○ゆうれいとなりて来たりし元の妻
河内の国に三郎兵衛とて、内証豊かなる百姓あり。
夫婦の仲もむつまじく、心安らかに暮らしけるに、
この女房、ふと寒気してより患いだし、
次第次第に重篤となり、すでに危うかりければ、
三郎兵衛かぎりなく悲しみ、
枕辺に寄りて申しけるは、
「そなたが先立っては、たった一人の幼子の養育はいかにせん。
然れば子は人にやり、我は髪を切り、僧にでもなるよりなし」と嘆きける。
女房、苦しき床の上より細々と目を開き、
三郎兵衛が顔をつくづく見守りて、
「実に憂き世のならいながら、
仮り初めに病の床に臥し、
あなた様より先に身まかりゆく情けなさよ。
さりながら愛別離苦の理は人の世の定まりごと、
我をあわれと思し召さば、その心を捨て、
後の妻を跡に入れ、残りし幼子を守り育てこの家を継がしさせたまえ」と、
言葉を残し、
これをこの世の限りにて、朝の霜と消え失せり。
三郎兵衛は妻が遺言の哀れさに、
取り分け一子をいたわりいたわり育てけるが、
その年もいつしか暮れて、
明けの年にもなりければ、
一族の人々うち寄り、とかく後妻をすすめける。
三郎兵衛もすぐには承引もせざりしが、
一子の為と思うより、ぜひなく後妻を定めける。
さて吉日をえらび、
一族の人々うち集まり、祝言の儀式を取り行いけるが、
三郎兵衛小用を済まし、
縁より座敷に入らんとせし時、
ふと軒の方を見やれば、
死に失せたりし女房、
窓の透間より座敷の様子をうかがい居ける。
三郎兵衛大きに驚き思うよう、
さては先妻いまだ成仏をなさず、中有に迷いけるかや。
死に際に後妻を入れよと勧めしを、
誠の心ぞと思いの外、
嫉妬の一念はなれやらず、
今宵の祝言をねたみ来たりし浅ましさよと、思いながら、
さあらぬ体にて内に入りしを、
先妻のゆうれいこれを夢にも知らず。
さて寿も済みて、皆々私宅に帰れば、
三郎兵衛も後妻もろとも臥所に入りて、 (臥所→ふしど→寝所)
しみじみと後妻に語りけるは、
「我れ、このたび汝(なんじ)を迎えし事、
先妻が忘れ形見の一子幼ければ、御身を頼み参らせんと、かくは招き侍りぬ。
これわが心ばかりにもあらず、
先妻もすでに遺言せしことなり。
然るに今宵、御身と夫婦の語らいをなす事、
真実は亡妻恨みに思うやらん。
宵より外縁にたたずみて、この座敷を見入れしを、先ほど我、確と見届けたり。
然れば、そなたの身に災いをなすやもしれず。
いたわしくはあれども、今宵すぐに御いとまを参らするなり。
この事ゆめゆめ人に語りたまうな」と、
涙にくれて申しければ、
この女も三郎兵衛が余儀なき物語に、言い出だすべき言葉なく、
さしうつむいて居たりしが、
にわかに気色改め声も変わりて、
「のうのう、いかに三郎兵衛殿、
只今の御言葉こそ限りなく恨めしけれ。
我ら末期に申せしごとく、
後妻を早く入れたまえかしと、思う日数も移り行く。
御心ざしは有り難きに似たれども、
一子が母のなき事を思えば、悲しく、浮かびもやれず、
夜毎にこの座敷の縁先まで、愛子が安否をうかがい来たる。
然るに今宵後妻を迎えたまう有りさまを見参らせ、
心の内の嬉しさ、なかなか言葉に尽くされず。
何ゆえ娯妬の心を抱き申すべき。
もはや、この世の思いは晴れ、速かに成仏せん事うたがいなし。
必ずこの女性(にょしょう)と良き夫婦となり、愛子を守り立てたまえ。
わが為には、月毎の忌日を忘れず弔いたまえ」と言い残し、
さらばさらばと後妻の身を離れ行けば、新しき妻はそのまま倒れ臥す。
三郎兵衛は喜びの涙にくれつつ、臥したる妻を呼びおこし、
有りし次第を語り聞かせ、
先妻が願いにまかせ、再び夫婦の酒酌み交わしけるに、
新しき妻の心、貞節にて、
継子を良くいたわり育てけるほどに、その後は亡妻がゆうれいも来たらず。
一子も年経て成長しければ、
跡式(あとしき)を譲り与え、
わが身は後妻もろ共に隠居し、目出度く世をぞ辞しけるとかや。
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【中有ちゅうゆう】
仏教で、人が死んでから次の生を受けるまでの49日の期間。
中陰。