我が同居人ドノの元の同僚で、
古くからの友人が、
先年ご主人を亡くし、
このごろは会うたびに「淋しいよう」と言うのだそうです。
でも、このご主人は、
いい人なんですが、俗に云う「カイショナシ」。
漢字で書くと「甲斐性無し」。
つまり生活力のまるでない人で、
酒も博打も、もちろん女遊びもしないのに、
商売では損をしてばっかり。
結局、その友達が「朝に、晩に、」と働いて、
一家の生活費から、
子供たちの学費まで稼いで、
三人の子を立派に育てたと云う分けなんですね。
さてそのダンナも、数年前に患いつくと、
去年、とうとう大借金だけ残してこの世を去った。
以前から、
何かと相談相手になっていた我が同居人ドノは、
「やっと、と云う感じで亡くなったんやけど、借金の跡始末が大変らしい」と同情していた分けです。
昔から、相談されるたび、
あきれて、
「あんた、もう別れたらええやんか」と言い続けていたのだそうですが、
彼女はいつも、
「そうやねん」と言いながらも、、
「でも、もうチョッとだけ辛抱してみるわ」と云って帰って行くと云う繰り返し。
「まぁ、あれでも、
愚痴ったら、ちょっとは気が晴れるやろうからね」と嫌がりもせず、
長らく聞き役を勤めていたようなのですが、
いざ厄介者だった旦那が居なくなってみると、
彼女も一人暮らし。
なにせ、この世の中、
しっかり育てた息子と云うのは、
親元から遠く離れて暮らしがちなものですからね。
近ごろ彼女は、よく言うのだそうです。
「夜中、一人でご飯食べるのは淋しいよ、
テレビ見て笑うのも一人やし、
このごろは夫婦喧嘩したこと思い出しても涙が出てしまうねん、
・・・おかしいやろ。
、
あんたには旦那が居るから、
そんな気持ちは分からんやろうけど・・・」。
先日も彼女と会って帰ってきた同居人ドノがしみじみ言うのです、
「あのコ、ホンマに、ダンナのことが好きやってんなぁ、」。
「え、」と聞き返すと、
「私に、いくら愚痴をこぼしている時でも、
あれキッと、別れる気持ちなんかゼンゼン無かったんやろナァ」、と言うのです。
その真ゴコロは、まさに「大阪純愛物語」。
ちょっとシンミリしたので、
「そうやで、なんぼカイショナシでも、
ダンナを捨てたらアカンのやで」と混ぜ返したのですが、
その時の同居人ドノは、
笑いもせず物思いにふけっておりました。