未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

武を通して

2019-03-25 15:31:46 | 雑感
どんな人間にも良いところの一つや二つある、と言います。確かにそうでしょう、否定は出来ません。しかし人はわざわざ他人の良いところを探したりはしないのです。目に見える部分で判断します。報道で切り取られた発言に過剰反応する世間を見て分かる通りです。わざわざ発言全文に目を通した上で考えてくれる人なんてごく僅か。

泉があったとして、底を掘り返した所にどれだけ綺麗な真水が眠っていようと、表面が汚泥ならばその泉は汚泥なのです。だれも泳ぐこともなければ見る事もなく。目を向けたとて顔をしかめるでしょう。

対人であっても同じです。
良いところがあっても出し方を知らないままだと持って無いのと同じ。人はその他人の評価で生きていくことしか出来ません。

どんな人が良い人かというのは分かりません。人によっては単なる都合のいい人になるかもしれませんし偽善者扱いを受けるかもしれませんから。

そこで武道。
武の字は二つの戈を止めると書きます。二つの争いを止める事が出来る、或いは律する事が出来る。現代風に解釈するなら後者がしっくりくると思いますが。二つとは自分以外の二人でもあり、自分ともう一人での二人でもあり。自分を律する事が出来ぬものが他者を律するなど傲慢ですからね。自らを律し、そこから二人を律する事が出来れば武に触れた甲斐もあったのではないかと思うのです。

成れる成れないではなく、そう成ろう、そう在ろうとするのが武道だと私は考えます。強さは人に向けるものではないのだろうな、とも。武の道を考えたとき強さに触れられるような気がするのです。比べるのは自分。即ち比べるべき相手(=敵)など居ないのでしょう。




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