知性と思考は違います。
例えば、みかんやりんご、犬や猫等は知性ですね。
そして、みかんは柔らかくて好きだけどりんごは固いから
嫌とする、犬はお利口だからいいけど猫はわがままだから
私は好きでないとするのは思考です。
ですから知性は知性で、思考は思考です。
この知性は生きて行く上に欠かすことはできませんが、
知性に飛び付く思考は極力無いほうが、問題を起こさない
からいいのです。
雨…身体が傘を差す、なぜ?がないからです。
お湯…温かいがやってくるのです、なぜ?がないのです。
花…安らぎが訪れるのです、なぜ?がないのです。
水…その時その場によって適切なものがやってくるのです。
すべてやってきて、事を終えたら消えて行くのが
知性ということです。
やってこななければ、それはそれで“只”ということですね。
思考は、雨だったら仕事にならないな~とか、早く晴れない
かな~、傘を持ってくればよかった等とぐるぐる回る
もので、のちのち潜在意識に溜まるものです。
いろんなものが潜在意識に溜まってくると、
頭脳が重苦しくなり身体にも変調が出てくるのです。
ですから繰り返し述べています通り、できるだけ何も無い
“空っぽ”がいいと言っているのですね。
真実が“今この瞬間・無思考”だからです。
コツコツと、弛まぬ“只なる実践”の持続で
それは明かになってきます。
例えば、みかんやりんご、犬や猫等は知性ですね。
そして、みかんは柔らかくて好きだけどりんごは固いから
嫌とする、犬はお利口だからいいけど猫はわがままだから
私は好きでないとするのは思考です。
ですから知性は知性で、思考は思考です。
この知性は生きて行く上に欠かすことはできませんが、
知性に飛び付く思考は極力無いほうが、問題を起こさない
からいいのです。
雨…身体が傘を差す、なぜ?がないからです。
お湯…温かいがやってくるのです、なぜ?がないのです。
花…安らぎが訪れるのです、なぜ?がないのです。
水…その時その場によって適切なものがやってくるのです。
すべてやってきて、事を終えたら消えて行くのが
知性ということです。
やってこななければ、それはそれで“只”ということですね。
思考は、雨だったら仕事にならないな~とか、早く晴れない
かな~、傘を持ってくればよかった等とぐるぐる回る
もので、のちのち潜在意識に溜まるものです。
いろんなものが潜在意識に溜まってくると、
頭脳が重苦しくなり身体にも変調が出てくるのです。
ですから繰り返し述べています通り、できるだけ何も無い
“空っぽ”がいいと言っているのですね。
真実が“今この瞬間・無思考”だからです。
コツコツと、弛まぬ“只なる実践”の持続で
それは明かになってきます。