都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

阪急三番街が50周年、万博がもう一度となる

2019-11-28 02:41:43 | 都市開発

 阪急三番街は、阪急のホーム北進とともに1969年秋開業した。( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E6%80%A5%E4%B8%89%E7%95%AA%E8%A1%97 )

 阪急梅田駅は、1910年の開業当時は、路面を走るJR(国鉄)を高架で跨いだ、地上駅だった。1926年に高架の駅となりJRを大きく跨いだ。その後、JRが高架になるため、阪急が路面に移れとなったが、費用の負担で紛糾し、1934年にようやく切り替えられた。

 その後、阪急百貨店が、真ん中の四角から鉄道ホームの両側を囲みグローブのような形になった。これではホームの長さや大きさに限界があるとなって、JRより北にホームの移設を1967年から4年間かけて移設した。この時できたのが、地下のショッピング・モールの三番街だ。

 この間、1964年に大阪万博があったが、その時開業したのが、大阪初のビジネ・ホテルである新阪急ホテル( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%98%AA%E6%80%A5%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB )で、こちらはヨドバシ2期開発のホテル阪急レスパイアが開業した。(建替えの受け皿との見方が多い、もともとヨドバシの土地は大阪鉄道局があり、阪急百貨店の建替え用地としての検討もあった)

 竹中工務店の発案で「地下でも川が流れる」というアイディアで地下でも重苦しくなくした。この後、元のホームとの間に、ターミナルビル(1972年https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E6%80%A5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%AB)、グランドビル(1977年 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E6%80%A5%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%AB )ができた。5年の差とは思えないデザインだ。

 阪急3番街は今後も栄えて欲しい。なお、3番街の名は「3番地」から、ほかに階数で表すところも17番街などある。

 気が付いたら、25年には万博が。阪急も阪急村を再開発するようだ。古い、新阪急ホテル、ターミナルビルからだろうが、御堂筋線と阪急の地下1階通路は両ビルの地下(主に新阪急ホテル)にかかる。どうやって解体するのだろうか。また、3番街も50周年だが、駅ホームも同様だ。耐震や劣化対応の工事が必要だ。

 とまれ、いやさかをお祈りする

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする