2009年10月30日 信州新町の久米路峡に行ってきました。
千曲川の支流・犀川の水内ダム上流にあります。国道19号近くです。

久米路橋
久米路峡は、420万年前の火山噴出物からできた凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)が犀川によって浸食されて形作られました。犀川中流域で最も狭い峡谷となり、紅葉が美しいことで有名です。峡谷と言っても、現在ではダム湖(琅鶴湖ろうかくこ)の一部になっていて、往時の面影は薄くなっています。気候の影響でしょうか、今年の県内の紅葉は今ひとつ。各地で色づきが悪いといいます。

橋のたもとのもみじは真っ赤に紅葉していました。
久米路橋には悲しい伝説があります。「雉も鳴かずば撃たれまいに」のお話。要約すると、貧しい百姓が、病気になり命も危ぶまれる幼い娘にあずきまんまを食べさせてやりたいと地主の蔵から小豆ともち米を盗んだ。元気になった娘が、一緒に遊ぶ子供たちにあずきまんまを食べたことを誇らしげに話したことから、その百姓の犯罪が明るみに出てしまった。百姓は捕らえられ、大雨の度に流されてしまう久米路橋の人柱として生き埋めにされてしまった。娘は「雉も鳴かずば撃たれまいに」とつぶやいた後一切口をきかなくなってしまった。というお話。実はこの話は長柄川(淀川の支流)の地にも伝説があり、「もの言わじ父は長柄の人柱鳴かずば雉もうたれざらまし」という短歌があります。
「雉も鳴かずばうたれもすまい」ということわざ。一般には、雉も鳴かなかったら所在を気づかれずうたれはすまいということから、無用の口をきかなかったら災いにあうこともあるまいにという意で使われます。「口は災いのもと」と同意。
このストーリー、別の立場からは「天網恢々疎にして漏らさず」「因果応報」ですかね。犯罪はどんな理由であろうといけません!!さらに読み込むとまた別の側面も。この百姓が盗んだのは一度炊く分量だけだったと想像できます。たくさん盗んだ訳ではなかった。しかし、盗まれた地主としては、黙っていて窃盗がエスカレートしたり蔓延するのは困ります。告訴するのは当然のこと。ただ盗人に対して厳罰を求めてはいなかったのだと思います。しかしタイミングとは時に残酷。人柱が必要な時に捕らえられれば誰も止めることはできなかったのでしょう。一方、犯行が明らかになった過程を見ると、娘の友達からその親に「私もあずきまんまが食べたい」というように伝えられたと考えられます。その家も同じような貧しい暮らし。娘が病気で命も危なかったということも知ったうえで密告したのです。そこには「同病相哀れむ」的な情なんていうものは存在しなかった。この話で本当に言いたかったのは「人の過ち我が幸せ」「隣の貧乏は鴨の味」の嫉妬心なのだと思います。「人の嫉妬心をあおるような自慢話をしてはいけません」とか「ご近所、顔見知りでも他人を信用してはいけません」ということ。だからかなり人の嫌な部分を浮き彫りにした昔話だと思うのです。

橋の上流にももみじがありました。
この裏手、岩山の中腹に佐久間象山のお手植楓があるということです。岩山には遊歩道がありましたが、その整備で登り口が工事中だったため登れませんでした。
千曲川の支流・犀川の水内ダム上流にあります。国道19号近くです。

久米路橋
久米路峡は、420万年前の火山噴出物からできた凝灰角礫岩(ぎょうかいかくれきがん)が犀川によって浸食されて形作られました。犀川中流域で最も狭い峡谷となり、紅葉が美しいことで有名です。峡谷と言っても、現在ではダム湖(琅鶴湖ろうかくこ)の一部になっていて、往時の面影は薄くなっています。気候の影響でしょうか、今年の県内の紅葉は今ひとつ。各地で色づきが悪いといいます。

橋のたもとのもみじは真っ赤に紅葉していました。
久米路橋には悲しい伝説があります。「雉も鳴かずば撃たれまいに」のお話。要約すると、貧しい百姓が、病気になり命も危ぶまれる幼い娘にあずきまんまを食べさせてやりたいと地主の蔵から小豆ともち米を盗んだ。元気になった娘が、一緒に遊ぶ子供たちにあずきまんまを食べたことを誇らしげに話したことから、その百姓の犯罪が明るみに出てしまった。百姓は捕らえられ、大雨の度に流されてしまう久米路橋の人柱として生き埋めにされてしまった。娘は「雉も鳴かずば撃たれまいに」とつぶやいた後一切口をきかなくなってしまった。というお話。実はこの話は長柄川(淀川の支流)の地にも伝説があり、「もの言わじ父は長柄の人柱鳴かずば雉もうたれざらまし」という短歌があります。
「雉も鳴かずばうたれもすまい」ということわざ。一般には、雉も鳴かなかったら所在を気づかれずうたれはすまいということから、無用の口をきかなかったら災いにあうこともあるまいにという意で使われます。「口は災いのもと」と同意。
このストーリー、別の立場からは「天網恢々疎にして漏らさず」「因果応報」ですかね。犯罪はどんな理由であろうといけません!!さらに読み込むとまた別の側面も。この百姓が盗んだのは一度炊く分量だけだったと想像できます。たくさん盗んだ訳ではなかった。しかし、盗まれた地主としては、黙っていて窃盗がエスカレートしたり蔓延するのは困ります。告訴するのは当然のこと。ただ盗人に対して厳罰を求めてはいなかったのだと思います。しかしタイミングとは時に残酷。人柱が必要な時に捕らえられれば誰も止めることはできなかったのでしょう。一方、犯行が明らかになった過程を見ると、娘の友達からその親に「私もあずきまんまが食べたい」というように伝えられたと考えられます。その家も同じような貧しい暮らし。娘が病気で命も危なかったということも知ったうえで密告したのです。そこには「同病相哀れむ」的な情なんていうものは存在しなかった。この話で本当に言いたかったのは「人の過ち我が幸せ」「隣の貧乏は鴨の味」の嫉妬心なのだと思います。「人の嫉妬心をあおるような自慢話をしてはいけません」とか「ご近所、顔見知りでも他人を信用してはいけません」ということ。だからかなり人の嫌な部分を浮き彫りにした昔話だと思うのです。

橋の上流にももみじがありました。
この裏手、岩山の中腹に佐久間象山のお手植楓があるということです。岩山には遊歩道がありましたが、その整備で登り口が工事中だったため登れませんでした。
ところで久米路橋は中世から曲がり橋として知れていたようですが、当時「橋供養」というのがあって、あの世との境界の橋によりつく霊をなぐさめたという事です。そんな橋に対する日本人の心象風景も表れていそうですね。小さい頃、この橋を車で通るというので本気で泣いた事があります。きっと誰かにこの話しを聞いたんですね。私の家けっこうこの近くなんですよ。
昔の写真をネットでも見つけることはできませんでしたが、子が泣いてしまう程の雰囲気のある橋だったのでしょう。何度も橋が架け替えられていて、江戸時代には桟橋とはね橋を併用したものだったとか。そこから水内曲橋と呼ばれたらしいですね。