漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

心のタガネ

2011年01月12日 | Weblog
ブログ巡りをしていたら、

酔った勢いと新年を迎える高揚感から
心の「鏨(たがね)」がゆるみ、銃を発砲した・・・云々


と云う文章と出会い、 「ん?」。

タガネは先のとがった金具で、
左手に持って、その頭をハンマーで叩くことで、金属を削ったり岩を割ったりする。

前後の意味からして、「心のタガネ」は明らかに誤用だが、
プロの文章家が誤るほどだから、こちらも直ぐには何の間違いか気付かない。

「心の鍵」でもないし、
「心の留め金」でもないし、と、しばらく考えてから、
「あぁ、そうか、『タガとタガネ』の間違いだ」と気が付いた。

「箍(たが)」は、桶や樽に巻いて締め付けるアノ竹の輪です。

タガが外れれば、
桶は、側板(がわいた)がばらばらになり底板が抜けるから、
規律が緩み締まりが無くなることを「タガがはずれる」と表現するのだが、

考えてみれば、
タガネもタガも、現代生活の周囲からは見かけなくなっている。

桶はすべてプラスチック製になって、
タガの必要もなくなったし、
工具はどんどん電動化が進んで、タガネは機械の一部品となった。

今や、工場でも鉱山でも掘削は電動ドリルが主流、
タガネと槌で岩を穿(うが)ったのは、江戸時代の鉱山労働者まで遡らねばなるまい。

実物を使うことはモチロン、見ることさえも無くなったら、
聞き慣れたような慣用句でも、
中身を伴わない「音だけ」での記憶だから、間違えて気が付かぬのもムリはない。

処で、風呂で使う手桶は、
今や銭湯でもすべて、タガも側板もないプラスチック製の容器だが、・・・

あれもやっぱり「桶(おけ)」と云うのかネ。

まぁ、棺桶だってこのごろは段ボール製のがあるそうだが、
それでも「カンオケ」とニュースでは言ってたから、別にかまわないか。

そう云えば、先日のテレビ、
東京にある徳川家綱公だったかの墓所で、
案内した坊さんが
「家綱公は参拝者の方を向いて座ってらっしゃいます」などと言って、出演者を驚かせていた。

あれは座棺、
大型のバケツのような丸い形の桶だから中に座った状態で埋葬される。

そう云えば、昔、子供のとき見た葬列は、
丸い棺桶を白布の紐で縛り、
その紐に天秤棒を通して、前後から二人が担いで埋葬場へ運んで行った。

もちろん、土葬だから遺骸を焼くことは無い。

だからこそ、骨となっても、
バラバラになることなく座っていられる・・・・・と思うのだが、

じかに確かめた分けでないから、
テレビの坊主のように自信満々で言う分けにはいかない。 (笑)





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