未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

腰落とすな論

2018-10-01 23:11:01 | 雑感
腰を落とせと良く言われませんか。けれど何故腰を落とさねばならんのか腑に落ちる説明が出来る人ってどれぐらい居るのでしょう。

演武などで見られるこれでもかと腰を落とした構えでのデモンストレーション。空手らしいといえば空手らしいのかもしれませんが何故多くの空手愛好家はこれを空手の構えだと思っているのでしょう。普通に考えるとあの状態でマトモな動きはとれません。ほらスグこうなる。

柔道であればコレで結構。しかし突き蹴りを用いる空手にコレはナンセンス。柔道も打撃があれば構えは随分違っていた筈ですしボクシングやキックといったより実戦的な格闘技であんな構えを取る人は4回戦にもいないでしょう。つまりフルコンは打撃への備えがかなり未熟と言えます。至近距離の特攻専門。それもお顔叩いてはいけませんルール特化の。

実戦的な構えはもっと腰が高い。高いが浮いてない、そんな感じです。沖縄空手の形や中国武術の先生方の腰も至って普通に見えます。歩けば其れ即武。技は生活の範囲を飛び出ないのです。普段の形に少しのコツ、力を足す感覚です。その構えにならなければ出来ないのであれば習得出来てないと考えた方が良いでしょう。

ではナゼ基本稽古等で腰を落とすのかと言うと、腰を作るため。落とすだけの腰を作るのではなく「落とさなくても落ちている腰」です。これは私の稽古論ですが、反復練習はそれをしなくてよくなる為にするのです。それ自身でなくなる為に。初心忘るべからず、いつまでも其処に居てはいかんのです。算数だっていつまでも足し算しませんわな。これが私の座右の銘の一つ『覚えて忘れろ』です。

基本にしろ形にしろ万人に身につくよう編まれたもの。それをそのまま使うなんてなく、その多種多様な動きから各々が体のシステムを導き出していかないと只単に綺麗にこなしているだけでは何してるんだお前?と先達に笑われます。

正味な話、運動神経に長ける者は個としてはこの辺をすっ飛ばしても構わないのです。飽くまで実戦だけに生きるならですが。しかし突出した個だけでは道が作れないので守の部分としての基本等を理解し修める必要がある訳です。この辺りが大会成績至上主義なフルコンの非常に浅い部分ですね。

SNSなんかでよく「気付きを得ました」とか「フィードバック」「アウトプット」「持ち帰って云々」なんてのが踊り出てきますが悲しい哉、結局それが言いたかっただけであんな構えで見世物してるのでは折角学んだ動きには何の兆しもなかったのでしょう。

落とさなくて良いように基本稽古でしっかり腰を作ってください。空手やってて空手(らしき)の動きしか出来ないというのは個人的になんじゃそら、なのです。




.


最新の画像もっと見る

コメントを投稿