只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

生き甲斐は頭の中が“空っぽ”です。笑

2017-11-18 08:18:55 | 日記
この世に相手がいる訳が無いのですね。

相手がいなければ、自分も当然いないということです。
しかも誰もいないのです。

「お前、無茶苦茶言うな!」と「思考自我」は怒りだす
でしょうけれども、そうだから仕方ありませんね。(笑)
  
繰り返し述べていますが、この幻想世界にはすべて
ありますから腑に落ちないのです。

またこの事実の世界には“それはそれ、これはこれ”しか
ありませんので、「思考自我」にはわからないのです。

そして、大宇宙というひとつが“真の自分”とでも
言えるのですが、ここまでくると私(思考)は完全否定します。

ですが、私(思考)がいなければ“教え”が訪れてきて、
そのものになってくるのです。

これはすでにおわかりのとおり、頭の中に私(自我)が在るか
無いかの違いだけです。

この違いが天と地の差となり、「苦の世界」か永遠の
穏やかな安らぎの世界となるかですね。

でも、私(自我)は強大なエネルギーですので、おいそれと
いなくなることはありません。(笑)
 
只なる実践”の持続は、私(自我)を無くす訳では
ありませんが、自分としている強大なエネルギーを
約10/1になるよう極小にして、“お気楽な人生”で
過ごそうとしているのです。

つまり、人間特有の「我・執着」を極小にするのが
只なる実践”です。