五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

「観音様」の話 その弐

2005-03-30 12:14:00 | 観音様のお話
■五胡十六国時代と呼ばれる動乱期に、中央アジアからやって来た鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)が、『観音経』(『法華経』の『観世音菩薩普門品』)を翻訳した時に、この訳語が工夫されたようです。その後、孫悟空は連れずに一人でインドに向かった玄奘三蔵は帰国後に「観自在」と訳し直しました。何故でしょう? 「アヴァロキタ・スヴァラ」は「観察する・音声を」という意味だったので、「観世音菩薩」と鳩摩羅什が工夫して直訳 . . . 本文を読む

「観音様」の話 その壱

2005-03-30 12:09:00 | 観音様のお話
■韓国政府が、ソウルの漢字表記「漢城」から発音に近い「首爾」に変更しようとしましたら、何故か中国が露骨に拒否を声明しました。漢字文化を自分らだけの財産だと勘違いしている現実が改めて露見したというわけです。 「中華四千年」だろうが五千年だろうが、数千年前に黄河流域で発明された象形文字の甲骨文字から発展した文字表記体系は、秦の始皇帝による書体の統一と儒教文化の体系化によって完成段階に入るまで、手が付け . . . 本文を読む

「五劫の摺り切れ」の「五劫」とは何か?

2005-03-29 00:14:11 | 法話みたいなもの
■落語の『寿限無』に登場する余り勉強していない御坊様が喋っている「五劫の摺り切れ」の話は、『大智度論』という難しい上に長大な仏教論書に出て来る例え話を元にしています。「五劫」の「劫」は数の単位なのですが、これが恐ろしく大きな単位なので、文字を知らない人達にイメージで伝えようとした話の一節です。 四十里の石山を、長寿な人が百年に一度ずつ細軟の衣で払拭して、石山が尽きても「劫」は尽きない。 若い父 . . . 本文を読む