栄久山妙善寺おしょうのつぶやきブログ

山梨県富士川町の栄久山妙善寺は身延山久遠寺を総本山とし永代供養・水子供養・祈祷・相談占い等を行う寺院の住職です。

東北地方太平洋沖地震

2011年03月14日 | おしょうのつぶやき

この度 東北地方太平洋沖地震および 長野県北部を震源とした 地震災害による 被害をうけられました皆様に 心よりお見舞い申し上げます。

さらに 災害により お亡くなりになられた皆様 心より ご回向 ご供養 お祈り申し上げます。

一日も早く 復旧されますよう 心よりお祈り申し上げると共に 心よりご支援申し上げます。

        合掌    栄久山 妙善寺


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きな古時計

2011年03月11日 | おしょうのつぶやき

 ♪ 大きなのっぽの古時計 おじいさんの時計 ?

 ♪ 百年いつも動いていた ご自慢の時計さ ?

時計は 時刻を知られると同時に 人の歴史を思い出させる不思議なもの・・・

この時計を 買った時は・・・

この時計をもらった時は・・・

などと 思い出がありませんか?

妙善寺には 不思議な 古時計があります。

柱時計の振子が 時計の気分で動くんです。

ず~と 止まっていたかと思うと  ふと気が付くと 動いている。

こわれているのかなぁ~と 思うのですが なかなか直そうなどと 思わない。

忘れた頃に チクタク チクタク。

あ!! 動いている。

なぜか ホッとする 不思議な時計・・・

皆さんにもありますか?

思い出の時計・・・

 ♪ おじいさんと一緒に チクタク チクタク ?

 ♪ 今は もう 動かない その時計 ?

       合掌    栄久山 妙善寺

11


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松明 (たいまつ)

2011年03月10日 | 教え

松明(たいまつ)は 長い木の先端に火を付けて 足元を照らしたり 暗闇の灯りがわりに 昔、用いた物です。

仏教では 松明の灯りは 仏様の世界への 道しるべの意味もあります。

その昔 目の不自由な母親の息子が 出家をして お坊さんの修行に 旅立ちました。

母親は 修行に出た 最愛の息子の事が心配で 心配でたまりません。

息子にもう一度会いたくて 毎日 托鉢(たくはつ)に来るお坊さんの中から 息子を探しました。

ある日 托鉢(たくはつ)に来た お坊さんの疲れた足をさすり 目の不自由な母親は 直ぐに息子だとわかりました。

母親は 息子を抱きしめましたが 息子は修行中の身 直ぐに修行に戻って行ってしまいました。

しかし 母親は息子に会いたい一心で 後を追いました。

目の不自由な母親は 途中の川に足を滑らせ 亡くなってしまいました。

それを知った息子は とても悲しみ 自らのお経で母を供養をしました。

その時息子は 近くの木の枝を折り 木の枝の先に火を灯し

「母は目が不自由です どうかこの火が灯となり 仏様の世界へ迷うことなく案内して下さい。」 と願い母を送りました。

すると 不思議な事に 松明(たいまつ)の灯は光りとなり 仏さまの世界へ旅立つ母の足元を照らし続けました。 

その時の 灯となった木の枝が 現在の松明(たいまつ)の 由来と言われています。

     合掌     栄久山 妙善寺 

10


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月のうさぎ

2011年03月09日 | 感謝

お月様には うさぎがいる。

うさぎがお餅を ついています。

その昔 仲のいい 猿とキツネとうさぎが 暮らしていました。

ある日 一人の老人が 病気になり苦しんでいました。

心の優しい 3匹は老人が 元気になるように 猿は木の実を集め キツネは魚を捕まえ 必死に看病しました。

しかし うさぎは何も持って来る事が出来ず 悩んでいました。

うさぎはとうとう 燃える火の中へ飛び込み 自分の体を 老人の食料として 捧げようとしました。

そのうさぎの姿を見た老人は 帝釈天と言う神様として 本当の姿を現し うさぎの慈悲深さに 心をうたれ うさぎを神様として 月へ昇らせました。

神様となったうさぎは とても喜び 今でも月で餅をつき みんなの平和を 願ってくれています。

何気なく見上げた夜空に お月さまが見えた時 うさぎの慈悲の心に感謝して下さい。

うさぎが笑いながら お餅をついている姿が あなたにもきっと 見えるはずです。

        合掌     栄久山 妙善寺

9


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

荒行 修行

2011年03月08日 | 教え

修行とは・・・

悟りをめざして 苦行を行い 修め 学ぶ事。

何かを得たい・・・

そう願い 私も修行に挑んだ。

極寒の中 震える体にたえ 何度も水をかぶる

寒さに耐え 遠のく意識の中 

この先には きっと何かがあると願う・・・

その時 震える私の体に・・・

ひとすじの太陽の光りがあたり 温かい!!  

普段ここまで わずかな太陽の光りに 有難さを感じた事はまず無い。

心から 有難いと 思った。

ほんのわずかな 光りが 体を温めてくれた 太陽の光に 心から 感謝した。

これだ・・・

荒行を行い 何かを得たいとか 何かを悟りたい などと言う事よりも 感謝の気持ちを 感じる心が 大切なんだ。

当たり前の事に 気が付くまでに かなりの時間がかかってしまった・・・

今はただ 当たり前の事に 心から 感謝したい・・・

     合掌    栄久山 妙善寺

8


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする