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コンクリート造りと純和風 清風亭・旧渋沢邸:埼玉県深谷市

2019-02-14 17:02:44 | ぶらり旅

 鉄筋コンクリート造りとあったが、白壁にレンガがあしらわれて和風洋館造りの感があった。この「清風亭」は天皇皇后行幸啓の記念の植樹を挟んで「誠之堂」に並んでいた。

 「清風亭」は渋沢栄一を継いで第一銀行第2代頭取を務めていた「佐々木勇之助」の古希を記念して誠之堂と並べて、同じく第一銀行行員達の出資で建てられた。移築も同じ。

 テラスのアーチにもレンガの縁取りがあったが、均一でなく細工があると案内人の解説があったが、それが何であったか???

 縦樋の上部にも何かの細工があったが、こちらも???

 室内からもアーチの窓が異国情緒を・・・スペイン風の様式とか・・・。窓ガラスを縁取ってステンドグラスが施されて???カーテンでよく解らない。

 公民館を出て少し先には尾高惇忠生家、渋沢栄一記念館と続くが素通りして「旧渋沢邸」へ向かう。駐車場の先に正門があった。

 門に並んで「副屋」が扉を開けていたが、立ち寄らなかった。

 旧渋沢邸は「中の家(なかんち)」と副記されていた。このあたり渋沢一族が分家して多数在していたので、区分けして呼ぶため位置を示して呼んだとされている。

 門を入って右手にはお蔵が2棟並んでいた。

 こちらにもガイドのおじさんが待ち構えていて、椅子に座して膝つき合わせ渋沢家の由来やら出世物語を解説された。余りに細かく語るので先に進むのには数時間要するかもしれないので、先を急ぐとやっと逃れた。

 従って内部は覗けず、外観のみを撮っておいた。もっとも数度の火災のため、現存主屋は明治28年再建されたものという。「煙出し」と呼ばれる天窓や、家屋の配置などは養蚕農家の典型的な形を残していると書かれていた。

 庭の池の畔の銅像は若き日の渋沢栄一像と記されていた。

 まだ日暮れまでは時間があったので、周辺風景に浸るため下道を行くことにして田園の中を走った。深谷バイパス、熊谷バイパスは関越道が開通するまではスキーへの往復にしばしば走っていたが、バイパスを過ぎた辺りかは定かでないがいつの間にか中央に緑地を残したまま道路の拡幅はされておらず、やや走りにくくなったので直近の圏央道のICへ向けハンドルを切って、東北道経由で帰宅した。



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