2009年4月11日は土曜日。御開帳中の善光寺は大変込み合いました。

長蛇の列
回向柱(えこうばしら)を触るために、六地蔵広場を超えて長く伸びた行列です。

回向柱
時間をかけて並んだ分、触れた時は感動もひとしおです。

七年間お守りする御開帳記念回向柱
サイズによって千円~一万円まであります。ここに書かれている文字は本物とほぼ同じです。
キャ、カ、ラ、バ、アと読む梵字の下にそれぞれ正面が「奉開龕前立本尊」、左面が「光明遍照 十方世界 念佛衆生 摂取不捨」、右面が「国家豊寧 萬姓快楽 佛日増輝 含霊普潤」と書かれていました。背面だけが違っていて、本物は梵字の下に「維時 平成二十一年四月五日 一山大衆 敬白」となっている所、「平成二十一年 御開帳 善光寺」となっていました。
意味は、正面:「前立本尊の御開帳申し上げます」、左面:「光明があまねく照らすように阿弥陀仏の慈悲が広大で、念仏する人々をことごとく救済します」、右面:「国家は豊かに安らかで、全ての人々が心地よく過ごし、仏は太陽のように輝きを増し、魂を持つものはあまねく潤う事を願います」といったところでしょうか。(正確な訳は他を参照してね。)
梵字のキャ、カ、ラ、バ、アとは、宇宙の構成要素の「空風火水地」が円滑に備わっている五輪の状態を表しているそうです。卒塔婆にも書かれている梵字です。
回向柱とは・・・(回向柱お守りの袋に書かれていた文を転記します)
回向柱について
御開帳のあいだ、ご本堂にお迎えした前立本尊さまの右手中指に結ばれた金の糸は五色の「善の綱」につながり、その綱がご本堂正面にそびえる「大回向柱」に結ばれています。
前立本尊さまが右手をあげ、掌(たなごころ)を私たちの方に向けておられる姿は、人々の不安や苦しみを取り除いてくださるという意味を表しています。
回向柱に触れることによって、ご本尊さまとご縁が結ばれ、極楽往生ができるとされています。また「善の綱」は、仏さま、ご先祖さまと自分を結ぶ命の綱でもあります。
私たちは永遠の命の綱によって、仏さま、ご先祖さまと結ばれていることに思いを寄せられて、ご先祖さまの追善供養を営みましょう。
そして、家内安全・商売繁盛・学業成就など、願いごと一ぱいの人生を晴れやかにおすごしくださいますようお祈り申し上げます。
平成二十一年 春吉日 信州 善光寺

実際は、五色の善の綱は本堂の入り口で白い布でできた善の綱につながりそれが回向柱に結ばれています。
クーリーの放言(布製の綱より、電線かなにか伝導度の高いもので結んでもらった方が阿弥陀如来からのパワーをたくさんもらえと思うんだけど・・・)
回向柱の一辺は45cm、高さは10mです。この柱は、松代町大回向柱寄進建立会より寄進されるならわしとなっているそうです。これは、本堂再建に多大な貢献をしたのが松代藩だったからかもしれません。今回は、小川村から樹齢270年と推定される杉の巨木が選ばれました。高さ22m、直径約1mだったそうです。総費用は、約2600万円とか・・・。

歴代の回向柱群
歴代の回向柱は、御開帳終了後に経蔵裏手に埋められて土に還っていきます。前回のは私も触ったのでした。現在、9本の回向柱が土の上に見えます。新しい柱程、高さがあるのは古いものを人為的に埋め込んでいるからでしょうか??。
回向柱は善光寺の他に世尊院釈迦堂前にもあります。

世尊院の回向柱
正面に「奉開龕涅槃釋迦如来」、左面に「光明遍照 十方世界」、右面に「念佛衆生 摂取不捨」と書かれていました。
世尊院のご本尊、釈迦涅槃像は、鎌倉時代の末期につくられたものといわれ、小御堂釋迦堂に安置されています。明治39年に国指定重要文化財となりました。六枚のふとんの上に頭部を北にして、右脇を下にして西を向いた姿は入滅の時の姿を示しているといわれています。
等身大の釈迦像は全国でも五指を数えるに過ぎないということですが、銅造のものはこの像が唯一だそうです。身長1.66m 体重約487kg。
クーリーの放言(お釈迦様のBMIを計算したよ。BMI=177・・・超メタボだぞ。これじゃ死んじゃうのもむりないなぁ・・・)お釈迦様は享年80才とされています。

長蛇の列
回向柱(えこうばしら)を触るために、六地蔵広場を超えて長く伸びた行列です。

回向柱
時間をかけて並んだ分、触れた時は感動もひとしおです。

七年間お守りする御開帳記念回向柱
サイズによって千円~一万円まであります。ここに書かれている文字は本物とほぼ同じです。
キャ、カ、ラ、バ、アと読む梵字の下にそれぞれ正面が「奉開龕前立本尊」、左面が「光明遍照 十方世界 念佛衆生 摂取不捨」、右面が「国家豊寧 萬姓快楽 佛日増輝 含霊普潤」と書かれていました。背面だけが違っていて、本物は梵字の下に「維時 平成二十一年四月五日 一山大衆 敬白」となっている所、「平成二十一年 御開帳 善光寺」となっていました。
意味は、正面:「前立本尊の御開帳申し上げます」、左面:「光明があまねく照らすように阿弥陀仏の慈悲が広大で、念仏する人々をことごとく救済します」、右面:「国家は豊かに安らかで、全ての人々が心地よく過ごし、仏は太陽のように輝きを増し、魂を持つものはあまねく潤う事を願います」といったところでしょうか。(正確な訳は他を参照してね。)
梵字のキャ、カ、ラ、バ、アとは、宇宙の構成要素の「空風火水地」が円滑に備わっている五輪の状態を表しているそうです。卒塔婆にも書かれている梵字です。
回向柱とは・・・(回向柱お守りの袋に書かれていた文を転記します)
回向柱について
御開帳のあいだ、ご本堂にお迎えした前立本尊さまの右手中指に結ばれた金の糸は五色の「善の綱」につながり、その綱がご本堂正面にそびえる「大回向柱」に結ばれています。
前立本尊さまが右手をあげ、掌(たなごころ)を私たちの方に向けておられる姿は、人々の不安や苦しみを取り除いてくださるという意味を表しています。
回向柱に触れることによって、ご本尊さまとご縁が結ばれ、極楽往生ができるとされています。また「善の綱」は、仏さま、ご先祖さまと自分を結ぶ命の綱でもあります。
私たちは永遠の命の綱によって、仏さま、ご先祖さまと結ばれていることに思いを寄せられて、ご先祖さまの追善供養を営みましょう。
そして、家内安全・商売繁盛・学業成就など、願いごと一ぱいの人生を晴れやかにおすごしくださいますようお祈り申し上げます。
平成二十一年 春吉日 信州 善光寺

実際は、五色の善の綱は本堂の入り口で白い布でできた善の綱につながりそれが回向柱に結ばれています。
クーリーの放言(布製の綱より、電線かなにか伝導度の高いもので結んでもらった方が阿弥陀如来からのパワーをたくさんもらえと思うんだけど・・・)
回向柱の一辺は45cm、高さは10mです。この柱は、松代町大回向柱寄進建立会より寄進されるならわしとなっているそうです。これは、本堂再建に多大な貢献をしたのが松代藩だったからかもしれません。今回は、小川村から樹齢270年と推定される杉の巨木が選ばれました。高さ22m、直径約1mだったそうです。総費用は、約2600万円とか・・・。

歴代の回向柱群
歴代の回向柱は、御開帳終了後に経蔵裏手に埋められて土に還っていきます。前回のは私も触ったのでした。現在、9本の回向柱が土の上に見えます。新しい柱程、高さがあるのは古いものを人為的に埋め込んでいるからでしょうか??。
回向柱は善光寺の他に世尊院釈迦堂前にもあります。

世尊院の回向柱
正面に「奉開龕涅槃釋迦如来」、左面に「光明遍照 十方世界」、右面に「念佛衆生 摂取不捨」と書かれていました。
世尊院のご本尊、釈迦涅槃像は、鎌倉時代の末期につくられたものといわれ、小御堂釋迦堂に安置されています。明治39年に国指定重要文化財となりました。六枚のふとんの上に頭部を北にして、右脇を下にして西を向いた姿は入滅の時の姿を示しているといわれています。
等身大の釈迦像は全国でも五指を数えるに過ぎないということですが、銅造のものはこの像が唯一だそうです。身長1.66m 体重約487kg。
クーリーの放言(お釈迦様のBMIを計算したよ。BMI=177・・・超メタボだぞ。これじゃ死んじゃうのもむりないなぁ・・・)お釈迦様は享年80才とされています。
「私に会いたいと願う時、
私は必ずあなたたちの心の中に現れる。
皆よ、全ての物事はうつりゆく。
怠らず怠らず、努力してゆくのだよ。」
だってさ。