指揮者 神尾昇の一言

日々の生活の中でちょっとした事などがあったら、ちょろっと書き留めて行く、そんなブログです。

「音楽」の力

2011年03月20日 | Weblog

私の住んでいる地区は、山崎パンの大きな工場などがあるからか、停電の地区から外れました。

当面は停電がない、ということで今急ピッチで進めているオペラの日本語訳の資料の作成が何の心配もなく進められます。

6月上演予定のオペラの準備もしなければならないし、これまで暇で暇で仕方ない、という状況はなかったので私としては仕事があって良かった、と思いました。

先日のカインズの練習に向かう前に早稲田の王将で昼食を摂ったのですが、働いている人は皆本当に活き活きしていました。

やはり人は働いている事が一番だなぁ、と改めて考えた一週間でした。人が動く、と書くのですから。

昨日は新都心男声合唱団の練習。私としては震災後初の練習になりました。

出席者は少なかったですが、やはり皆で顔をあわせるという事は良い事です。

自分のところで停滞した気の流れ、が一気に流れ出すのが感じられました。

東北地方の高校の合唱部や吹奏楽部が被災地で演奏して皆涙を流していた、というのをテレビで見ました。

私は慰安演奏というものはもうちょっと落ち着いてからでないと受け入れにくいのでは、と考えていたのですが改めました。

そこで新都心男声合唱団に一つの提案をしました。

この合唱団は無伴奏で歌っている曲も多いのですからピアノ無しでも演奏可能です。

しかも団の愛唱歌集になっている曲からであれば聴いてパワーをもらえる歌もたくさんあります。

団内指揮者もいるので私がいなくても演奏できます。

という事で、被災地に行くのは無理にしても都内や近郊で福島からの受け入れ先は今たくさんありますから演奏をやって来てはどうか、と。

しかし練習してみて、ある程度上手くないとやはり聞かせられない、ということは分かりましたが・・・

並行してカミオファミリー義援金を募る事にしました。

練習が再開された各合唱団に持っていきますのでよろしくお願いします。

最後に紀貫之による「古今和歌集」の有名な仮名序を転載しておきます。

私はこの「やまと歌」を単純に「歌」または「音楽」にして感じ入りたいと思います。

 

古今和歌集 仮名序

やまと歌は
人の心を種として
よろづの言の葉とぞなれりける

世の中にある人 
事 業しげきものなれば
心に思ふことを見るもの聞くものにつけて
言ひいだせるなり

花に鳴くうぐひす 
水に住むかはづの声を聞けば
生きとし生けるもの 
いづれか歌をよまざりける

力をも入れずして天地を動かし
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ
男女のなかをもやはらげ
猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり


和歌は、(喩えて言えば)人の心を種として(そこから生じ茂って)、さまざまな言語の葉になっているのだなあ。

この世に生きている人々は、(いろいろな)出来事や任務が多くて煩わしいので、(その時々に)心に思うことを、見るもの、聞くものにことよせて、(和歌として)表現したのである。

(春に)花の間で(花を恋い慕って)鳴いている鶯や、(秋に)水の中に住む河鹿の鳴き声を聞くと、だれが歌を詠まないということがあろうか、いや(鶯や河鹿に至るまで自然界の)すべてのものが歌を詠むのであるよ。
力を入れないで天や地の神々を動かし、目に見えない死者の霊魂までにしみじみとした感動を与え、男女の仲を睦まじくさせ、勇ましい武士の心までをも和らげるものは和歌である。

 

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3 コメント

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Unknown (mamarie)
2011-03-20 15:26:14
自然体で、素敵な和歌ですね。
私の故郷にも思いを歌にして伝える風習があります。生活の中から自然に湧き上がる感情や風景を言葉を借りて表現し、感情に抑揚がつく。
音符にするには難しいのですが、口伝えに自然に覚えてきました。男女の想いのやり取り(掛け合い)はとても素敵ですよ。

「言葉」・・感動的な「送る言葉」を見つけました。

「卒業式を中止した高校の卒業生に送った校長先生の言葉」メッセージが同校ホームページに掲載されました。同校長は卒業生らへの祝辞を述べたうえで、今回の大地震について言及。

「私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う」
「大学に行くとは、『海を見る自由』を得るためなのではないか。
悲惨な現実を前にしても云おう。
波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。
荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。貧しさを恐れるな。船出の時が来たのだ。
思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。
忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。
愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう」(抜粋引用)

18才のまだあどけない子供たちが、どのような思いでこの言葉・メッセージを受け取るのでしょうか。厳しくもあり、雄雄しく、また繊細でやさしい言葉が沢山です。
校長先生の切なる押さえ切れない感情が手にとって解りますよね。
人生を折り返した私達は、どのように受け止められるのでしょう。
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Unknown (下山吹)
2011-03-20 17:44:17
仮名序の文句は知ってはいたのですが、理解がうすかったというか、
これまであまり腑に落ちませんでした。
「やまと歌」を広い意味での歌に置き換えるとこの文の意味がはっきりと伝わってくるように思います。
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Unknown (Noboru)
2011-03-22 15:29:39
mamarieさん
勇気の出る言葉ですね。こういうことは体験した者しか本当の事は解らないし、体験した者だからの言葉の強さがありますね!
彼らはきっと逞しく巣立っていく事でしょう。

下山吹さん
コメントありがとうございます。
私は短歌や和歌を嗜まない人間ですが、この仮名序はストン、と胸に入ってきました。
西洋音楽とて根本は同じだと思います。
まあ、蛙にも情緒を見出すのは日本人だけかも知れませんが…
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