只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

念に取り付く暇なく、“今”に行じるのです。

2017-11-17 09:28:15 | 日記
知性と思考は違います。

例えば、みかんやりんご、犬や猫等は知性ですね。

そして、みかんは柔らかくて好きだけどりんごは固いから
嫌とする、犬はお利口だからいいけど猫はわがままだから
私は好きでないとするのは思考です。

ですから知性は知性で、思考は思考です。

この知性は生きて行く上に欠かすことはできませんが、
知性に飛び付く思考は極力無いほうが、問題を起こさない
からいいのです。

雨…身体が傘を差す、なぜ?がないからです。
お湯…温かいがやってくるのです、なぜ?がないのです。
花…安らぎが訪れるのです、なぜ?がないのです。
水…その時その場によって適切なものがやってくるのです。

すべてやってきて、事を終えたら消えて行くのが
知性ということです。

やってこななければ、それはそれで“”ということですね。

思考は、雨だったら仕事にならないな~とか、早く晴れない
かな~、傘を持ってくればよかった等とぐるぐる回る
もので、のちのち潜在意識に溜まるものです。

いろんなものが潜在意識に溜まってくると、
頭脳が重苦しくなり身体にも変調が出てくるのです。

ですから繰り返し述べています通り、できるだけ何も無い
空っぽ”がいいと言っているのですね。

真実が“今この瞬間・無思考”だからです。

コツコツと、弛まぬ“只なる実践”の持続で
それは明かになってきます。