漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

無縁で生を全うする

2011年03月02日 | Weblog
去年だったか、NHKで、
都会の片隅でひっそりと亡くなり、
遺骨の引き取り手もない人たちを取り上げた「無縁社会」と云う番組があり、

その反響が大きかったか、今年は何回か特番を組んでいた。

その番組を見て、
放送作家の鈴木おさむ氏は「こわかった」と云い、
タレントなど多彩な活動を繰り広げているテリー伊藤氏は、
「なんで番組の最後に解決策を提示しなかったんだよ」と怒っていた。

しかし私の思いは少し違う。

深沢七郎に「楢山節考」と云う短編小説がある。

何回か映画にもなっているので、ご存じの方も多かろうと思うが、
「姥捨て伝説」を下敷きにした話で、

この村では得られる食料が限られており、
老人は成長した若者に食料を譲るため、深山に捨てられるオキテ。

七十歳を迎えた「おりん婆さん」が、
村のオキテ通り、息子を励ましながら自ら死地に赴くと云う物語。

処で、この村では、
結婚も生活のため必要だからするのであり、
「年恰好さえ合えばそれで決まったも同じようなもの」なのだ。

男は山仕事や畑仕事で一日中重労働だし、
女は朝早く起きて、焚き木で飯を炊き湯を沸かさねばならないし、
畑仕事の合間に川へ行って洗濯をし、子育てもしなければならない。

つまり、一人では生きていけないのだから、
当然のこととして、結婚は愛だの恋だのと云う話とは無縁なのです。

これは小説の中の絵空事でなく、
つい何十年か前まで、実生活の中にも生きていたことで、

「女が結婚もせずにどうして生きて行くのだ」とは、
二十代も半ばになった娘を心配する当時の親が必ず言ったセリフ。

一方、無縁社会に登場した人たちは、確かに係累は居なかったが、
誰にも迷惑をかけず、清潔に、つつましやかに生を全うした人たちばかり。

貧しくとも、生活が破綻していたわけではないから、
見方を変えれば、「結婚しない自由」を生きた人たちだとも云える。

遺骨の引き取りてがないことだけを取り上げて、

「淋しかったはずだ」とか、
「可哀そうに」などと云う思い込みから身の上を詮索することは、

「傲慢(ごうまん)に過ぎる」、

な~んてね、

アノ番組を最初に見た時、私などは思ってしまったのでありますよ。








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