北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

登山道の画像が少ない 上高地⑦:長野県松本市

2017-09-02 10:21:50 | 山歩き

2017年夏旅:その9 エピローグ・さあ帰ろう その前に岡崎城(愛知県)

 梓川の左岸はアップダウンが少なく、歩きやすいので登山者が多い。

 針葉樹林・・・種類は判らないが・・・の中を行く。それでも沢からの流れが所々で見られる。

 森林浴といえようか、オゾンをたっぷり吸いながら、随所でシャッターを押した???はずが、木梨平のキャンプ場しか画像がない???(その後のビジターセンターやバスターミナルの画像もない・・・)

 最初徳沢園まで歩くつもりだったが、明神から先は登山道、大きなキスリング(私語?ザック)を背に黙々と歩く登山者と同列に歩くのは?!?まして行ったら帰らなければならない。。その時間2~4時間なのであきらめた。

 この後「五千尺ホテル」のビーフシチューが定番だが、もちろん予約がなくては食せない。天気と歩きの具合で行動が予測出来ないので、予約を入れることは出来なかった。一階のカフェ「5HORN」でスタッフお勧めのケーキとパフェ、紅茶とコーヒーを妻とシェアして昼食とした。バスターミナルや梓川周辺を散策して早めに宿へ戻り、「穂高連峰一望♪上高地の絶景」を満喫した。

 翌朝は雲が低く天気が良くなく穂高も雲の中、雨もぱらつきそうなので早めに宿を出て、来た時のタクシーに電話をして沢渡の駐車場に戻った。poohさんのblogにあった「日本アルプスサラダ街道」を通って塩尻へ???確かに「サラダ街道」の意味がわからない!!

 木曽路は「道の駅」街道。雨は降ったりやんだり、なぜか車を降りる時には傘は差していない。ルート19号を「道の駅」各駅停車で走った。その数4?5?6?塩尻峠を入れると8カ所になる。(紹介記事『中山道は「道の駅」街道』はこちら)木曾から美濃に入り中津川ICから中央道、東海環状道、東名道と走り宿泊は「岡崎」とした。ここから両親の墓までは1時間足らず。ホテルの部屋の正面は「岡崎城」。

 翌日墓参りを済ませ、5人兄弟のうち唯一人ふる里に残っている末弟の仕事場を訪ねてから東京に向かい、今年の夏旅は終わった。



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2 コメント

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おはようございます。 (pooh)
2017-09-07 08:42:54
一気読みさせていただきました。
大正池、確かに昔と雰囲気が変わっていましたね。
私も数年振りだったので、あれっ違う感じ?って思いました。
サラダ街道・・・
そんな名前を付けるなら、もう少し・・・って思いますよね。
地図にも出てるんですよ。
サラダ街道って(笑)

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想い出は?? (koba3)
2017-09-07 11:11:04
poohさん おはようございます
大正池 思い込みが激しかった分
アレ!感が強く 結局車窓からのみとなりました
その分余計に明神池が神秘的でした
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