明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

茗荷(みょうが)と木地師

2013-10-01 23:25:49 | Weblog
この時季、薬味として重宝されているのが茗荷です。昨日(9月30日)、茗荷をいただきました。茗荷の効能については、以前ブログにて紹介済みです

この茗荷には、木地師(きじし)が深く関係している事をご存知でしょうか。?木地師、彼らは良質の木材(とち・ぶな・けやき等)などのを求めて全国の山を流離った漂泊の山の民です。彼らは、轆轤(ろくろ)を用いて椀や盆等の木工品を加工、製造する職人。轆轤師とも呼ばれてきました。
写真は、今日(10月1日)求めた木地椀です。・・根来塗りような感じがとても気に入り求めました。動機は単純です。この椀にて、炊き立てのお米の上にトロロ汁をかけて食べたらすこぶる美味しかろうという訳です。単品で1550円でした。



お店には、椀・盆等の他に棚・花台等が所狭しと並べてありました。流石に、これはと思うものはお値段をみてビックリです。ちなみに、下の写真の棚は欅(けやき)の銘木から作成したとの事で、お店の女将さん説明ではこれ以上の材質はないとの事で、お値段は3.675.000円でした。唖然とするばかりですが、木目等を見ていますと成程の値段なのかも知れません。

下の写真は、花台(欅製)で70.000円。欲しかったのですがとてもとてもです。

本日(10月1日)、安倍総理は来年4月から消費税が8㌫にと宣言。購入するのなら今のうちなのですが・・・無い物は無いのですからしかたありません。
木地師は、使う木材がなくなると、良材のある土地へ移動しました。彼らの発祥は、滋賀県の小椋(おくら)荘。現在の東近江市の鈴鹿山中です。そして、全国に散って行きましたとされています。これを「飛」と称し、木地屋の移動するところ、その足跡を印す地名が生まれた。各地に残る轆轤、轆轤谷、六呂山、六郎谷、六郎丸、六九谷、六六師、鹿路などの地名は彼らの居住したところと言われています。
写真・・・新潟県糸魚川市大所の木地屋集落に残る木地師のお墓。小椋姓を見る事ができます。

北アルプス白馬山系の末端である風吹岳の中腹に位置する木地師の集落跡に残るお墓です。標高700m前後に集落があります。今でこそ、JR大糸線平岩駅から白馬岳・朝日岳の登山基地である蓮華温泉まで夏季はバスが。木地師集落は、その中間に位置しています。車で、平岩駅から車で約30分程度で木地師集落跡まで行く事ができますが、往時は山中の秘境。この集落のうえには、白池等があり今もブナ等の原生林が茂っています。
写真・・・白池

この木地師の集落は、寛政四年(1792年)に岐阜県飛騨地方から木地師が移住して成立したもの。そして、ここを中心に信越国境付近を移動していました。上記お墓の写真は、この集落成立にかかわる長(おさ)のお墓と思われます。このように、木地師達は良材を求めて各地を移動したのです。そして、このような木地師の集落には、必ず茗荷(みょうが)の大群落がありました。「茗荷と木地師」。いよいよ本論です。
茗荷、薬味・香味食料として茎も花も好んで使用されている地域があります。自坊周辺でもこの茗荷文化は健在です。とにかく、昔は山村生活の必需品でした。山から山に移り住む木地師には、茗荷はなくてはならないものであったと考えられます。栽培は、極めて容易であり、季候風土も余り関係なく育ち繁殖力も旺盛な食物なのです。又、薬としても使用されたらしいのです。茗荷の根をすって目にさすと眼病にもよく効くと信じられ、陰干しにしたものを煎じると肝臓病の薬になったと言われています。そして、「茗荷こそ焼いて多年に食すれば、湿気をうけぬものと知るべし」と栗原広三氏の『民間療法辞典』にはあります。「湿気をうけぬもの」とは、身体の邪気を取り去ることです。湿気が多い山中にて、「湿気をうけぬもの」とされた茗荷を居住地ごとに栽培したことは容易に想像できます。
ですから、茗荷文化が色濃く残る全国の山村では、木地師が昔存在していた、又は影響受けたと考えても誤りはないと思います。では、茗荷文化が残る自坊のご当地ではと言いますと、自坊裏を流れる多志田川の最上流部では、木地師が使用した手製の轆轤(ろくろ)が発見されています。私が、山の民(たみ)に強い憧憬(どうけい)を感じるのは、単に山登りが大好きというだけではなく、茗荷文化の影響を受けているのかも知れません。








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