五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

「観音様」の話 その六(最終回)

2005-04-04 09:06:07 | 観音様のお話
■この西方からの「光」と、インドで大流行した密教が融合すると、「曼荼羅」の中にも観音様が描かれるようになります。天台智も断片的に伝来した「密教」経典を熱心に研究していたようですが、得意の体系化作業に着手出来るほどの分量が確保されなかったのでしょう。天台宗では密教の取り込みが遅れることになります。 時は大唐帝国の時代に入ります。国際色豊かな東アジアに出現したこの帝国には、中央アジアからもインドから . . . 本文を読む

「観音様」の話 その五

2005-04-03 13:20:54 | 観音様のお話
■困ったことに、これ以降も文頭に「如是我聞」と書かれている御経が続々と現れるのです。仏弟子の証言として書かれた文書を否定するのは、実に畏れ多いことですし、否定する根拠を示すのは至難の業(わざ)でした。 仮に、自分のイメージで「如是我聞…」から始まる経文を誰かが書き上げたとします。その内容に疑義を唱える人が現れても、 「あなたは釈尊御自身に会ったことが有るのか?御言葉を直接聴いたことが有るのか?」と . . . 本文を読む

「観音様」の話 その四

2005-04-02 00:44:28 | 観音様のお話
■『華厳経』では、観世音菩薩は補陀落(ホダラク)山に住んでいる事になっておりまして、インドを旅した玄奘はセイロン島に近いインド南端にポータラカという山が実在すると報告しています。コモリン岬のマラヤ山の東に位置する霊場の丘と考えられているようです。  中国では舟山群島の普陀山。日本では、古くから紀伊半島にある標高632メートルの那智山が補陀落山とされており、徳の高い僧が那智の海岸から船に乗って、本当 . . . 本文を読む

「観音様」の話 その参

2005-04-01 12:11:00 | 観音様のお話
■お釈迦様は「如来」ですから、仏教の最高智を得た御方です。観音さまは「菩薩」ですから一段低い地位にあります。しかし、民間に信仰が広まると、如来よりも身近な菩薩に信仰が集まり、仏像芸術の中心に観音像が浮上するのに、大乗仏教経典が大きな役割を果たしました。 手を合わせて救いを求めやすい観音信仰を広めることで、仏教を盛んにしようとする運動は、東アジア中に広まりました。しかし、この菩薩を何と呼べば良いのか . . . 本文を読む

「観音様」の話 その弐

2005-03-30 12:14:00 | 観音様のお話
■五胡十六国時代と呼ばれる動乱期に、中央アジアからやって来た鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)が、『観音経』(『法華経』の『観世音菩薩普門品』)を翻訳した時に、この訳語が工夫されたようです。その後、孫悟空は連れずに一人でインドに向かった玄奘三蔵は帰国後に「観自在」と訳し直しました。何故でしょう? 「アヴァロキタ・スヴァラ」は「観察する・音声を」という意味だったので、「観世音菩薩」と鳩摩羅什が工夫して直訳 . . . 本文を読む

「観音様」の話 その壱

2005-03-30 12:09:00 | 観音様のお話
■韓国政府が、ソウルの漢字表記「漢城」から発音に近い「首爾」に変更しようとしましたら、何故か中国が露骨に拒否を声明しました。漢字文化を自分らだけの財産だと勘違いしている現実が改めて露見したというわけです。 「中華四千年」だろうが五千年だろうが、数千年前に黄河流域で発明された象形文字の甲骨文字から発展した文字表記体系は、秦の始皇帝による書体の統一と儒教文化の体系化によって完成段階に入るまで、手が付け . . . 本文を読む