漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

記憶に残る一打

2009年10月30日 | スポーツ
今日のホームランは、
彼の華やかな野球人生の中でも、とりわけ記憶に残る一打となるのだろうな。

そう思わせるに充分な松井選手のホームランでした。

マルティネス投手の、
インコース膝元へ食い込むように落ちてくる変化球を、
腰を落とし気味にして、掬いあげるようにライトスタンドへ持っていった。

決してあまい球ではなかった。

ヤンキースは、
きのうの第一戦に負けており、今日負けると優勝は厳しくなる。

処が、今日も先行され苦しい試合展開、
やっと追いついた後のホームランで、これが決勝点となりました。

これで一勝一敗、
ワールドシリーズは振り出しとなって、
こんどはフィリーズの本拠地、フィらディルフィアに舞台を変えます。

フィリーズのファンは熱狂的なことで知られており、
さぞ盛り上がることでしょうから、これからが面白くなるところです。

処でそのフィリーズの監督は、御存知「赤鬼・エマニエル」、
昨年、同じフィリーズを率いて、「ワールドシリーズチャンピオン」となった名監督です。

もっとも赤鬼は、日本時代のニックネーム、
アメリカの野球ファンには、ピンと来ないかもしれない。

マニエル選手は、守備と走塁にやや難があり、
大リーグでは花開かなかったが、日本に来てからは大活躍。

在籍したヤクルト・スワローズと、
近鉄バファローズでは、
両チームを、球団創設以来の初優勝に導き、その年の本塁打王となっている。

契約などで揉め、日本を去ったが、その後、「1A」の監督からスタート。

大リーグには、
その下部リーグとして、3A、2Aとあって、
「1A」は、まだその下、
これを日本流に云うなら「四軍」と云う事になります。

その当時のことを、マニエル監督は、

「昔は選手の能力を考えず無理な要求をして、
 癇癪を起こした事もあったが、それではダメだと気付き、我慢することを学んだ。

 あのままだったら、とっくにクビになっていた」と、

ワールシリーズ前の記者会見で語り、周囲を笑わせたそうだ。

日本に居た当時は、
「大酒飲みの暴れん坊」と云うイメージだったから、
この談話には説得力があり、指導者として苦労したであろうことが偲ばれる。

以後、徐々に実績を積み、
世界一のチームの監督となったたわけだが、
以前、
「自分が日本でプレーした6年間がなかったら、
 今こうしてメジャーで監督はやっていない。

 これだけははっきり言えるが、
 日本での経験はそれだけ私にとってかけがえのないものだった」と語ったことがある。

そう云えば、、昔、
阪神タイガースから大リーグに復帰したセシル・フィルダー選手が、
あちらでホームラン王を獲得した時、
その秘密を聞かれ、
「日本で辛抱する事を覚えたから」と語っていた。

日本の投手は、初球から変化球で攻めてくる事がが多く、
中々、まともに勝負をして来ないから、

まだ変化球打ちが苦手だったフィルダー選手が、
焦って、打ちにいくと、相手投手の術中にはまってしまう。

そこで、カウントが有利になるまで、
「待つ事を覚えた」、
つまり、「辛抱する事を覚えた」と云う分けです。

その息子のプリンス・フィルダー選手や、
ロッテで活躍したレオン・リー選手の息子、デレク・リー選手は、今や大リーグのスター選手。

昔は、
はるか海の彼方だった大リーグも、身近になったモンであります。




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