漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

森の精

2013年10月05日 | せけんばなし

このごろ、式年遷宮だとかで、
伊勢神宮の報道が多いですよね、

テレビで見るかぎり、参拝客もかなり多そうです。

今から二十年ぐらい前かな、
夫婦で行ったお伊勢さんは、閑散としていてね、

土産物屋の並んでいる商店街など、客の姿を見かけないほどだった。

処が、二年ほど前、
我が同居人ドノが友人らとお参りした時には、

参拝する人がかなり増えていて、
すでに商店街も混雑していたそうですから、

今年の遷宮だけでなく、
何年か前、若い人の間で「パワースポットだ」とか言い出してからは、

伊勢神宮にお参りする人が増えていたようです。

それにしても、夕べ見た番組では、お客さんがあふれてましたねぇ。

むかし、私が子供のころなんか、
「修学旅行はお伊勢さん」と決まっていたんですが、

学校のセンセイたちの考え方でしょうか、
いつの間にか、伊勢からヒロシマ、ナガサキへと、

その座が取って代わり、
お伊勢さんから小中学生の姿が減っていたようですね。

でも、まぁ、そんな、
浮世の浮き沈みを超越してこその「お伊勢さん」なんでしょうけれどね。

私が思うに、
お伊勢さんの真のネウチは、正殿はもちろんですが、

あの深い森にあるような気がします。

あの森に入っていくと、

参道を歩くうち、自然と心が鎮まり、
人知を超えた存在を認めてしまうような気に打たれます。

それで思い出したのですが、
今年の夏、私の郷里に帰ったとき、

近くにある神社に詣でたのですが、
息子たちの家族が一様に驚いていたのがその森の深いこと。

私は見慣れた風景ですから気づかなかったのですが、

云われてみれば、なるほど、

確かに参道の両側の森の木は、
杉も檜も大人が二人以上で手を回さないと囲めぬ大木ばかり。

しかも鬱蒼(うっそう)としている。

都市だと、かなり名の知られた神社でも、
林の向こう側を走るクルマが透けて見えるような処が多いですからね。

「こんな無名の神社が」と驚くのもムリはない。

私の田舎は、
人里でも海抜が三百m以上、

おまけに、このごろは木材不況、
木を切っても手間を考えると赤字になるとかで、
街道筋の森も人手が入らず、昔よりは深くなっているようです。

特に、神社の森は神聖ですからね、
よほどのことがない限り切らないから大木が多いはずです。

しかも田舎の神社とあって、
普段は人影もまばらですからね、

息子らの家族たちも
深い森の参道を歩くうち、

その静謐(せいひつ)さに神聖な気を感じたようです。

その神社の参道入り口には、
旧東海道が通っていてバス停があるんですよね。

私が田舎の中学生だったころは、
バス通学でしたが、

その駅には二時間に一本ぐらいしかバスが来ない。

だから、バス停には早めに行って待つわけですよ。

遅れたらタイヘン、
「また二時間」ですからね。

冬の夕方、
暗くなった森の前でバスを待っているのは、

いま思えば、
「となりのトトロ」の一場面のような雰囲気でしたよねぇ。






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