只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

“今”という“無意識”を持続するのです。

2017-11-16 11:29:44 | 日記
この“真実世界”は、すべて在って“何も無い”のです。

またこの幻想世界は、すべて在る「思考世界」です。

ですから“真実世界”は思い考えてもさっぱり
わからない世界なんです。

思い考えてもさっぱりわからないなら、思考を使わなければ
穏やかな安らぎの境地であるとわかるのです。

つまり、この“真実世界”とは思考の無い世界であると
言えるのです。

またこの幻想世界とは、思考に紛れた問題の起こる世界と
言えるのです。

「それは理屈じゃないのか?」と言われるのですが、それは
その通りですから“実践”で開眼するしかないのです。

そして“只なる実践”の持続で目覚めてくる人は、
“目覚めた”なんてわからないのです。

わかるものは、おわかりのとおり・・わかったという
「思考自我」です。

繰り返し述べていますが “真の自分”はまったく
何もわからないのです。

只なる実践”は心を見続けることですから、他のことは
何も無い”のです。

すると、宇宙全体も砂粒も髪の毛も、そして何もかも
真心”と判明してくるのです。

絶えず“”に意識を置きながら“実践”です。