漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

水野弥一氏

2018年05月28日 | スポーツ
きのうかな、
久しぶりに水野弥一さんの顔写真を見た。

日大アメリカンフットボール騒動に付いての記事中で。

まずは、水野弥一氏の略歴を。

(ウィキからの拝借なので間違ってたらウィキの責任です。(笑))

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1940年、京都市生まれ。

高校卒業後、
パイロットを目指し、防衛大学校に入学するも、
アメリカンフットボールで腰を痛め中退。

1961年京都大学工学部に入学。

ラグビー部に入るつもりだったが、
部員が足りないからとアメリカンフットボール部に入部。

1965年同部コーチに就任。

1968年同大院工学研究科修了後、
留学を経てトヨタ自動車に勤務の傍ら、

1974年より(京大の)監督となった。

アメフトの経験のない初心者を、
猛練習で鍛えて、京大アメフト部を強豪チームに育て上げた。

1983年に甲子園ボウル初優勝。

以後2度連覇するなどして優勝6回。

社会人代表と争うライスボウルも優勝4回を記録した。

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国公立の大学が、
日本一になったのは、後にも先にも、水野・京大チームのみ。

それも、普通に京大の入試を通った学生を集めて、です。

素人が考えても、
秀才たちを部に入れるだけでも大変なのに、

そのアメフト経験のない学生たち鍛えて、
日本一にまで持って行くことの困難さは想像を絶する。

従って、水野さんは、
アメフト界では、「伝説の人」、です。

その水野さんが今回の騒動を憂えて、

問題の試合は観戦していた。
あれは明らかにプレーが終わった後の、反則以前の行為だ。

ルールで決められた中で犯してしまう反則は仕方ないが、
意図的にプレーが終わってからやるのは許されない。

とした上で、

アメフット界として、
「あのような反則は普通はしない」

「起こり得ない」とはっきりさせて、
多くの人に理解してもらう必要がある。


と結論付けておられます。

久しぶりに、
アメフト界に愛ある記事を見たような気がして、

ちょっと、ホッとしました。




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