n45-50

ロシア・サハリンと北海道を結ぶ架け橋ネット。
サハリン州には。、ロシア人もウクライナ人も住んでいる混住地域です。

仏原発支持、58%に低下=日本は39%-世論調査

2011-04-21 18:23:15 | ロシア・地震予知情報
【パリ時事】フランス人の58%が原子力発電に賛成しているものの、その割合は東日本大震災前の66%から低下したとする世論調査が20日、同国テレビで公表された。

電力供給の約8割を原発に依存する「原発大国」フランスだが、福島第1原発の事故を受け、信頼が揺らいだ。
 AFP通信によれば、調査は事故後に47カ国で実施された。
原発への支持率が最も高かったのは中国で、70%。韓国が64%、ナイジェリアが63%、ブルガリアとチェコが各61%でこれに続く。

 原発反対はオーストリアの90%を筆頭に、89%のギリシャ、80%のグルジアなどが高率。
原発計画の無期限凍結を決めたイタリアは75%、反原発を掲げる「緑の党」が支持を伸ばしているドイツでも73%が反対と回答した。

 日本では事故前に62%だった原発支持が39%にまで急低下。
米国は支持が47%、ロシアは52%と、賛否が拮抗(きっこう)している。
 調査はギャラップ・インターナショナルなどが実施した。(2011/04/21-08:53)

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海に流れた汚染水、総量で4700兆ベクレル
読売新聞 4月21日(木)12時2分配信

 東京電力は21日、福島第一原子力発電所2号機の取水口付近から海に流出した高濃度汚染水の総量に関する推計を発表した。

 推計によると、今月1日から、固化剤の注入などによって流出が止まった6日までに約520トンが海に流れ込んだ。
汚染水に含まれていた放射性物質の総量は、ヨウ素やセシウムなどの合計で約4700テラ・ベクレル(テラは1兆)に上った。

 4、5日に集中廃棄物処理施設などから海に緊急放出された低濃度汚染水約1万トンの放射性物質の総量は0・15テラ・ベクレル。
今回の量は約3万1000倍になる。

 東電は、1日以前に付近を見回った作業員が水音を聞いていないことから、流出が始まったのは1日の昼頃と判断した。
放出された放射性物質の内訳は、ヨウ素131が2800テラ・ベクレル、セシウム134と137がそれぞれ940テラ・ベクレル。

東電工程表の水棺方式に頼っては危険、長期化

 福島原発事故で東電が収束に向けた工程表を発表しました。
ステップ1では原子炉内の核燃料の高さまで格納容器全体を水で満たす「水棺方式」を当面の切り札にし、これまで前面にあった原子炉冷却機能回復は検討課題に格下げされました。
東電発表「道筋詳細版」(PDF)の行間には、事故から1カ月、思惑通りに進まない現状がにじみ出ています。

 格納容器下部が破損している2号機は水棺方式適用の前に漏れ出している穴を塞がねばなりません。
そのために粘着質セメントの充填を考えているそうです。

私の持つ技術常識では、現に水圧がかかって漏れ出ている場所に注入して硬化し、水漏れをシャットアウトする素材を知りません。
水中固化させるにせよ、一定の養生が出来てから使えるものになるはずです。
「注入、即、実用強度で密着」といった好都合な素材があれば過去のトンネルなどの難工事がどれほど助かったことか。

 2号機の収束にこの方法は無理があると指摘した上で、格納容器が「健全」とされる1、3号機でも危険だと思えます。
健全だと言っても東電の格納容器はザルに近い存在だと考えられるからです。

今回の事故で最初に書いた「福島第一原発は既に大きく壊れている可能性(追補あり)」の時点から、核燃料の温度が上がって多少でも損傷するたびに、発電所正門付近の放射線量が敏感に上がる現象が観測されています。
これは格納容器が表向き「健全」であると言われながらも、密封性には甚だ疑問があることを示しています。

 1号機の原子炉建屋は特に高汚染で人は立ち入れないと言われます。
水棺方式にして高さ3、40メートルある格納容器の「首」のところまで水を満たし、結構な水圧がかかる状態なのに、見回りも出来ないのでは危なくて見ていられません。
東電も事前確認なしに水を溜められないでしょう。

 検討課題に格下げされた冷却系の回復を、旧設備の復旧ではなく外部冷却装置追加の形でいいから急ぐのが王道だと考えます。
容器損傷している2号機対策もこれしかありません。
この際、特注品である必要はありません。
日本ですから既製品の在庫があるはずですし、どこかのプラント向けに造られている製品でも流用・転用をお願いして駄目と言われることはないでしょう。

 最低半年から9カ月とされた安定までの期間が、実証されていない水棺方式に頼ると止め処なく長引くのではないかと恐れます。
避難半年でも職住を含めた生活再建は厳しいのに、1年とかになれば限度を超えます。避難の数万世帯で避難先に居ついてしまう方が多くなってしまいかねません。
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ユジノサハリンスク市 文化国際フェステバル開催

2011-04-21 08:37:59 | 旅行・観光・買い物
 
 大規模祭「連邦まで東 - サハリン地方の文化省によって設立 2011」、4 度目の開催です。
 5 ヶ月以上のストレッチ、この祭りは、近隣地域、ロシア内外の他の部分からのお客様と同様、最も創造的なチームは、必要があります。

 Старт празднику, призванному дать толчок развитию самобытных культур и сблизить представителей различных народов, проживающих на островах, дала новая концертная программа "Деревня моя, открывай ворота!". Зрителю был представлен полноформатный музыкальный спектакль-игра, главным действующим лицом которого стала русская народная песня в исполнении Сахалинского русского народного хора и ансамбля современной народной песни "Русский терем", которые с такой любовью и энергией уже много лет пестуют супруги Ирина и Андрей Мельниченко.

このプログラムを通して、ミュージシャンや歌手に美しい花輪がロシア民謡文化の織物が。この神経叢は陽気な悲しいと叙情的な歌の民俗アンサンブル舞踊」エキゾチカ「ノボ ステーションによって実行される多くの振付番号Rasševeliv 事実上瀕死サハリン民謡コーラス、イリーナとアンドレイ ・ メルニチェンコは非常に活気をなんとかロシア、時 ozorno スパーク リングの集団は、肩を今日の聴衆を確信しています。そしてここで途中で停止しないこと。

 Дополнительный колорит импровизированному сельскому гулянию на сцене Корейского культурного центра добавило участие музыкантов, и в первую очередь - лауреатов знаменитого Маланьинского международного конкурса-фестиваля Леонида Казанцева и Александра Ланина из села Озерского Корсаковского района. И вообще, надо отдать должное супругам Мельниченко, которые умеют не только собрать вокруг себя единомышленников, но и зажечь их интересной идеей, которая поначалу кажется и не воплотимой. И программа "Деревня моя, открывай ворота!" тому яркий пример.

 フェスティバルは、一方で、成長します。
4 月 23 日文化の家に「ん」ユジノサハリンスクは地域の祭競争振付アンサンブル「zakovyrki」名誉青年ダンス アンサンブル ハバロフスクから「Gorenka」のゲストとなるグッズをホストしています。さらにプログラム、祭日民族文化、料理、世界の人々 の。
 夏白樺の村では、子供たちのゲーム」は注目に値するマスター クラス映画コメディアンで、モスクワ劇場熱心。
パンフィロフ ロシア zabavuški」、主要な地域の競争をホストします。

 9 月のフィニッシュ ラインでは、Dolinska、コルサコフの人口 Holmska とユジノサハリンスク待つゲスト出演-ノヴォシビルスク アンサンブル「Zavolokinyh」Vecherniy ミンスク新聞やカムチャツカ地方全国のダンス グループ「Nulgur」の家族。両チームは、祭「連邦まで東-25 9 月の予定 2011」の最終的なガラ コンサートになります。Ploschad ポベーダ ユジノサハリンスクで今夜開催されます。

 民俗芸術、祭りの主催者の州の中心に報告された、ガラを話す機会すべて国民の創造的なグループやソリスト、8 月 1 日までを適用し、対象とする重要なことであります。
   ソース Sakh.com

長期プログラムでの文化公演をお楽しみ下さい。
 北海道からの観光ツァーもご参加ください。 サハリンマン
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アースデイの原点・歴史 40年前から現在までの道のり 北海道発

2011-04-21 06:51:37 | 環境
アースディにちなんで北海道でも各種催しが開催されます。
5月22日には大通り公園 6月4・5日 札幌円山動物園で開催される予定です。
又 道東帯広管内では、ヘンプ・オイルによる燃料を使った自動車の運行も予定されています。環境に優しい・安全・安心の原点を求めてみましょう。

アースデイの原点と歴史
John Roach
for National Geographic News

 アースデイの活動が始まった1970年当時、参加者は全米で2000万人だった。
それ以来、この活動は世界的な広がりを見せ、2009年の参加者は10億人に上ると予想されている。
ここでは、この大規模なイベントの原点や変遷について説明する。

 本来なら毎日がアースデイであるべきだが、一般的には4月22日にイベントが開催される。ではなぜその日なのだろうか。

 アースデイ活動の統括役によって創設されたアースデイ・ネットワーク(EDN)の代表キャサリン・ロジャース氏によると、第1回のアースデイとして1970年4月22日が選ばれたのは、その日が水曜日であったことが理由の1つだという。
全米で開催される環境問題の集会に多くの人を集めるには、水曜日が最適だと考えられたからだ。

「結果は目論みどおりだった。
水曜日は誰もが仕事に出ていて、その帰りに集会に寄ってくれた」と、同氏は解説する。実際、その初回のアースデイには全米で2000万人以上が参加したと推定されている。

アースデイはいまや、世界180カ国で毎年10億人以上が参加する大規模なイベントに発展している。

市民の怒りとある政治家の苛立ち

 アースデイの原点は1960年代の活動にある。
ロジャース氏によると、当時の環境は明らかな崩壊を見せていて、人々の心も荒んでいたという。「とにかく通勤時間帯の大気汚染がひどかった。
一部の都市では、通りの向こう側がかすんで見えないなんてことも珍しくなかった」と、同氏は当時を振り返った。

 しかしそのようなひどい有様でも、アメリカ政府の政治課題に環境問題は盛り込まれていなかった。状況を憂慮したウィスコンシン州選出の上院議員ゲイロード・ネルソン氏は1960年代を通じて環境問題に取り組んだが、どの活動も成果が出ることはなかった。

アースデイの誕生

 1969年にネルソン氏は新たな環境活動のアイデアを思い付いたが、それはベトナム戦争当時に反戦をテーマとして行われていた“ティーチ・イン(teach-in)”をモデルとしていた。
ティーチ・インとは、大学などで演説や討論を行う活動のことである。

「最初から大きな反響があった。全米から電報、手紙、電話で問い合わせが殺到した」と、2005年7月に89才で死去する直前、ネルソン氏はエッセイの中で述べている。
「ついには討論会が開かれるようになり、アメリカ人が陸や川、湖、空気に起きている問題について懸念を表明するようになった。
とにかくすごい活気だった」。

 同氏は1970年4月22日にティーチ・インを開催したが、そのまとめ役に選んだのが活動家のデニス・ヘイズ氏である。
この日の催しはいまでも、現在まで続く環境保護運動の原点として語られることがある。

 そして1970年内にアメリカ環境保護庁(EPA)が設立され、空気や水の浄化を目指す取り組みは政治的な問題としても扱われるようになったのである。

その後の歩み

 アメリカ、ワシントン D.C.にある世界資源研究所のエイミー・カッサラ氏は、地球環境の世界的な傾向を次のように分析している。
「アースデイが始まってから、小事として扱われていた環境問題が大きな関心事となった。
いまや、アメリカ人の80%が自らを環境保護論者と評している」。

 アースデイのイベントでは公園の清掃や植樹活動が行われているが、アースデイ・ネットワークは1日限りのイベントから長期的な取り組みへとアースデイを発展させようとしている。
「植樹といっても木を植えるだけでは意味がない。
その後も長期的に手入れをしていかなければ木は育たない」と、前出のロジャース氏は指摘する。

 アースデイ・ネットワークは、いまや世界中の多くの学校と連係し、環境要素のあるプロジェクトを1つにまとめ上げ、通年の活動計画を確立しようとしている。
「その成果が今年のアースデイに発表されれば、以後は一瞬一瞬がアースデイとなる」とロジャース氏は言う。

 カッサラ氏が所属する世界資源研究所は、アースデイを利用して環境活動のリーダーたちを招集し、活動の進捗状況を評価しているという。
「アースデイといっても、かつてのようには一般の意識を高めることはできない。とはいえ、実際に活動を行っている私たちの意思を統一するという役を担っている」と、カッサラ氏はアースデイを評価した。

Photograph from AP/Temple University

日本政府も東京電力もとても残念「反アースディ」となってしまった。
 世界に放射能を拡散させている現状である。
 原発事故もロシア・アメリカ・日本と続いているのが非常に残念無念である。
 サハリンマン
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