■玄奘さんが御挨拶に訪れた時の葉護可汗の権勢は天を衝くような旺盛さを示していたようです。大王の壮麗なテントを囲んで200人の達官(タルカン)、彼らがそれぞれ率いる騎馬軍団が大地を埋め尽くしていたそうです。彼らが身を飾っていたのはチャイナの特産品であった絹と錦でしたから、商取引と略奪の両方で富が集まっていたのでしょう。唐王朝は、こんな恐ろしい敵と仲良く共存しようなどとは夢にも思いませんでしたから、王 . . . 本文を読む
三蔵法師・玄奘さんの偉大な御仕事について連載しています。
仏教・シルクロードの歴史・中華思想など、内容盛り沢山。ぜひ御一読下さい。
・玄奘さんの御仕事 其の弐拾
・玄奘さんの御仕事 其の壱十九
・玄奘さんの御仕事 其の壱十八
・玄奘さんの御仕事 其の壱十七
・玄奘さんの御仕事 其の壱十六(5/27)
・玄奘さんの御仕事 其の壱十五(5/24)
・玄奘さんの御仕事 其の壱十四(5/20)
・玄奘さん . . . 本文を読む
■もう少し「中華思想」についてお話いたしましょう。周の時代には細則も整い、孔子はそれを理想として生涯を捧げましたが、春秋戦国の大動乱を治めて天下を統一した秦王朝の始皇帝が、最初の「天下統一」を実現して、孔子が求めた「王道」ではなく「覇道」によって皇帝(天子)となりました。始皇帝は、五回の天下巡幸を行なってあちこちで盛大な祭りを催しています。これは、天を祭る儀式を統一したことを誇示したものです。天は . . . 本文を読む
■長安で、西の秦州(甘粛省天水県)に帰る孝達という僧に同行して長安を出ます。時に、629年の秋8月の事だそうです。それから蘭州を経由して涼州に入って、最終的な情報収集をしました。ここには東トルキスタンやチベット地域の商人がやって来ていましたので、西域の最新情報を得られるセンターとなっていたのです。ここで手に入れた情報の詳細は、『大唐西域記』には掲載されていないようです。始めから書かなかったのか、既 . . . 本文を読む
■645年と言いますと、どんなに日本史に疎(うと)い人でも知っている「大化の改新」が起こった年として記憶しているでしょう。この事件が起きたのは、この年の7月10日と記録されています。万世一系の歴史を書いた『日本書紀』が唯一の公式記録なので、天皇家を蔑(ないがし)ろにしていた蘇我一族を、天皇家の中大兄皇子が武力で滅ぼした事になっていますが、蘇我一族が持っていたとされる貴重な歴史記録がこの事件の中で焼 . . . 本文を読む
■翻訳プロジェクト・チームの解説をもう少ししておきます。
「②証梵語梵文/証文 =訳主の左に座して訳主の唱える梵文を確認する役」に最適の大徳が長安の大興善寺におりましたし、「③綴文(てつもん)=訳出された漢文の統一を保つ役」には総勢9人の大徳が参集したのです。列記しますと、
普光寺の沙門・栖玄、弘福寺の沙門・明濬、
会昌寺の沙門・辨機、終南山豊徳寺の沙門・道宣、以上の四名が長安組。
簡州(四川省 . . . 本文を読む
■玄奘さんが帰って来る前から、強くて無礼な高句麗に対して、皇帝直々(じきじき)に六軍を指揮して天下の「道理」を教えようと決めていた太宗は、その大遠征軍の編成と動員を東の洛陽で勉励督促していました。そこに、西域からインドを実際に歩いて玄奘が帰って来たのですから、情報と玄奘の名声を存分に活用しようと躍起になるのは当然の事でした。洛陽まで挨拶に来た玄奘さんを身近に呼び付けて、戒律と寺の規則を厳守する身の . . . 本文を読む
■645年の3月1日、玄奘さんは長安に戻り、弘福寺で訳経の準備を開始します。いくら抜群の頭脳を持つ玄奘さんでも、持ち帰った馬20頭分の経典類を一人で翻訳するのは不可能ですし、何としてもチャイナの地に正しい仏教を根付かせたいという大望を果たすには、この畢生(ひっせい)の訳業は、大唐帝国の国家事業として行なわれなければなりません。太宗は己の度量と財力を国内に示すために、この玄奘さんの提案に同意します。 . . . 本文を読む
■前回まで、観音様の御話を聞いていただきましたが、「観世音菩薩」という名前を「観自在菩薩」と訳し直したのが、三蔵法師・玄奘さんであったと申し上げました。
今回は、この玄奘さんが残した業績について、少しばかり御話します。年表を少しずつ刻みながらの説明なので、目に留まった項目を拾い読みして下さっても結構です。お忙しい方は、玄奘さんが翻訳した経典の多さを実感して下さるだけでも宜しいかと存じます。
俗の . . . 本文を読む
■この西方からの「光」と、インドで大流行した密教が融合すると、「曼荼羅」の中にも観音様が描かれるようになります。天台智も断片的に伝来した「密教」経典を熱心に研究していたようですが、得意の体系化作業に着手出来るほどの分量が確保されなかったのでしょう。天台宗では密教の取り込みが遅れることになります。
時は大唐帝国の時代に入ります。国際色豊かな東アジアに出現したこの帝国には、中央アジアからもインドから . . . 本文を読む