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旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

豪邸で食事!! 上杉伯爵邸:山形県米沢市

2010-08-16 13:10:47 | ぶらり旅

2010年夏休み その1

 今年の夏休みは8月12日から4日間としました。宿泊先は決めてはありましたが、何処で何をするかの細かい計画は殆ど決めてありませんでした。GWの北東北の桜を巡る旅の様に特段の目的はなく、予定地はいずれも数回行っており見落とした場所と再来したかったスポットの洗い出しとしたのでした。その中でメインとしたのが米沢「上杉伯爵邸」での食事でした。



 14日最終宿泊地の米沢は時折傘をたたむこともありましたが、あいにく雨が降り続いていました。米沢は3度目となりますがいずれも吾妻山の登山目的だったので、街中は通り過ぎた程度だったのです。門を入って玄関へ、若い頃だったら身がすくんで入ることもままならなかったでしょう・・・そんな豪壮な雰囲気でした。



 明るい内にと玄関脇の中門を入ると「東京浜離宮に依って造園された庭園」という見事な庭がありました。

 



 庭から眺めた建物ですが、二階の角の部屋に通されました。



 まさに特等席、一目で庭が眺められます。

 



 米沢前二回は「鯉の六十里」で鯉料理を食べているので、時には「米沢牛」を選びたかったのですが、お金さえ出せば東京でも食べられるものを旅先でわざわざ!!・・・ということで避けていたのです。web上をあちこち探して上杉伯爵邸の「献膳料理」と名付けた独特の郷土料理を見つけました。「上杉家十代藩主上杉鷹山公は、凶作に備える施策として「かてもの」という食の手引書を編纂し藩内に配付した。それに由来する郷土料理です。(HPより)」更に鷹山公がタンパク質補給のため養殖を広めたという鯉料理を追加すると、米沢の醍醐味が味わえます。そして幸いにも「米沢牛ステーキ祭り」の催しの最中、格安でステーキも食べられたのです。??もちろん!妻と二人で両メニューを一食宛注文、仲良く分けあって三種の料理を堪能しました。

 上杉伯爵邸の由来をHPより引用すると「明治29年、元米沢城二の丸跡に上杉家14代茂憲(もちのり)伯爵邸として建てられました。当時は敷地約5,000坪、建坪530坪という壮大な大邸宅でした。
しかし、大正8年米沢大火で類焼し焼失。大正14年に、胴板葦き、総ヒノキの入母屋づくりの建物と、東京浜離宮に依って造園された庭園が完成いたしました。」とありました。全体像は入り組んだ造りなので撮し切れませんが、更に奥まった部分にも部屋が連なっていました。



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