只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

苦労など“無い”のです、在るとするのは記憶が創り出すのです。

2017-11-27 09:24:06 | 日記
すでにおわかりのとおり、頭の中で勝手に浮遊する「思考癖」
を消し去る、忘れ去るのが“只なる実践”の持続です。

「思考癖」は想念ですから、“只の念”になれば問題は
何も起こりませんね。

例えば「あの人」は「あの人」で即終れば、“只の念”と
いうことです。

厳密に言うと“只の念”とは、“何も無い今の心
つまり“今この瞬間・無思考”ということです。

ですから「思考癖」は、ここに滞在することは
出来ないし消え去るということです。

しかし、「思考癖」という「思考自我」は強大なエネルギー
を持っていますから、そう簡単に自分から離れることは
出来ないのです。

この様にブログを書いているのも「思考自我」ですから
見極めが必要ということです。

「思考自我」には、強大なエネルギーを弱めていくことは
「死」を意味することですから完全に嫌がるのです。

この“只なる実践”は、完全に嫌がる「思考自我」を
弱め切り捨てていくことを行じているのです。

そして「思考自我」という、年から年中動きまわる
強大なエネルギーを弱め、人間として必要な本当の道具
只の思考”に落ち着かせるのです。

“只の思考”を使うのは瞬間・瞬間で、1日トータル5分も
あれば十分で、無ければ無いで結構です。

とにかく、何かに付け面倒を嫌がる、理屈を持ち出す、
文句を言いたがる、只を嫌がる、楽なことだけやり、
苦を排除する私(自我)を消し去り忘れ去るのです。

残り僅かな人生に、一時の楽と心配、迷い、不安、苦悩、恐れを
持ち続けるか、“真の自分”を知りその中で
すべてを捨て去り、永遠の穏やかな安らぎの境地なるかは、
弛まぬ“只なる実践”の持続で明かになってきます。