私は漢字を眺めるのが好きで、講釈にも良く使っている。
例えば憶えるというのは「意識してここの中にある状態」それが心の中から亡くなると「忘れる」、心を貫くと「慣れる」になる、とか、
自分の夢を十回口に出していうと「叶う」とか、
「辛い」のは一歩手前だからもう一本足すと「幸せ」になる、とか。
もっともっとそういう「仕組み」を知りたくて高橋政巳さんと伊東ひとみさん共著の「漢字の気持ち」という本を買った。
これから読むところだが、内容的には例えばこういうものがあった。
「響」という文字はごちそうが置かれたテーブルをはさんだ人同士が、「ああだ、こうだ」と会話しながら楽しく食事をしている情景を表している。
納得。
漢字は元々は中国から来たものだがその元祖は「人間」や「自然」そのものであると思う。
読むのが楽しみだ。
かの2チャンネルで以下のような文が掲載されたそう。
これはこれで面白い。
『鬱』という字はリンカーン(林、缶)は(ワ)、アメリカン(※)コーヒー(凵、ヒ)を三杯(彡)飲む」