「青淵文庫」のステンドグラスに見入ってしまった。
飛鳥山公園児童遊具を横目に見て進むと、鉄柵で囲われた一角があった。「旧渋沢家飛鳥山邸・ 旧渋沢庭園」の入り口、開門されていた。渋沢栄一命日とあって「青淵忌」資料館始め施設は無料開放とあった。
田園調布の開発に関わったとしか理解していなかったが、資料館で渋沢栄一について初めて認識した。事業家で富裕層であったことを・・・。資料館は最近の建築、重要文化財の2棟に向かった。先ずは「青淵文庫」
ステンドグラスもタイルも家紋にちなんだ柏の葉文様とあった。
少し離れて木立の中に「晩香廬」が、こちらは洋風茶室とあって木造のようだ。
妻の関心事は茶室「無心庵」跡にあったのでそちらに向かう。途中社が、由来書きはなかった。
「無心庵跡」は掲示のみであって詳しい案内はなかった。家内はしきりに礎石や蹲い・灯籠の配置を見極めて、茶室の姿を再現想像しているようだった。
邸宅跡といってもかなり広く、木立や植栽も維持されていた。児童公園を抜けてJRの線路の反対方向へ丘を下ると「広場」があった。
観客席に取り囲まれる中一段上がって舞台が作られ、ライブ演奏の最中だった。
この後JR王寺駅まで戻ったが、飛鳥山から見えていて傍らを走っている都電で大塚まで戻ることにした。路面を走るのは僅か、専用軌道が殆どの路線で早稲田までしか都電はなくなって乗る機会は殆ど無いので・・・。かっては学生時代下宿していた渋谷区新橋町(現恵比寿)近くの天現寺橋には都電車庫があり、国鉄時代のストライキの時には渋谷橋・天現寺橋から信濃町を経由して大学のあった水道橋まで乗り換え無しで行けた記憶がある。そのときの車掌さんが偶然下宿の主のオジサンであったと、遠い思い出となっている。
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