五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

玄奘さんの御仕事 其の参拾

2005-09-10 10:11:52 | 玄奘さんのお仕事
其の弐拾九の続き

■玄奘さんは、波頗三蔵さんからシーラバドラ(戒賢)が説く唯識思想を聞いて感銘を受けます。そして、どうしても直接教えを乞わねばならないと決心したようです。玄奘さんは、波頗三蔵さんが長安に至った旅の全てを聞き出して記憶し、心の中でその旅路を逆に辿るシミュレーションを何度も繰り返したことでしょう。そして、その旅の成否を決めるのが西突厥の統葉護(トンヤブク)可汗から庇護を受けられるかどうかに懸っている事を胆に銘じるのです。この事前の決意が有ったために、玄奘さんはクチャ(亀茲)国を出た後に天山山脈越えに挑んだのでした。

■シーラバドラ先生と玄奘さんとの出会いと交流の物語は仏教史上でも特筆すべきものですが、この二人の出会いは仏教思想においても重大な意味を持っています。玄奘ファンであれば、「法相宗」に関しても興味を持って多少は調べてみた方も多いと思いますが、何と申しましても、日本の仏教史の分水嶺を形成している最澄さんの天台宗が余りにも巨大なので、「南都六宗」と言えば一種の蔑称のような印象が強くなっているようです。実際に、天台宗からは玄奘さんの翻訳方法に関して批判の声が上がっていますから、玄奘さんの業績を尊重しない風潮が強いようです。この辺から、玄奘ファンは『西遊記』に避難しなければならなくなるのですが、ここではそれを我慢して別の視点に立っていたいと思います。

■シーラバドラ先生と玄奘さんの関係を探るために、まず『八宗綱要』(講談社学術文庫)という有名な本を参照して見ます。鎌倉時代の凝然さんという御坊さんがまとめて下さった本で、法然さんの浄土宗、親鸞さんの浄土真宗、栄西さんの臨済宗、道元さんの曹洞宗は含まれていません。別に意地悪したわけではなく、こうした鎌倉仏教で大活躍したお坊さん達は凝然さんと同世代か年下なのです。つまり、この本は日本仏教が爆発的に発展(変化)する直前に、奈良時代以降の伝統的な仏教を網羅的に紹介しようとした本なのです。東大寺で受戒してから華厳宗を中心に学びながら、浄土宗の勉強も少しして、空海さんの『十住心論』を5年間研究した方なので、空海さんが真言宗を頂点とする仏教進化論を手本として仏教概論を書いたようです。

■南都六宗と平安二宗を合わせて八宗と数えて次のように並べています。


小乗
倶舎宗(有宗)・成実宗(空宗)=寓宗
律 宗=========================独立宗

大乗
法相宗(有宗)・三論宗(空宗)=三乗宗
天台宗(実相宗)・華厳宗(縁起宗)=一乗宗

以上が顕教で、密教の真言宗が最後に加わります。


仏教は小乗から大乗に進化したという解釈には注意が必要です。この主張が通るのは、大乗仏教が広まった地域だけです。小乗仏教は上座部仏教の別名で、大乗仏教の運動が起こった時に古い勢力と決別する方便として考案された呼び方です。スリランカやタイ、ビルマなどで盛んな上座部仏教の国々は、自分達の仏教が「遅れている」とはまったく考えてはいません。キリスト教のカトリックとプロテスタントを旧教と新教に分けるのがプロテスタント側だけだという事態と同じですし、キリスト教徒が『旧約聖書』と呼ぶ聖書をユダヤ人は唯一の『聖書』として『新約聖書』を認めないのとも共通する歴史の問題です。

其の参拾壱に続く

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3 コメント

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いつも楽しみに読ませていただいております。 (tenjin95)
2005-09-11 07:05:19
> 管理人様



最近の研究では大乗仏教の発生も、従来の在家教団起源説から、出家教団起源説に変わってきておりますが、この大乗-小乗の関係も変わってくるのでしょうか。



それから、拙僧『八宗綱要』の著者は凝然だと習ったのですが、凝念という書き方もあるのでしょうか?ご教授いただければ幸いです。合掌。
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tenjin95さんへ (旅限無の留守番係)
2005-09-11 21:31:29
旅限無の留守番をしている者です。コメント有難うございました。ご指摘頂いた「凝然」さんの件ですが、旅限無に確認したところ、「凝念」は誤字とのことでした。お詫びして訂正いたします。ご指摘ありがとうございました。
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tenjin95さんへ (旅限無)
2005-09-12 17:26:47
すっかり御返事が遅れてしまいました。毎度、お読みいただきまして、誠にありがたいことでございます。ご質問の件に関しまして集中的に研究したことはないのですが、大乗が教団に起源するとしましても、問題はその教説内容だと考えております。特に、文明の十字路とされる中央アジアで盛んになった大乗仏教に混入した西からの文化が大問題で、現在、大乗仏教を自称している宗派の教義に含まれている、ちょっと仏教の戒律や古い経典に抵触すると思われる内容を切り出して吟味してみれば、熱心な在家信者さん達の運動以前に、教説上の対立と分裂が起こった事が明らかになるような気がします。支店ブログの『雲来末』の方で、中央アジアの文化展に関する拙文を書いていますので、そちらもちょっと覗いてやって下さいまし。「玄奘さんの御仕事」も少しずつ進めて行きますので、唯識以降の展開から、大乗と小乗との関係も取り上げることになると思います。もう少しのご辛抱を。合掌
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