きのうの続き。
白川静氏の批判には、
当用漢字を決める際に行った「字形の変更」もあるのだが、
素人としては、むしろこちらの方が興味深い。
例えば、
「害」や「告」などの元の字は、
タテ棒が、口の上まで突き抜けていたし、
「臭」、「器」、「類」、「戻」などは、
元々は「犬」であったものを「大」へと変更されている。
氏は、これを「理由なき変更」と非難し、
「大」は「人」が手足を広げて立つ姿であり、
イヌの象形文字である「犬」と入れ替えては、
「字の構造的な意味が失われた」と批判する。
確かに、
「犬を人へ」では、
「点一つのこと」と、軽く見過ごす神経にはなれない。
因みに同字書で、「臭」を引くと、概略次のようにある。
~~~~~~~~~~~~
【臭】 しゅう(シウ) くさい におい におう
会意文字。
元の字は、自と犬を組み合わせた形。
「自」は正面から鼻を見た形、
これで「犬の鼻」をあらわす。
犬は動物の中でもことに嗅覚が鋭いから、
これで「においをかぐ」の意味となり、
「わるいにおい、くさい」の意味に用いる。
今の常用漢字では、
「大きな自(鼻)」となり、においの意味とならない。
常用漢字はこのように、
字の構造や意味を理解できないように変えている場合がある。
~~~~~~~~~~~~~
ついでに、「類」と云う字も紹介しておくと、
こちらは、
「米と犬と頁を組み合わせた形」で、
「頁」は、儀礼の時の衣冠を整えた姿。」
これで、
「米と犠牲(いけにえ)の犬を供え、礼装して拝む形となる。」
とあるから、
わずかに「点ひとつ」のこととは云え、
常用漢字のように、
「犬」を「大」に変えては、
生贄(いけにえ)が、犬から人に変ってしまう。
もし、白川先生がご存命なら、
「子供に聞かれてこまる」と云うような理由で、
「しんにょう」の点を、
一つにまとめようとする意見に、どう反応されるか、
それもまた興味深い。
白川静氏の批判には、
当用漢字を決める際に行った「字形の変更」もあるのだが、
素人としては、むしろこちらの方が興味深い。
例えば、
「害」や「告」などの元の字は、
タテ棒が、口の上まで突き抜けていたし、
「臭」、「器」、「類」、「戻」などは、
元々は「犬」であったものを「大」へと変更されている。
氏は、これを「理由なき変更」と非難し、
「大」は「人」が手足を広げて立つ姿であり、
イヌの象形文字である「犬」と入れ替えては、
「字の構造的な意味が失われた」と批判する。
確かに、
「犬を人へ」では、
「点一つのこと」と、軽く見過ごす神経にはなれない。
因みに同字書で、「臭」を引くと、概略次のようにある。
~~~~~~~~~~~~
【臭】 しゅう(シウ) くさい におい におう
会意文字。
元の字は、自と犬を組み合わせた形。
「自」は正面から鼻を見た形、
これで「犬の鼻」をあらわす。
犬は動物の中でもことに嗅覚が鋭いから、
これで「においをかぐ」の意味となり、
「わるいにおい、くさい」の意味に用いる。
今の常用漢字では、
「大きな自(鼻)」となり、においの意味とならない。
常用漢字はこのように、
字の構造や意味を理解できないように変えている場合がある。
~~~~~~~~~~~~~
ついでに、「類」と云う字も紹介しておくと、
こちらは、
「米と犬と頁を組み合わせた形」で、
「頁」は、儀礼の時の衣冠を整えた姿。」
これで、
「米と犠牲(いけにえ)の犬を供え、礼装して拝む形となる。」
とあるから、
わずかに「点ひとつ」のこととは云え、
常用漢字のように、
「犬」を「大」に変えては、
生贄(いけにえ)が、犬から人に変ってしまう。
もし、白川先生がご存命なら、
「子供に聞かれてこまる」と云うような理由で、
「しんにょう」の点を、
一つにまとめようとする意見に、どう反応されるか、
それもまた興味深い。