オペラ徳島の練習に週末行ってきた。
土曜日に入りキャストと合唱の練習。
日曜日は朝からはオーケストラの練習、午後からキャストと合唱の立ち稽古。
オペラ徳島に限らず私は指揮と演出をする時は休憩をほとんど取らないで一気にやってしまうのだが、オペラというのは出ずっぱりでないのでキャストも合唱も適当に休める。
ピアニストがそういう意味では大変なのだがオペラ徳島は三人のピアニストがいるので交代で弾いている。
私にとってはオペラはそれくらい面白いものだ。
では何がそんなにも面白いのか、いつも練習が終わってから考える。
何がそんなに面白いのか・・・
実はそれがよくわからない。
小説を読んだり、テレビドラマや映画を見る事と似ているのかもしれないが、とにかくそれらは熱中すると時間を忘れる。
でもじゃあ、何が面白いのか、と聞かれると明確な答えが出てこない。
テレビドラマは積極的に最近は見ていないがそれでも朝の連ドラはここ何年も欠かさず見てしまっている。
小説も欠かさず読んでいる。映画館にも結構な頻度で通っている。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の中で正岡子規が、俗的な貸本を借りていることを指摘され、「これがどうしても止められんのじゃ」と言っていたシーンがあった。
涙あり、笑いありの感動を求めたい、という気持ちがあって人はそれらに興味を示すのだろうが、私にはもっともっと深いところに理由があるような気がする。
「トリスタンとイゾルデ」もワーグナーが自分の愛の苦悩のために筋を書き換えたんですよね。。その話題は別の機会に。
一種の憧れですか...これも深いですね...
モーツァルトを聴くと、物語はあんなにお下劣なのに音楽はとびきり清らかで、フィガロの最終場面の感動やドンジョヴァンニの地獄落ちの震撼だったりは言葉では表現できませんね。それらは一度聴けばいつまでも感覚の中に残っているような気がします。
ワーグナーを聴くと体の奥底から突き動かされるような(ちょっと危険な)興奮を覚えたり、プッチーニのオペラって、話は薄っぺらいのに、曲の力で(不覚にも)いつも涙が流れてしまったり・・・ヴェルディのオテロやリゴレットは、主人公の苦悩が何度見ても自分のことのように入ってきてしまいます。
ひとつ答えがあるとすれば、「愛」(男女の愛だったり親子の愛だったり)の世界が、音楽や役者の表情や演技や演出が相俟って、自分の心にダイレクトに訴えかけてくるからなのではと・・・愛は普遍ですから。
もうひとつあるとすれば「死」ですかね・・・まだ死んだことのない現世の人間には、オペラの中の死は一種の憧れになっているような気がします。カーテンコールで、死んだ主人公が生き返り拍手喝さいを受けると、また改めて感動したりします。
先生のブログは、そんなことを考えさせていただく良い機会になりました。