さまに守られて、「遍照」他人に対しても優しさ思いやりを持って「金剛」自分自身に厳しく、そういう修行の日暮らし信仰を持ち、お大師さまと同行二人の人生の道を、幸せに向かって一歩一歩精進して参りましょう。


夜の西禅院

2010年08月06日 20時23分09秒 | 街の風景 近畿編

ここ西禅院は、昔、「見真大師(親鸞聖人)」がお泊りになり修行されたところであり、

あのパナソニックの「松下幸之助」翁もここを定宿とされたそうです。
門前には、寄贈の灯篭がありました。

どちらも私が尊敬してやまない方々です。
真言宗、真言密教から20歳前後に多くを学ばせていただきましたが、
今では特に親鸞聖人の生き方に共感し、浄土真宗が大好きです。
そこからこの旅が始まったといっても過言ではありません。

も一度、西禅院の門構えをご紹介しておきます。

玄関から門を見た景色です。


高野山に龍が舞う

2010年08月06日 16時48分01秒 | 街の風景 近畿編

雨が上がり、つかの間の晴れ間が...。

そこには龍が舞う。

今日お世話になる「西禅院」の宿坊から根本大塔の借景が...。
ありがたいですね。 感謝です。

檀上伽藍にある「金堂」。 涼やかなお経が唱えられておりました。

檀上伽藍にある「根本大塔」。 再建とはいえ大きいですね。

檀上伽藍にある「愛染堂」。 参道が気持ちいい。

そこから少し行くと、真言密教の総本山「金剛峰寺」が。
まずは、壇上伽藍へ。 金堂。根本大堂。御影堂。不動堂。などを周り、いにしえの趣を感じました。 
すべてが再建されたもので、それぞれにあまりパワーは感じませんでしたが、集合体としてのパワーを感じました。

金剛峯寺にも寄りました。ここは豊臣秀吉ゆかりの寺院である青巖寺と興山寺を合併し、金剛峯寺と改称したものです。
青巖寺(剃髪寺)は秀吉が亡母の菩提のために建立したもので、豊臣秀次が自刃した場所としても知られています。
寺務所にもそうかかれておりましが、中へは入らず。 
金剛峯寺の主殿は江戸末期文久3年(1863年)に再建されたものです。
金剛峯寺の寺号は空海が名付けたもので、元来は高野山全体を指す名称でしたが、明治期以降は、高野山真言宗の管長が住むこの総本山寺院のことを「金剛峯寺」と称しているそうです。
西禅院でもそういうご説明を受けました。


高野山への道

2010年08月06日 14時59分41秒 | 街の風景 近畿編

極楽橋に着いた。
30年ぶりに高野山へやってきた。

30年の月日を超えて、再び弘法大師や仏様に包まれてみたい。
久しぶりの恵みの雨らしい。
今年は高野山でも異常気象というが...。

どうしてここはこんなにも空気が綺麗なんだろう。
どうしてここはこんなにも気持ちを落ち着かせてくれるのだろう。
どうしてここはこんなにも凛とし優しく受け入れてくれるのだろう。

ケーブルカーで高野山へ