長野周辺の山歩きと山野草

長野県北部を中心に山歩きと野草の開花状況を報告しています。植物の不思議な生態についてもレポートしています。

朝青龍の抱えている問題

2007年08月12日 | エッセー
今回は、朝青龍が抱えている問題について。またもや「長野の山歩き」から話題が離れてしまいましたが。。。

その問題とは、腰の骨の疲労骨折を原因として夏巡業の休場を決めモンゴルに帰国した際の出来事。イベントに飛び入り参加し、サッカーに興じる様子が撮られました。簡単に言えば、仮病で欠勤し故郷で好きなことをしていたということ。そこで日本相撲協会は、朝青龍に対し、二場所出場停止と謹慎、および30%の減俸(4ヶ月間)の処分を下したのですが。。。そのあげく、鬱病だとかオーバードーズだとか報じられていますが。。。
この「処分」についてちまたでは賛否両論が渦巻いているようなのです。

一般人においては、上司からの厳しい指導はあったとしても、解雇に繋がるようなレベルの出来事ではないと思われます。しかし、横綱とは一般人と大きく離れた職種であり、冷静に相撲の歴史などを分析すれば自ずと収束する問題だと思いましたので以下に述べたいと思います。


「横綱土俵入り」を見ると横綱は、注連縄(しめなわ)を腰に巻いています。注連縄とは、よく神社の鳥居に下がっていたり、御神木に巻かれている紙垂(しで)が下がった綱のことです。これの意味するところは、神域と外界を隔てるシンボルであり、それが巻かれた横綱はまさに神を表していると言えます。土俵入りで踏む四股は神が地中の邪気を鎮めるための作業であり、かつては地鎮祭でも行われたといいます。すなわち、横綱には相撲競技者としての一面と、神様としての役割があるということになります。そういった理由で横綱昇進の時には心技体のバランスと「品格」が求められていたのです。

 神様を簡単に説明すると、「人間の及ばぬ知恵・知識・力の象徴で信仰や畏怖の対象となる」ということ。これを鑑みて今回の騒動を検証してみましょう。まず、仮病を使い公務を休み私的な楽しみを求めたと言う行為や心の病・オーバードーズ報道をされてしまう者に神様の仕事を任せておけるでしょうか。疾病への偏見で言っているのではありません。神様に必要なのは公明正大さです。それを欠いた者に神様の役割を任せておけないと言いたいのです。外国人力士の朝青龍が、この日本の伝統について知らなかったのなら同情はしますが横綱に居座る理由にはならないと思います。

神様である横綱に対して日本相撲協会が採った対応についても不適当と言わざるを得ません。神様に対して「謹慎」とははなはだ失礼ではないでしょうか。非公開に引退勧告をするか、注連縄を着ける必要のない力士に戻ってもらうだけでよかったのだと思います。
 今後は横綱に昇進させる前に注連縄の意味と公明正大さを十分に教育し、それが欠けている者には横綱の地位につけさせないといった方策が必要だと思います。「品格」という分かりにくい基準だけで横綱を選定するのが問題であって、「公明正大さに抵触したと認められた場合は横綱の任を解く」という条件をつければすむ話だと思います。以前、北尾とかいう力士がいましたが、その教訓が生かされていないのは残念でした。