五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

玄奘さんの御仕事  其の弐拾七

2005-08-17 23:02:39 | 玄奘さんのお仕事
大変長らくお待たせしました。弐拾六の続きからです。

■いよいよ玄奘さんは目的地だったナーランダー僧院に入って、教えを請いたいと夢にまで見た人物と会見する御話に移らねばなりませんが、入学前の玄奘さんが歩いた巡礼の旅に欠かせないブッダガヤーの事を少し書きます。カシミール滞在中の二年間でさえも、チーナから苦難の求法の旅をして来た傑出した僧の存在は「仏教の道」を通って、この当時世界最大の仏教総合大学だったナーランダー僧院にも正確に知られていました。きっと、何をもたもたしているのだろう?などと気を揉んでいたお坊さんも多かったのでしょう。玄奘さんは、もう目と鼻の先にナーランダー僧院が有るのを知りながら、聖地ブッダガヤーに十日間も滞在していたそうです。今は観光用に整備されて有名な仏塔も建って、その周りは綺麗な花園になっていますが、玄奘さんが訪ねた時には随分と荒れ果ててしまっていて、地に伏して号泣したのはとても有名な話です。

■輪廻転生を信じている玄奘さんですから、御釈迦様がこの地で悟りを開かれた時に、自分は何処でどんな生き物になっていたのやら、やっと人間に生まれ合わせて艱難辛苦の旅をして聖地に来て見れば、金剛座(ヴァジュラ・アーサナ)を示す石版は二百年も前に砂に埋もれてすっかり隠れてしまっていましたし、その金剛座を挟んで南北に一体ずつ立てられた観音像も胸の辺りまで砂に埋まっているような状態でした。この観音像が完全に地中に没する時は仏教が滅びる時だとの言い伝えが有るそうで、それは仏教の衰えと滅亡の近い事を告げているとしか思えなかったので、玄奘さんは「自分の罪業の深さ」を深く悲しんだと述べています。輪廻転生の説を余り乱暴に扱って「前世占い」や怪しげな透視術の材料にするのは感心しませんが、深い生命倫理を支える一つの考え方としてはとても大切な思想だと思います。玄奘さんは、自分の生まれ合わせと巡り合わせを顧みて、仏教の再興と正しい仏教理論の伝授という自分の使命を再確認して涙を拭ったのではないでしょうか?

■金剛座が置かれているのはピッパラ樹の根元ですが、釈尊成道後には菩提樹と呼ばれるようになったのは有名な話です。今でも立派な菩提樹が太い枝を広げていますが、実は玄奘さんが目撃した菩提樹は釈尊の瞑想を見守った木の子供に当たることになるのです。玄奘さんがこの地を訪ねるほんの五十年前に、熱心なシヴァ神信者だったベンガルのシャシャーンカ王が、仏教が大嫌いでわざわざ菩提樹を切り倒して根を焼いた上に、甘蔗(サトウキビ)の汁を注いで去ったのでした。しかし、何故かこの菩提樹は再び芽を吹いて玄奘さんが見た時には高さが五丈(十五メートル)にもなっていたそうです。その後もイスラム教徒に傷付けられたり暴風で倒れてしまったりしたのですが、今も菩提樹はちゃんと生えています。今の菩提樹はスリランカから移植された物だという話を聞いた事が有りますが、仏教の考え方からすればどちらでも良い事でしょう。

■玄奘さんが菩提樹を見上げた時でさえも、金剛座は埋もれて何処にも見えず、観音像さえも埋もれるのに任せていたインド人達は、すぐそばにはナーランダー僧院を営んでいたのですから、形有る物が崩れ去り、生有る者は必ず死ぬという縁起の基本に従っていたのでしょう。ですから、現在の観光用に整備されたブダガヤ大塔周辺は少々やり過ぎという事になるのかも知れません。玄奘さんも、特別に御利益を求めてこの地を訪ねた訳ではなく、釈尊を慕う気持ちだけで拝みに立ち寄ったのでしょう。オウム真理教の連中のように、石の囲いを乗り越えて菩提樹の根元に座ってこれ見よがしに座禅のポーズを取るような罰当たりな事は、思いもよらない事だったでしょう。聖地とは言っても、そこに立ったから、座ったから何かの効果が有るわけでは有りません。玄奘さんは菩提樹の下で号泣しながら、本当の目的地であるナーランダー僧院での学問修行に対する覚悟を新たにしたのですから、どこまでも仏教は実践と修行の教えなのだと思います。

■号泣している玄奘さんの周囲には、沢山のお坊さん達が居たのです。夏安居(げあんご)が終った時期だったので、修行の旅をしていた数千の僧達がブッダガヤーの地に滞在していたそうです。そんなに沢山のお坊さん達が集まっていたのに、誰も金剛座や観音像を掘り出そうとしないというのが面白い所です。これを掘り出して現在の姿にしたのは、近代の考古学者達がした事なのです。イスラム原理主義者達が、アフガニスタンの大仏を爆破しても仏教徒の中からイスラムの聖地を報復爆破しようとするような者が現れないのも、大きな仏教の伝統の中に居るからかも知れません。

其の弐拾八につづく

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