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未熟者武道記

空手徒然。
二つの戈を止める武を核とし、諸諸と調和して溶け込んで。(いけたらいいな)

出雲詣り 壱

2018-02-12 13:13:24 | 旅行
三連休の間に齢三十六を迎えるので三周目を無事終えた感謝にと出雲大社へ。無理矢理こじ付けるなら四周目への縁繋ぎ。

深夜に出発。
中国自動車道の濃霧に恐怖を感じながら午前六時前に松江玉造へ到着。断続的に現れる濃霧に緊張しっぱなしで首回りカッチカチ。下道で少し島根の様子を眺めながら残り数十キロをのんびり行こうと思ってたのですが。流石山陰は違うなと思ったのも束の間。

ちょっと九号線を進んだローソンがこれ。入ろうにも雪が硬くて最早氷。途中までしか侵入出来ず。途中雪にタイヤを取られて動かなくなったりしながら何とか到着。途中で降りたりせず出雲まで高速にすべきでした。後で案内所で聞くところによると出雲は雪が少なくこの雪は極めて異例で皆さんちょちょ舞うてるんだとか。

荘厳であります。しかし後ろ看板はポケモンGOするんじゃねえぞという注意書き。阿呆は間接的に何でも壊します。

下り参道は非常に珍しいそうです。鳥居は四つ。何も言わなくても息子が一礼して入って行く姿が微笑まし。有相無相問わず礼儀・挨拶・マナーが縁に繋がるだろうと思います。

噂には聞いていましたがウサギ、ウサギ、ウサギ。時々大国主命。なんだか戌年の年男が来るのが場違いなような気がしてきました。

四の鳥居手前に因幡の白兎像が。大国主命の袋には我々人間の苦難や悩みが入っていてそれを代わりに背負っておいでなのだとか。非常に美しい発想だと思いますね。

その隣に手水舎。この寒さでは苦行です。

拝殿と本殿。日本建築最強。

御朱印も戴きました。料金設定がないお気持ちスタイル。器が試されている感…

相場に少し色を付けた五百「縁」で。
八時頃に詣り終わり、境内を隅から隅まで見て回れる気温でもないので一旦車へ。二時間ほど寝てから神門通りを散策することになりました。




つづく。





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お伊勢参り

2017-09-24 22:03:59 | 旅行
秋の彼岸と云う事で伊勢神宮へ。高知出身の祖父は神道。そして今年は霊祭の無い年でしたので手を合わせに。そういえば前回も祖父を宜しくお願いしますと手を合わせに行ったのでした。

前回は式年遷宮とかで外宮を詣るのがやっとの混み具合。おかげ横丁を抜ける事も出来ず引き返したのがこの何年か凄く引っ掛かっていたので今回はしっかり御参り出来たので満足です。木々の大きさ。息子は眠たくて不機嫌。

朝の6時過ぎに到着したので別宮も御参りしながらゆっくり歩いていると息子が蝸牛を発見。都会暮らしの悲しさか見るのは初めて。私も20年以上振り。

おかげ横丁が活動を始めると混み始めるらしいので1時間程してから内宮へ。観音寺市の絵描きさんが描いたらしいです。

赤福本店は早くから開いておりました。殆ど客のいない何だか贅沢な朝食。でも和菓子好きなのにお口に合わないみたい(´・ω・)美味しいのに。

横丁を抜け内宮へ。一礼するのは偉いが雑&姿勢悪い。要再教育。

広さにテンションが変になりつつあります。しかし広い。

五十鈴川。美しい。魚も気品があるように見えます。変な話、景観を保つには神聖さを売りにして畏怖させれば良いのでは無いかと思いました。神と自然の前で平等に愚かなり、人。

キノコ探しもぬかりなく。あんまり生えておりませんでした。

そして正宮へ。やっと来れました。御賽銭は大奮発(当社比)。

無心で手を合わせられました。
横で息子も「ひい爺ちゃんきたよ」と。打ち合わせ通り(笑)ですが日本人という感じが佳き哉。こうして紡がれるのでしょう。この子は伊勢海老目当てで来ただけですが(笑)

正宮近くの巨木に挟まり落ち着いていました。ゴンタなお前はやはり木の股から産まれ出でたのかψ(`∇´)ψ

帰りのおかげ横丁でなんだかんだと食べていたらお目当ての伊勢海老は入らなくなった息子さん。そして10時頃からごった返す内宮周辺。駐車場も全て「満」表示。来るなら8時迄ですな。

最後にこの変わり者に将来お嫁さんが来てもらえるように夫婦岩へ寄ってみました。海にカエル…はさておきこいつは生涯独身だな。

これもカエル?にしても滞在時間考えたら駐車場千円はハイパーインフレですわ。他県ナンバーホイホイやな…。有り難いような損したような。

最後は何だかアンニュイな感じになってしまいましたが神宮を歩いたというだけでスッキリした気がします。大和心が沸き立つと言いますか、結局飲まれているだけなんでしょうがそれでも良いのです。然程遠くもありませんし年一回は来たい場所ですね。




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ヒロシマ【平和記念公園】

2017-04-03 16:54:20 | 旅行
広島市へ車を走らせて原爆ドームへ。
駐車場確保がとても大変。更に路面電車がバンバン来るので運転怖し( ;-`д´-)

二十数年前は此処と呉ポーへ遠足に来ました。やはり見ると物悲しくなります。そして日本を実験材料にしたアメリカを憎まずには居れません。

公園では川辺のコンサートなるものが催されていましたがどうも鎮魂セレモニーのように見えてしまいます。この界隈の醸し出す雰囲気はやはり独特です。

私はアメリカという国が好きではありません。今後きっと好きになることもありません。この文言には小6時分から違和感が拭えません。

過ちの連鎖を断ち切れないアメリカにこそこの様な公園やモニュメントを置かないと。嬉々として他国侵攻なんて日本はしない筈なので。

資料館に入るとアメリカ憎しが増幅します(苦笑)息子もオモチャや人体の一部等を見ると悲惨さが分かるようです。1945年8月6日を覚えたようです。

混み合う館内の半分近くが外国人観光客で最後の通路に対話ノートなる物が置かれていて何を書いても良いとのことでしたから〝America will not change〟とでも書こうかと随分悩みましたが飲み込んで資料館を後にしました。雨の中続々と白人様が列を成していました。同胞の戦果を確認しに来たのか?とやさぐれてしまいますね。失礼。

戦争反対、と言うのは簡単至極。否定なんて何でも簡単なものです。私個人として、戦争を否定することは人類とその歴史を否定する事だと思っています。
人である限り闘争は避けられない。ならば人間としてその闘争とどう向き合うのか、という事を考えるのに我々が取り組んでいる武道は最適ではないでしょうか。

使わない為に技を磨く。その意味は弱き者に理解出来ません。皆んなが真の意味で強ければ果たして争いは起こるのでしょうか。皆でなくとも国の指導者がせめて人対人の理解出来る器であれば。

今の日本のような「こっ酷くやられたからもうしましぇーん」とか「皆んな平等だよ♪」とか「絆(キリッ)」みたいなのっぺりした平和ではなく、人間が締めるべきを締め納めるべきを納めた平和に向かえると良いですね。旅の〆が暗くなりましたが息子の勉強にもなったので良しとしましょう。



帰りは岡山で降りて美味そうなもん探しながら下道で帰ることにしましたが皆不眠ゆえ妻も息子も爆睡。私も寝ないよう運転に集中する為結局何も見つからず(苦笑)
姫路まで来た時に兵庫ブロック行事の打ち上げとして御用達だった「天竺」を思い出したので久々に此処で中華を頂きました。美味いなあ。もう正道会館としては勿論兵庫ブロックとしてくる事もないでしょう。

食べた後で少し仮眠を取り、26時間の旅を終え帰宅。次回から中国地方以西は新幹線を利用致しますm(__)m





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広島へ【宮島】

2017-04-03 15:14:06 | 旅行
息子は春休み。何処か旅行したいと言っていたので休みを戴いて日帰り可能な広島へ行ってきました。近いようで遠い中国地方。二十数年振りです。あの頃は呉ポーがありました。

指導後の深夜2時頃出発。
眠気と闘いながら6時半廿日市市に到着。日曜の干潮時刻は7時半。宮島へ渡るフェリーが7時5分で丁度良い時間に着きましたね。

早朝でも観光客で船は乗船率120%。大鳥居が近付いて来ました。眠気も何処へやら。もうかなり引いてますな。

初の厳島神社で鳥居を仰げたのは幸運でした。人工でない砂浜は綺麗です。古人のセンス凄まじき哉。

一頻り眺め写真を収めてから境内へ向かいます。鹿と散歩。「一応」野生らしく触ったり餌やりは御法度らしいのですが写真屋に利用されてました(笑)

拝観料は300円。世界遺産なのに京都の寺社よりかなり良心的。中で御朱印も戴きました。

中は満ち潮の方が映えるでしょうな。しかし6時間は待てません(._.)

参拝を終えてから廿日市在住の友人を待つ間に島をブラブラ。まだ9時前。店は開きそうにありません。

息子氏、急遽No.2を催したので千畳閣への階段を登り清掃中のトイレをお借りしました。無理言ってすいませんでした。けど良い眺め。

千畳閣の床下の落書きと言うか何というか。物の価値も手前の価値も分からない下衆。この教養の低さで何故文化遺産に来たがるのか。家で芸能ニュースでも見てろ。

閑話休題。この床下、175cmぐらいまでなら身を屈めず通れます。うちは皆余裕ですよ(涙)

階段を降りて商店街の方へ。開花が遅くて残念。満開なら多宝塔の辺りから鳥居を望んで見たかった…

もう干潮タイムは終わっていました。その方が良い写真は撮れますが。マテ貝の殻残骸が散らばっていたのはコイツの仕業か(笑)賢いもんですな。

そうこうしていると商店街も開き始め賑わってきました。美味いもんが沢山あります。牡蠣クリームコロッケ、焼き牡蠣、にぎり天を食べ歩き友人と合流。揚げもみじ饅頭が美味でした。

5年振りの再会でしたが何故か息子が一番嬉しがっておりました(笑)友人の長男が3歳前で丁度うちの子がこれぐらいの時に数回程会って遊んでもらったのですが憶えてるもんですね。彼は廿日市に根を下ろしたみたいです。今では二児の父。時間は進みますねえ。

人見知りするらしく初めは父ちゃんの背中に隠れていましたが鹿の糞の話題から急に打ち解けて(流石男の子やな…)ずっと息子と遊んでました。小さい子はほんま可愛い。たっぷり遊んで昼に牡蠣うどんを食べてから船で戻りお別れ。2歳で大粒の牡蠣を何個も食べる子は初めて見ました。広島の子はあの旨味が分かるのかな。確かに関西で食べるより格段に大きく美味ですが食は面白いなあ。

もう一人五日市在住の友人も居るのですが生憎の日曜出勤。元バレー部のオッサン3人で20年振りのボール回しするのも乙だったかもしれませんが残念。ま、皆しっかり働いて生きておるって事で喜ばしい事ですね。

そして初の日本三景と久々に過ごした友人との時間に何となく後ろ髪を引かれるような感じで廿日市を後にして原爆ドームへ。


続く




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東京へ②

2016-10-30 23:59:13 | 旅行
最終日。
7時に起きて九段下へ。靖国神社であります。思ってたより広い、デカい。

一度は手を合わせに来たかった場所。
色々物議を醸す所ですがその物議ですらも先人の功労のお陰。呆けがくる程平和だから下らない議論が出来る。
弟は東京滞在中は500回程足を運んだと言いますが国政に携わる身としてその都度今の政治家の大罪を謝っているのだとか(笑)

チェックアウトしに戻った後はホテル前の豊川稲荷で稲荷寿司を購入。結婚式の日の朝テレビを見ていたら偶々取り上げられていて紹介されていたのです。

愛嬌あるお婆ちゃんのお店です。放送時は入れ歯を忘れていましたがこの日はしっかり装備してました(笑)
そしてこのイナリ、帰りの新幹線で食べましたが今まで食べた中で一番美味い。5パック程買っとくんどった…赤坂へ行った時は是非に。近くの『しろたえ』のチーズケーキも美味し。まさかの日曜定休なので土産には難しいですが。

食べ物の話はさておき。
ホテルを後にしてから父に付いて桜田門駅へ。何があるのか着くまで検討もつきませんでしたが此の辺りが日本の中枢だったのですね。国会議事堂を始め警視庁などの省庁が建ち並んでおりました。東京にしかない風景。カンペ読む会でしかない国会一回開く度に3億程掛かるのを御存知ですか。一体どんな内訳やねんと思いますが無駄遣いの枢軸とも言える此処を見て感慨深いものがありましたわ。

ぶらりと歩いて弟の職場へ。お前も頑張って入省だ。

仰々しい建物盛り沢山で御座いました。
この雰囲気は大阪では味わえません。



日本の何処にでも湧いてくる中韓の人達ですが皇居を見に来るもんなんですね。メディアの情報操作で嫌韓嫌中を煽られますが思ったより向こうも反日ではないのでしょう。にしても何だかなあというのは感じますがね(苦笑)
アジアは協力せねばならんと思いますが文化レベルが合わねば難しいとは思うので実現したとしても上手くはいかんのでしょう。

閑話休題。
そこから浅草へ。でかい。そして人多過ぎ。何でこんな羞恥心がないのだろう(ΩДΩ)
本堂へ。皆花より団子、露店目当てらしい。

朱印以外特にする事もなく帰ることに。くじら屋を見てみたかったのですがこの人混みと新幹線の兼ね合いで断念。土地柄なのか観光客が気分に浸りたいのか昼から呑んでる人の多いこと。羨ましい(笑)

そして東京駅へ。
二泊三日もあっと言う間でした。

最後は時間ギリギリまで新幹線を見る息子。関西では見れないもんね。

関西気質と言ったら良いのか分かりませんが何故か「東京なんて」という感情を持っている人が少なからずいる関西。私も漏れなくその一人で若い頃から学校であれ旅行であれ行きたいと思った事が一度もありませんでした。
しかし行ってみるとイメージは随分変わりました。東京弁に背筋がゾゾッと来る瞬間は数回ありましたが大阪よりは遥かに綺麗でええとこやなと思います(笑)関西では逆立ちしても都市のレベルでは勝てんでしょう。中々気軽には行けませんが、出来ることなら年に一度は行って見聞を広めたい街ですね。地下鉄の安さは素晴らしい。

TVの食レポなんかでもいつも東京の店ばかりで何処やねん知るかい、となっていたのが何となく分かるようになったのも収穫です。まあ食べられない事に変わりはないのですが…




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