漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

○池田喜平治の事 ④

2010年03月08日 | Weblog
きのうの続き。

さて今日は瀬名氏明が、
捕虜となった喜平治を願い出てまで、わざわざ預かった心中を語ります。

尚、以下の文中、

「御身(おみ)」は、あなた。対等かそれに近い相手に対して使う。
「知音(ちいん)」は、知り合い、友人。

「目を懸ける」は、気に入った人物を引き立てること、贔屓(ひいき)にすること。

「不徳(ふとく)」は、自分の徳が足らぬこと。
   
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瀬名殿、喜平治に向い。

「御身は昔よりの知音なれば、預かり申すなり。
 さて又、
 知音と云いおきながら縄をかけおくでは、預かりたる甲斐もなし。

 然らば、縄を解きておく故、
 我らが連れとして、
 我らが御陣内をば、らくらくと歩き給え、ただ、他の陣場へは行き給うな、

 コレ、御身に昔 目を懸け申したる故に、預かりて楽に置き申すなり。

 その事、承知なら、
 国に帰りたき時には、行きたまえ。

 心許した者に背(そむ)かれるなら、我が不徳、

 我が一命に知行を添え、
 勝頼公へ差し上げ申すまでの事にてそうろう。」

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「知音」と云う言葉は、中国の故事から出ている。

中国、春秋時代、
琴の名手・伯牙(はくが)には、
鐘子期(しょうしき)と云う心を許した友がおり、

伯牙が琴を弾く時、
深山を思えば、
鐘子期の心にも深山幽谷の景色が映り、
流れる水を思いつつ弾けば、悠々たる大河の流れが鐘子期の心に浮かんだ。

琴の名手、伯牙にとって、
鐘子期はかけがえのない理解者であり、心の友であった。

その鐘子期が亡くなった時、
伯牙は、
「もはや、我が琴を聞かすべき人はない」と嘆じて、
弦を切り、胴を断ち割って、以後再び琴を手にしなかった。

そこから、「音を知る」と書いて、
尊敬しあい深く理解しあった友のこと云うようになった。

ただ、後には、
単に知り合いや知人程度の意味でも使うようになったから、

これを記した大久保彦左衛門が、
喜平治と瀬名氏明の仲を、
どのような意味合いで「知音」と書いたかまでは分からない。

しかし、裏切られたら
「命を差し出す」とまで云っているのだから、
双方に何か、深く惹かれ合うモノがあったのだろう。






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