漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

レーガンとサッチャー

2015年09月26日 | 

さいきん、ニコラス・ワプシヨット著、
「レーガンとサッチャー」と云う本を読みましてね、

副題が、
「新自由主義のリーダーシップ」。

そんなに期待せず読んだんですけどね、オモシロカッタ。

でも、もう、過去の人、と云うか、
歴史上の人物になりましたね、お二人とも。

ただし、私にとっては、
同時代に生きた「巨大な」政治家ですからね、二人は。

当時、新聞やテレビで知ったニュースの、
裏舞台が透けて見えて、とても刺激的で興味深かった。

ことに、フォークランド紛争における、
「サッチャーの指導者ぶり」は、この書物の白眉です。

両者の意気投合ぶりは当時から有名でしたが、
その原因のひとつは、

二人とも、
支配者階級からではなく、大衆社会から出てきたからであり、

二人とも、小商人の子で、
店の二階で育ったからだ、と云うのもおもしろい指摘でした。

たしかに、小商人の日常生活と云うのは、
「リアリスト」を育てるんです、「夢見スト」にはなりにくい。

エリザベス女王は、サッチャー首相のことを、
プライベートでは「あの雑貨屋の娘」と呼んでいたと、

なにかに書いてあったけど、
きっと、貴族から見れば、違和感のある体質だったんでしょうね。

でも、読んだ後、思ったんですよ、
ハリウッド出身、レーガン大統領の「陽気な楽天性」と、

サッチャー首相の「妥協なき議論好き」は、
アメリカ、イギリスそれぞれの国民性でもあるんでしょうね。

現役時代の評判は、
政治家としては当然ながら、二人とも毀誉褒貶があったんですけれど、

今は、両国の国民により、
「偉大な政治家」として評価が定まっているようですが、

それは、ふたりが、
それぞれの国民性を代表しているからなのかなと思いました。








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