goo blog サービス終了のお知らせ 

五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

玄奘さんの御仕事 其の参拾弐

2005-09-20 22:58:51 | 玄奘さんのお仕事
其の参十壱の続き ■凝然さんは、こう紹介しています。 問う。何故に法相宗と名くるや。答う。諸法の性相を決判するが故に、法相宗と名くるなり。汎く此の宗を言えば、総じて四名あり。一には唯識宗と名く、此の宗の大意唯識を明すが故に。二には応理円実宗と名く、一切の法門皆理に応ずるが故に、三には普為乗教と名く、五乗を摂するが故に。四には法相宗と名く、其の義前の如し。 この四つの名称以外にも、護法宗や慈 . . . 本文を読む

玄奘さんの御仕事 其の参拾壱

2005-09-13 21:49:39 | 玄奘さんのお仕事
其の参拾の続き ■鎌倉時代の凝然さんがまとめて下さった説によりますと、 ……此の教、三国の次第相承分明なり。如来滅後九百年の時、弥勒菩薩、都(兜)率天より中天竺安瑜遮国に降り、瑜遮那の講堂に於いて、五部の大論を説きたまう。補処の薩捶、位、十地に居す、これ則ち如来在世親聞の所伝、非空非有中道の妙理、諸教の中に於いて、マコトに明鏡となす。瑜伽論の如きは、巻軸百巻あり、諸教悉く判ずるが故に、広釈諸 . . . 本文を読む

玄奘さんの御仕事 其の参拾

2005-09-10 10:11:52 | 玄奘さんのお仕事
其の弐拾九の続き ■玄奘さんは、波頗三蔵さんからシーラバドラ(戒賢)が説く唯識思想を聞いて感銘を受けます。そして、どうしても直接教えを乞わねばならないと決心したようです。玄奘さんは、波頗三蔵さんが長安に至った旅の全てを聞き出して記憶し、心の中でその旅路を逆に辿るシミュレーションを何度も繰り返したことでしょう。そして、その旅の成否を決めるのが西突厥の統葉護(トンヤブク)可汗から庇護を受けられるかど . . . 本文を読む

玄奘さんの御仕事 其の弐拾九

2005-08-28 18:51:04 | 玄奘さんのお仕事
其の弐拾八の続き ■プラバーカラミトラというインドの御坊さんが居ます。この人の事跡を知ると、玄奘さんの御仕事が少し色褪(あ)せてしまうかも知れません。その理由は、余り仏教に興味の無い人達でも『西遊記』を通して玄奘さんのファンになっているシルクロードが大好きな人達が目を輝かせる「玄奘さんの旅」が、実はこのプラバーカラミトラさんから仕入れた体験に基づく情報に従って行なわれた事が明らかだからです。 . . . 本文を読む

玄奘さんの御仕事 其の弐拾八

2005-08-21 12:08:41 | 玄奘さんのお仕事
其の弐拾七のつづき ■玄奘さんがブッダガヤーに十日間も滞在していたのは、ここが御釈迦様が悟りを開いた物語のクライマックスの舞台だったからでした。金剛座が置かれている菩提樹から見て、東の方に尼連禅河(ニランジャナー)が流れています。但し、乾季に行って見ると白い砂の川床が広がっていて水は一滴も流れていない風景に出会います。この河の更に東に前正覚山と呼ばれる岩山が見えます。玄奘さんは「鉢羅笈菩提(プラ . . . 本文を読む

玄奘さんの御仕事  其の弐拾七

2005-08-17 23:02:39 | 玄奘さんのお仕事
大変長らくお待たせしました。弐拾六の続きからです。 ■いよいよ玄奘さんは目的地だったナーランダー僧院に入って、教えを請いたいと夢にまで見た人物と会見する御話に移らねばなりませんが、入学前の玄奘さんが歩いた巡礼の旅に欠かせないブッダガヤーの事を少し書きます。カシミール滞在中の二年間でさえも、チーナから苦難の求法の旅をして来た傑出した僧の存在は「仏教の道」を通って、この当時世界最大の仏教総合大学だっ . . . 本文を読む

玄奘さんの御仕事  其の弐拾六

2005-07-09 08:26:16 | 玄奘さんのお仕事
其の弐拾五のつづき ■ヴェーサーリーという都市で第二結集が開催されたのには理由が有りました。当時、この町はガンジス河流域で、最も繁栄した商業都市だったのです。従って、お坊さん達の身近で盛んに貨幣経済が活動していたというわけですから、現金のお布施も増えて行きますし、大きな都市の郊外には巨大化した仏教教団が利用する施設が常設されるようになり、組織と施設の管理を任せる俗人達も必要となり、彼らは戒律の外 . . . 本文を読む

玄奘さんの御仕事 其の弐拾五

2005-07-06 21:58:40 | 玄奘さんのお仕事
其の弐拾四の続き ■ヴァーラーナスィー(ベナレス)を出た玄奘さんは、「初転法輪」の地として名高いサールナートを経てガンジス河を渡ってヴァイシャーリーに到着します。ここは釈尊在世中は、北のコーサラ国・南のマガダ国に対抗していた部族連合国の中心地となっていた場所でした。釈尊の晩年にはマガダ国の阿闍世(あじゃせ)王の謀略によって連合が崩されて占領されてしまいました。精神分析医の小此木啓吾先生が、フロイ . . . 本文を読む

玄奘さんの御仕事  其の弐拾四

2005-06-29 07:00:00 | 玄奘さんのお仕事
■釈尊の最期を記録した仏教経典は、とても描写がリアルで、「汚(けが)れ」と「清(きよ)め」に神経を使う日本の神道系の信仰には馴染みません。釈尊はボロを着て裸足で過ごしていましたし、すさまじい下痢症状に苦しみながら最期を迎えるのです。とても尾篭(びろう)な話ですが、原始経典は正確に記録しようと努力しています。症状からすると、鍛冶屋のチュンダさんが提供した食事は、やはり夕食だった可能性が高まります。チ . . . 本文を読む

玄奘さんの御仕事 其の弐拾参

2005-06-25 22:38:38 | 玄奘さんのお仕事
其の弐拾弐のつづき。 ■釈尊の教えに帰依したカピラヴァストゥの最期は、「不殺生戒」の物語です。前に登場したヴァルーダカ王の遠征軍を迎えた時、カピラヴァストゥの人々は、不殺生戒を守って完全無抵抗主義を貫いたと伝えられています。怨念に燃えたヴァルーダカ王の虐殺命令が実施される中で、一切の抵抗をせずに殺されていった人々を葬った墓地が、遺跡の西北に残っていたそうです。玄奘さんは、この墓所を訪ねているので . . . 本文を読む