きのうかな、
ネットの「ニューズウイーク・日本版」で、
テレビタレントで漫才師のパックンが、
「オウム死刑で考えた──日本の『無宗教』の真実」と題した随筆で、
日米の宗教観の違いを書いていてました。
「およそ半分の人が教会に通う」アメリカ人に比べ、
「日本人は無宗教だ」と云われるけど、
パックンから見ると、そう単純でもないらしい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本人はお守りを捨てられないし、鳥居をくぐるときは頭を下げる。
具体的なメカニズムが分からなくても
「罰当たり」は、ほぼ全国民がなんとなく信じているのではないだろうか。
批判ではない。
僕も毎年初詣をするし、
お線香をたいて亡くなった親戚に手を合わせる。
20年前にもらっただるまも、なぜか処分できない。
鍵や携帯電話が見つからないときは必死に神様に祈る。
しかも、どれも無神論者と自称しながら。
僕だって言っていることとやっていることが違う。
~~~~~~~~~~~~~~
自身を無神論者と言ってるように、
彼自身はキリスト教徒であっても、篤信者ではないらしい。
しかも彼だけでなく、
「教会に通う」ような、多くのアメリカ人たちも、
その中身は、
パックンと似たようなもの、らしい。
ようするに、キリスト教徒のアメリカ人と、
無宗教とされる日本人と、
本質的な処では、そう変わらないんじゃないか、と彼は書いてる分けです。
なかなか面白かったけど、
私が一つだけ、
「根本的に違うんじゃないかなぁ」、と思うのは天国への門。
キリスト教には、この世が終るとき、
すべての死者が呼び出され、天国への門が開かれる。
その時、
罪深い者はその門から入れず、地獄へ落とされる。
そう云うことを、
キリスト教的社会の伝統文化として、
子どものころから、
聞かされ続けてて育った欧米人は、
教えにあるこの話を、
根源的な処で、身につけてるのじゃなかろうか。
体に沁み込んでいる、
もし、そうだとすれば、
欧米のキリスト教徒にとって、死刑は必要ない。
だって、いずれは神様が、
人殺しのような悪質な犯罪者には、
永遠の苦役を命じてくれるのだから。
この世で処さなくても、
世間から隔離し、刑務所に閉じ込めておけばいいのである。
しかし、日本人はそうは思わない、
罪もない人を何人も殺した輩は、
この世で処刑されるべきだと考える。
こないだオウム関連の死刑が執行されましたね。
死刑囚の死刑が執行されただけですから、
別に騒ぐことはない、と私は思うんですけど、
やっぱり世間は、
そう思わないようで、新聞やテレビの扱いは大きかった。
ヨーロッパでは、
大量の執行に批判的な報道、と書いた日本の新聞もありました。
欧米の人たちにとっては、
民主主義や人権など、多くの価値観を同じくする日本で、
ほとんどの国民が、
「死刑制度を支持している」と云うのは、奇異に写るようです。
でもね、
仏教にだって地獄や極楽と云う考えはあるのに、
日本人の多くが死刑制度を支持するのは、
根源的な処で、その教えを信用してないのだと、私は思う。
つまり無宗教。
パックンの言うように、
アメリカ人の宗教観と、日本人の宗教観がそう変わらないように見えても、
根源的な処では、
日本人は、宗教を信用していないんじゃなかろうか、
と、このごろの私は思ったりするのですよ。
ネットの「ニューズウイーク・日本版」で、
テレビタレントで漫才師のパックンが、
「オウム死刑で考えた──日本の『無宗教』の真実」と題した随筆で、
日米の宗教観の違いを書いていてました。
「およそ半分の人が教会に通う」アメリカ人に比べ、
「日本人は無宗教だ」と云われるけど、
パックンから見ると、そう単純でもないらしい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本人はお守りを捨てられないし、鳥居をくぐるときは頭を下げる。
具体的なメカニズムが分からなくても
「罰当たり」は、ほぼ全国民がなんとなく信じているのではないだろうか。
批判ではない。
僕も毎年初詣をするし、
お線香をたいて亡くなった親戚に手を合わせる。
20年前にもらっただるまも、なぜか処分できない。
鍵や携帯電話が見つからないときは必死に神様に祈る。
しかも、どれも無神論者と自称しながら。
僕だって言っていることとやっていることが違う。
~~~~~~~~~~~~~~
自身を無神論者と言ってるように、
彼自身はキリスト教徒であっても、篤信者ではないらしい。
しかも彼だけでなく、
「教会に通う」ような、多くのアメリカ人たちも、
その中身は、
パックンと似たようなもの、らしい。
ようするに、キリスト教徒のアメリカ人と、
無宗教とされる日本人と、
本質的な処では、そう変わらないんじゃないか、と彼は書いてる分けです。
なかなか面白かったけど、
私が一つだけ、
「根本的に違うんじゃないかなぁ」、と思うのは天国への門。
キリスト教には、この世が終るとき、
すべての死者が呼び出され、天国への門が開かれる。
その時、
罪深い者はその門から入れず、地獄へ落とされる。
そう云うことを、
キリスト教的社会の伝統文化として、
子どものころから、
聞かされ続けてて育った欧米人は、
教えにあるこの話を、
根源的な処で、身につけてるのじゃなかろうか。
体に沁み込んでいる、
もし、そうだとすれば、
欧米のキリスト教徒にとって、死刑は必要ない。
だって、いずれは神様が、
人殺しのような悪質な犯罪者には、
永遠の苦役を命じてくれるのだから。
この世で処さなくても、
世間から隔離し、刑務所に閉じ込めておけばいいのである。
しかし、日本人はそうは思わない、
罪もない人を何人も殺した輩は、
この世で処刑されるべきだと考える。
こないだオウム関連の死刑が執行されましたね。
死刑囚の死刑が執行されただけですから、
別に騒ぐことはない、と私は思うんですけど、
やっぱり世間は、
そう思わないようで、新聞やテレビの扱いは大きかった。
ヨーロッパでは、
大量の執行に批判的な報道、と書いた日本の新聞もありました。
欧米の人たちにとっては、
民主主義や人権など、多くの価値観を同じくする日本で、
ほとんどの国民が、
「死刑制度を支持している」と云うのは、奇異に写るようです。
でもね、
仏教にだって地獄や極楽と云う考えはあるのに、
日本人の多くが死刑制度を支持するのは、
根源的な処で、その教えを信用してないのだと、私は思う。
つまり無宗教。
パックンの言うように、
アメリカ人の宗教観と、日本人の宗教観がそう変わらないように見えても、
根源的な処では、
日本人は、宗教を信用していないんじゃなかろうか、
と、このごろの私は思ったりするのですよ。