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猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

忠津 陽子先生のデビュー直後の投稿作品 「星とイモムシ」

2007年03月15日 09時54分09秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 イモムシ君があんまり可愛いので皆様に見せたくなり、自分で模写してみました。わーーごめんなさい。雰囲気だけでも・・・ ネッ 

 COM 1967年9月号掲載 投稿紙面の ぐら・こん の中のステップコーナー入選作品です。ステップというのは、あらかじめプロット (あらすじ) が発表されこれに自分のアイデアを入れて10Pほどの作品にまとめて応募すると言うコーナーです。忠津氏の作品は、応募総数61篇の中で見事入選になっています。

 7月号に載ったプロットは、東京の 遠藤 久子さん という方のもので、これも応募して選ばれたもの。

 元のお話を要約すると、

 地球にイモムシの卵のついた流れ星が落ちてきた。そのイモムシは自分が宇宙から来たとは知らないで、美しいチョウになれると信じている。イモムシは脱皮するごとに巨大になり10mもの大きさになってしまう。地球人は怪獣だと思って毒ガスで殺してしまい、その死骸は博物館に陳列される。イモムシは最後まで人間たちが自分をいじめ、殺そうとするのがわからなかった。美しいチョウになれると信じていたのに・・・。

 忠津作品の方の講評は、以下ママ引用

 まず忠津さんの絵の上手さにおどろいた。ペンを思いっきり走らせているがブレもなく、キチンときまった線。それにコマわりのうまさ。そうとう描き慣れた人だと思う。お話はべつにプロット以上のものは見受けられないが、なんとなく夢を持たせ、最後チョウになりきれず殺されるイモムシが、グロにならず自然に他界していくように見える。読んでいて実にいやみがない。まったくかわいらしくペットにしたくなるようなイモムシ。それに整理された背景。忠津さんには今後 「ジャンプ (フリーな投稿作品募集コーナー)」 にも応募してもらいたい。

 まったく手放しで褒めてます。他に載っている人の絵より断然洗練されていて、講評もうなづけます。

 このお題には、萩尾 望都氏も応募するつもりで描いていたが、締め切りに間に合わなくて応募しなかったという話とお宝マンガが 「イラストアルバム 萩尾 望都の世界」 というムックに載っています。 ↓


                イラストアルバム 「萩尾 望都の世界」


 なお、この号の ぐら・こん まんが予備校の月例新人 佳作に 竹宮 惠子氏の 「ここのつの友情」 が表紙を入れて3P、あだち 充氏の 「虫と少年」 が5P掲載されています。二つとも縮小されていて小さいですが。

 Gomi様のコメントで、デビュー作 「夏の日のコーラ」 を描き上げた後描いた作品と言うことが分かりましたので、題名を変えさせていただきました。


 
 最近、古い漫画関係で拙ブログを新規にお訪ねして下さる方が増えて、大変うれしく思っています。作者順、あいうえお順にまとめていなくて見づらいとは思いますが、左のカテゴリのマンガとCOMをチェックすると漫画関係だけ出てきますので、60年代の石森作品や水野作品、またはCOMの書影など、写真のみでもごらんになっていってくださいませ。

石森 章太郎(当時) 「章太郎のファンタジーワールド ジュン」

2007年03月14日 13時03分09秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
         虫プロ商事刊 昭和43年(1968)6月25日 初版 これは9月25日の再販


 実家の自分の本箱に長く入っていたので黄ばみ、ハトロン紙の破れなど結構ボロイです。でも、私の宝物には変わり有りません。今はちゃんと扉付の書棚の奥に収まっています。この豪華本は、「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 連載中の昭和43年(1968)に出されています。すぐに人気になったのでしょうね。
 ちなみに、主人公の名前 ジュン は、始め石森氏の子息の ジョー(丈) にしようと思ったが、恥ずかしいのでやめた、とどこかのインタビューで答えてました。


 「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 は、まんがエリートのためのまんが雑誌と銘打たれた COM の創刊号の1967年1月号 (発売は1966年12月) より1969年2月号まで連載された、当時大変な話題作といわれた石森先生中期の実験作品。COM 1971年10月号にも 「思い出のジュン」 としてもう1作発表されています。今もその後に出た文庫など、中古ならネットで買えるんですね、知らなかった。私の持っているのは10篇くらいしか入っていないものなので、買ってみようかしら。COMの中に全部あるとは思いますが。

 アマゾン

 評判になった頃はサイレントまんがなどと言われた 「ジュン」 ですが、連載第1回目 「プロローグ 少女との出会い」 ではフキダシが有り、セリフが有ります。漫画家志望の少年 ジュン と白い毛皮の縁取りとフード付の (多分) 赤いコートを着た可愛らしい少女が会話をしています。コマはすべてタテ割りという斬新なコマ割りで6P、最後のページの欄外には つづく なんて書いて有ります。作品自体はすぐに一話完結スタイルになって行きますが。
 
 一話目はこんな感じ黒字は作品中からの引用です。


 まんがが上手く描けず、その上父親に漫画ばかり描いて、と原稿を破かれたジュンは、冬の石畳の道で石ケリをしている少女に出会います。

 「ひとつ石をけるごとにひとつかなしみがきえていくわよ。」

 「・・・・ほんとだ!」

 だけど石を蹴り上げて失くしてしまうと石の方が消えて

 「ぼくのわけのわからないへんなかなしみはまだのこっている。そのままで・・・。」

 「かなしみの源だもん」

 「生きてるってことのしょうこなのよ」

 少女が一瞬大人に見えます。

 2回目の連載にも少女のみフキダシの中のモノローグ有り。その後も文章だけ入っている話しもあるのでまったくサイレントではないですが、極力少ないことばで表現しようとしているのは分かります。

 この豪華本の中では、「邯鄲(かんたん)の夢」 のようなお話 「時の馬」 が好き。「邯鄲の夢」 とは、中国の唐の玄宗皇帝の時代のこと、短い時間の夢の間に自分の栄枯盛衰を見てしまったというお話。邯鄲とは宿のあった土地の名前です。「一炊の夢」 とも言いますね、一炊とはご飯が炊ける程の短い間と言う意味。
 ジュンは中年までの成功譚と、金はあるがまんがが売れない老年との二重に自分の未来を見てしまい、2回目の夢がさめた後は木の下で震えている、という構図です。

 COMを代表する大人気作品だった、「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 はしかし1969年の2月号の次号予告にはちゃんと次回予告が載っているにもかかわらず1969年3月号には載っていませんでした。そして3月号の編集後記に 「石森先生のご都合により」 しばらく休載するとの告知が掲載されましたが、次に石森先生が COM に描かれたのは1969年10月号 「サイボーグ009 神々との闘い編」 だったのです。
 当時中学生の私には何がなんだか ????? あとでぼちぼち噂で聞こえて来たのは・・・。

 この作品を語る上で避けて通れない、手塚先生が 「あれはマンガじゃない」 と言ったとかどうとかの話。手塚先生と石森先生の「ジュン」事件として有名です。手塚先生はストーリまんがが真のマンガだと思っていらしたのでしょうね。と言うことは、手塚先生の不評を聞いて石森先生か編集部が連載を打ち切ったと言うこと ???? どこかで後ろ向きの手塚先生、後方でびくびくしている石森先生、というカットまで見ました。石森先生の絵だったような・・・。
 でもこの本の帯には手塚先生の推薦文も有りますよ。

ぼくは石森氏のストーリーよりも絵に魅力を感じる。「ジュン」 が成功したのは、もっぱら映像だけを追求したことによると思う。

 自分ところの出版だし、けなすわけには行かないでしょうが、こういうのを大人の対応というのかしらん 

昔、漫画雑誌 「COM」 があった。

2007年03月12日 11時57分34秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
                 COM 創刊号 1967年1月号



                 

 

 下の写真は 「手塚治虫物語 1960~1989」 朝日新聞社刊 朝日文庫 1994年10月5日 初版 これは11月20日の2刷 伴 俊男 + 手塚プロダンション
 1928~1959年までの前編も有ります。

 こちらの伝記まんがの中にCOM創刊に至るいきさつが書かれているので、要約させていただきます。

 昭和41年大規模になっていた虫プロは大幅な機構の改革を行い、フィルム部門以外を別会社とし、虫プロ商事が誕生しました。池袋のビルにあった虫プロ商事では、版権業務の他に出版を行うことが目的でした。それまでのファン向けの小雑誌 「鉄腕アトムクラブ」 を発展させて新雑誌を作ろうとしたのです。
 昭和39年青林堂から創刊された漫画雑誌 「ガロ」 は 白土 三平氏の 」カムイ伝」 を柱に 水木 しげる氏 や つげ 義春氏 などが活躍し、又個性ある新人が登場する雑誌として若いまんが好きに注目されていました。それを意識しながらも別の路線を模索し、又新人漫画家の登竜門となるべき、往年の 「漫画少年」 のような投稿欄を設けることを新雑誌の目玉としました。

 「鉄腕アトムクラブ」 休刊のご挨拶には、新雑誌の広告も載っていて

まんがエリートのためのまんが専門誌。創刊号は12月(1966)に全国書店で発売予定!

 として、永島 慎二氏のカットが添えられています。
 
 誌名で悩んでいるスタッフの所へ手塚先生が現れ、黒板に 「COM」 と書きました。
COMICS
COMPANION
COMMUNICATION
の略だと言うのです。こうして誌名はあっという間に決定、手塚先生の 「火の鳥」 石森(当時)章太郎先生の 「ファンタジーワールド ジュン」 、永島 慎二先生 (当時虫プロでジャングル大帝の演出をしていた) 「青春残酷物語」 の3本の強力な連載を擁して出発したのです。

 漫画ファンのページ 「ぐら・こん」 は最初の頃はともかく、最盛期にはかなりのページを使い、採点もテーマ、ストーリー、コマ割り、キャラクター、構図、絵などに分けて細かく採点されています。
 又、まんがファンの全国組織 「ぐら・こん」 結成を呼びかけ、かっての 「漫画少年」 のようにという言葉どおり 「COM」 の投稿者の中から多数漫画家を輩出することになります。つまり、ぐら・こんとはCOMの投稿ページのことと、まんが同人組織の名前も兼ねていることになりますね。

 組織の方の 「ぐら・こん」 は全国組織と言っても地方により活動にバラツキが有り、問題も多数あったようですが、とにかくもまんが同人の全国組織を作ろうという初めての試みだったのではないでしょうか。

これからは自分の持っている 「COM」 創刊号その他を見ながら。

 第1回のぐら・こん 「GRAND COMPANION」 を見ると、

まんが予備校
まんがの好きなあなたに!
アシスタントの夢・声

 の3つのコーナーに分かれています。

 まんが予備校では、
「ぐら・こん」 は生粋のまんがマニアの広場で、まんがをもっとかきたい、勉強したいという人の願いをひとつに集めて企画されたページだ。このまんが予備校へ入学された方々の大まんが家への成功を祈る! COM編集部 とある。

 最初の事とてストーリー2編、ギャグまんが1編 が掲載されており、大野 ゆたか氏の指導が載っている。

 まんがの好きなあなたに!では、
峠 あかね氏 (まんが作者としては真崎 守氏 ジャングル大帝のアシスタントプロデューサーだった) がファン活動に詳しいと言うことで、2ページにわたって 「活動を始めよう!」 とあおっています。 
 いわく、まんがをもっと読み、勉強し、かいてみるのもいい、と回覧誌を作ることを進め、自信がついたら新人募集に応募したり、出版社に持ち込みしたりプロに批評をしてもらおうと言っています。

 まんが家アシスタントの夢・声欄では、
石森氏アシスタント 永井 清(豪)氏 赤塚不二夫アシスタント 長谷 邦夫氏、ちば てつや氏アシスタント 政岡 稔也氏等8名のアシスタントの方の一言が載っています。多分ほとんどプロになられているのだと思いますが、私、不勉強でこの3名の名前くらいしか分からない 
 
 ページ下 「声」 欄に業界関係者の声が寄せられていますが、その中に 「ガロ」
 青林堂創業者の初代社長にして名物編集長 長井 勝一氏のお名前が。
「このような型の雑誌が一つより二つ、二つより三つと発行される事は、私どもにとっても非情に力強さを感じます」 とさすがですね。

 編集後記には、
正直な話、よくぞまあ、ここまでこぎつけたものだと思っている。企画が具体化してから発売までの期間が短かった為、まったくの冷や汗の連続であったうんぬん (山崎) 
 出版にこぎつくまでは大変だったのですねー。

 念の為、COMについてフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
で検索してみますと、(以下引用)

COM(コム)は、1967年から1973年まで発刊された漫画雑誌。

「描きたいものが書ける雑誌」および「新人を育てる雑誌」として、手塚治虫が、虫プロ友の会発行の会報『鉄腕アトムクラブ』を発展解消する形で創刊した。「まんがエリートのためのまんが専門誌」がキャッチフレーズ。1964年に先行して創刊された『月刊漫画ガロ』を強く意識して、両誌はライバル関係と目された。

「COM」は、COMICS, COMPANION, COMMUNICATIONの略だという。発行は、1966年に虫プロから分離した虫プロ商事。

刊行期間 1967年1月号~1971年12月号。1973年8月号として、1号だけ復刊された(1973年8月1日発行)が、その後、虫プロ商事は倒産。

姉妹誌には、1969年5月に虫プロ商事より創刊された少女漫画雑誌『ファニー』がある。

手塚治虫の「火の鳥」(黎明編・未来編・ヤマト編・宇宙編・鳳凰編・復活編・羽衣編・望郷編・乱世編)を看板作品とし、これはライバル誌の『ガロ』の看板連載だった白土三平の「カムイ伝」に対抗する形だったとされる。「火の鳥」以外には手塚治虫の旧作の復刻、手塚治虫系の著名作家陣が執筆した作品が誌面を飾り、石森章太郎「章太郎のファンタジーワールド・ジュン」「サイボーグ009 神々との闘い」、永島慎二「漫画家残酷物語」「フーテン」、出崎統「悟空の大冒険」などが連載された。その他、松本零士も登場している。手塚治虫とトキワ荘に関わりのある赤塚不二夫、石森章太郎、鈴木伸一、つのだじろう、寺田ヒロオ、藤子不二雄、水野英子ら計12名の作家による競作漫画「トキワ荘物語」が発表されたのもCOMであった。

既存の漫画家の作品に加えて、COMからデビューした新人作家による作品がCOMの両輪として人気を博した。登竜門としてのCOMから巣立った作家たち としては、青柳裕介、あだち充、市川みさこ、居村真二、岡田史子、加藤広司、コンタロウ、竹宮惠子、能條純一、日野日出志、諸星大二郎、やまだ紫、長谷川法世、宮谷一彦、西岸良平らがいる。また、真崎守が峠あかね名義で指導した読者投稿コーナー「ぐら・こん」(グランド・コンパニオン)は、吾妻ひでお、飯田耕一郎、勝川克志、河あきら、樹村みのりらを輩出した。

 以上となっています。長々と引用が多くて失礼しました。

COM 1968年5月号ふろく 「ぐら・こん」 ①

2007年03月08日 09時32分48秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 付録としてついた ぐら・こん (はじめはこの表記)の1番目です。表紙は 永島 慎二氏

 小さい (B6版) ながら130Pとたっぷり、執筆メンバーは 永島 慎二、岡田 史子、みつはし まこと、こうご 次男、村岡 栄一、真崎 守の各氏。
 特に永島氏の 「朝日をあびて死」 はこの時期極度のスランプに落ち込み、アメリカ旅行 (逃げ出したと言われた例の逃避行) の前に42枚もようやくアップした作品。その他の作品も青春の鬱屈やらほのぼの少年の日常やら、本格的時代劇までバラエティに富んで面白く、その後の 「ぐらこん」 より充実しているように見えます。

 永島 慎二 「朝日をあびて死」 

 自殺者募集で集まった若者を前に、死にたい理由を聞く募集者の老人。功成り、名遂げた老人はお金で解決することのできるものには小切手を切り、この場で恋の芽生えたものには喜ばしいことだと励ます。死ぬ理由のなくなった身勝手な若者たちは死にたくないと屋敷を出ようとするが、老人は今飲んだコーヒーには毒が入っているんだと言う。バタバタ倒れるみんな。夢の中で年寄りにだまされたと口々に言い合う。
 朝の光に気がついてみると、皆は生きており、老人だけがみんなを励ます手紙を残して死んでいた。

 後の作品は同人活動をしている方の本格的デビュー作品 (みつはし まこと、こうご 次男、村岡 栄一)や、新人賞受賞後のスタート作品 (岡田 史子) などとなっています。

 最後に 峠 あかね氏 (真崎 守氏) の 「始めに読んでくれ」 として、執筆メンバーやこのふろくができたいきさつが書いてあります。
 今回の別冊付録は 仲間 (グランドコンパニオン) の中の一部が、COMの舞台を借りて作品発表を行ったという事、と言ってます。先にその後の 「ぐらこん」 より充実していると言いましたが、それは同人の原稿だけは昨年よりたまっていて、メンバーたちが何らかの形でCOMとの縁があったのでまとめたと言っているので作品がそろっていたものでしょう。

 ぐらこん (グランドコンパニオン COMを中心にした仲間) の構想をぶち上げてから短期間でこのようなまとまった冊子を作れたのは以前からの同人作品が集まっていたからなのですね。順序が逆になりましたが、付録ぐらこん をすべて紹介できてほっとしました。

 当時のマンガ好きさんにはC0Mもぐらこんもなじみのある名前でしょうが、なにやらちんぷんかんぷんの方もいると思うので、今度は手塚先生の伝記やC0M創刊号などに載っている名前の由来など書いてみます。でも、私も当時は一読者ですので何か間違ったことなど有りましたら関係者の方々のご指摘をお待ちしております。

 COMについて簡単にはこちら → 竹宮 惠子氏のデビュー前作品
 

C0M 1968年12月号付録 「ぐらこん」 ⑧

2007年03月07日 08時47分12秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
    新進ビックフォア作品集 表紙は 樋口 太郎氏

 いつものようにネタバレです。 

 青柳 裕介 「遠い雲」

 高校生の頃、同級の真知を妊娠させてしまい、逃げるように大阪に就職してしまった男ケン。そのことは心のオリとなってケンの胸に残っていた。「なにかしなければ・・・」 もう結婚したという噂も聞いていたのに。
 偶然仕事で行った街で真知を見かけ、無理やり3日間の休みをもらってその街を探すケン。3日目にやっと会えた真知は、「あの時は悲しかったけど、昔のことよ」 と去っていく。その夜あきらめきれない自分に嫌気が差して酒を飲んだケンは夜の道で真知と今のだんなに出会う。
 思わず 「待てよ!」 と呼びかけるケン。しかし二人の臆せぬ様子に笑うしかないケンだった。だんながその後真知に言う言葉が憎い!
 「何も言わなくてハハ・・お前が彼から卒業していることは俺にはよくわかる ―略― 」

 私は由美、喫茶店に勤めている。お客様で気になる人がいるけど声もかけられないの。同僚の子はキッカケ作ってあげようかと言うが、本気だもん、怖くて断ったわ。3日ぶりにあの人が来て、私は嬉しさを隠しきれない。同僚は今度こそアタックするのよと言ってくれる。

 この作者には珍しく、新しい恋を予感させるラストでほんわかさせる。


 もとやま 礼子 「脱走」

 収容所のような建物の中で作業する男たち。監視している男たちは非情だ。新入りの男は事情がよくわからないようだ。自分はDマークといわれ、性格に欠陥があると言われる。知り合った女の子は、ここは捕虜収容所だと言って、Dマークの自分に悲しいことが起きないようにと謎をかける。
 同室の男たちにどこで戦争をやっていてどうしてここに閉じ込められているのかと聞いても変な気を起こすなよと言われるだけ。
 男はついに脱走を企て、女の子の犠牲のおかげで逃げ出せるが・・・。外はいたるところで戦争をやっていて、男はすぐに銃で殺されてしまうのだった。
 何かの比喩か、風刺的な作品。自由は不自由よってことか ????


ガンケ・オンム 「動物園で見た赤とんぼ」 

 幼稚園児くらいの少年。都会に住んでいて彼を取り巻く世界に耐えられなく思っていた。ディズニーの記録映画を見た時から大自然に憧れていた。彼は動物が見たくて始めて動物園に足を運ぶ。少年は動物園に行くことによっていつも不満に思っていることが消えてしまうように思えたのだ。
 だが、死んだ目をしてぐったり横たわるライオンやゴリラを見て、最後のものにも裏切られた・・・そんな思いがした。帰ろうとしたとき、少年の頭の上をたくさんの赤とんぼが通っていき、少年はとうとう心に抱いていたものを見つけることができたのだ、と思った。


 はせがわ ほうせい 「値段のない絵の物語」

 美大を受けようという浪人たち。一人っ子のため志半ばで国に帰るもの、11人兄弟の為に大学にいけなかったとグチをこぼすもの。ボクは高校同窓の女の子につい、言ってしまう。
 「私ども浪人の気持ちはわかりますまい。」
 「私ども浪人族はいまだ世間的に認められていない 値段のない絵なんです!」
女の子になじられ、できない事なんかないと励まされ、
 「くそっ、やってやる」 と思い直すボク。自転車でスケッチにでるぞ、と屑屋で自転車を買おうとするところで終わり。

 思ったことを思ったまま描いた私小説的な作品かしら?青年時代の鬱々とした感情はよく出ています。

 この中では最初の 「遠い雲」 が良かったです。青柳氏の絵柄も前よりすこーし明るくなってきたかなー。以前はほんとに見るのがやんなるくらい暗い画面だったから。
 このぐらこん⑧号で付録はおしまいになります。COMの付録としては、その前に手塚先生の名作劇場ドストエフスキー原作 「罪と罰」 などがまだ有りますので、そのうちに・・・。(又いつになるのか) 

 裏表紙に 「章太郎のファンタジーワールド ジュン」 の綺麗な宣伝が。


                 

COM 1968年11月号付録 「ぐらこん ⑦」

2007年03月01日 18時27分57秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
         手塚 治虫・石森(当時)章太郎 名作集 表紙は石森氏のキキちゃん

 手塚 治虫 「ごめんね ママ」 初出 昭和36年(1961) 「主婦の友」

 石森(当時)章太郎 「キキちゃん」 初出 昭和32年(1957) 「なかよし」

 作品解説 草森 紳一


 「ごめんね ママ」 は 「主婦の友」 に連載されたいわゆる 「家庭マンガ」 と呼ばれるものらしいのですが、私この作品ちょっと皮肉が効いてて大好きです。といっても、もちろん連載当時に見ていたのでなくて、この 「ぐらこん」 で見て手塚先生てやっぱり天才と思ったの。なんで子供の気持ちがこんなに良くわかるのかしら。そしてもちろん、大人の都合も。
 
 主人公のヤー坊は3~4歳くらいかな。見た目はとても可愛い男の子。サラリーマンのお父さん、優しい専業主婦のお母さんと3人暮らしです。ヤー坊にはもう一人のボク (ツノの生えてる心の中の悪魔ちゃん) がいて、ボクにいろいろと悪知恵や何やかやを吹き込むのだが、これが面白いんだ。
 大人顔負けだけれど、やっぱり子供の考えそうなことばかり。
 「敵は懐柔策にでるぞ」
 「欺瞞だっ、事なかれ主義だっ」
 「レジスタンスだっ」
 「いいかい作戦は綿密に立てよう」(これ、歯医者に行かないように計画を立ててます。)
 女の子と遊んでいて、帰りましょとママにいわれると
「無理解な親だよ」

 でもやっぱり 「ボク ママが一番好き」 になるんですよね。


 「キキちゃん」 デビューしてから3年後の石森先生のギャグまんが一作目だそうです。その後の 「テレビ小僧」 や 「いやんポコ」 「ボンボン」 「おかしなあの子」 につながっていく作品ですね。50年近い前のギャグまんがなので、今読むと今ひとつな感じですが、キキちゃんはとても可愛いです。

 最後に、第2回COMまんが同人誌賞募集のお知らせが載っていました。年一回全国のぐら・こん支部から肉筆回覧誌その他のまんが同人誌を募集し、その中で優秀な同人誌を生み出したグループに 「まんが同人誌賞」 を授与いたします、と有ります。発表は昭和44年COM紙上。で、見てみました。時間を越えてぴょ~ん。

 昭和44年(1969)9月号 第2回 「COM同人誌賞」 発表

1回目同様同人誌賞該当なし。
奨励賞 「墨汁三滴」 (ミュータントプロ) おや、河 あきら氏、スガヤミツル氏のお名前が。
 同上 「ふァん」 (武蔵野漫画研究会) こちらにはガンケオンム、あだち 充、神江 里美氏らのお名前が。 

 又、同人誌推薦競作集として、
かまた ゆりこ (奇人クラブ) 「せみになった夏子」
みなもと 太郎 (作画グループ) 「白い狩人 ハンター」
菅原 誠 (ミュータントプロ) 「こんなにつめたい」 石森氏アシスタント
安達 みつる (武蔵野漫画研究会) 「青い夏」 石井 いさみ氏アシスタント

の各作品が掲載されています。

 又、この号には 宮谷 一彦氏 の力作 「ライクア ローリング ストーンズ」 樹村 みのり氏の 「おとうと」 樋口 太郎氏 の 「ごきぶり」 などが載っていて、思わず熟読してしまいました。


 失くしたと思っていた 「ぐらこん ①」 有りましたー。文庫本サイズだったのでB5版のぐらこん他誌とは別のところにおいて有りました。いづれご紹介します。

COM 1968年10月号付録 「ぐらこん ⑥」

2007年02月26日 20時45分19秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 ⑤は最初にアップ(2月16日)したので抜いて⑥です。

 表紙は 樋口 太郎氏 特集は 「新鋭まんが家3人集」 となっています。表紙見返しは 石森(当時)章太郎先生のイラストとポエム、懐かしいSHOのサイン。

ポエム引用します

ハートを頭に移植して描いてはいけない

掲載順にネタバレです。

1. 作 並 構成 みやわき 心太郎 ハートコレクションNo.「あざみ」

 兄の恋人雅子にほのかに憧れている高校生の敬二15歳。兄は雅子と結婚するつもりだったが、父親に政略結婚を強制される。父の会社がつぶれて500人の従業員が路頭に迷わないようにするためだ。苦悩する兄だったが他に道はなかった。雅子を避ける兄。
 敬二は雅子を慰めているうちに姉弟のように仲良くなる。雅子と敬二が一緒に撮った写真を見つけてしまった兄は雅子に受験の迫った敬二にかまわないように伝えに行く。それは自分の恋心も封印する行為だった。
 無事受験に受かった敬二が真っ先に雅子に知らせようと走る道で、引越しの荷物とともにトラックに乗る雅子が一瞬すれ違うのだった。

2. 宮谷 一彦 「第四間戦期に生きて おとうと」 

 先に他誌で発表した 「風に吹かれて」 の続きということで、私にはあまりよくわからない話でした。鑑別所にて、少年たちが話をしている。
 「前の部屋で一緒だった元映画の子役だったやつがね、雨降りに通行人がいるときを見計らって、おっかさ~んて叫ぶのを楽しみにしてんだよ・・・」 

3. 青柳 裕介 「梅雨の終わりに・・・・・」

 同じアパートの小学5年の少女 すず と仲良くなった一人暮らしの青年 涼。すずは母親と二人暮しだが母親が旅館の仲居の仕事をしていて忙しく、すずをかまってあげられないらしい。
 お兄ちゃん、お兄ちゃんと慕われて一緒に過ごすうち、母親に告げ口するものが現れて・・・。涼を慕う食堂の女店員も絡んで、少女の大人顔負けの気持ち、涼の本当の気持ち、母親の心配などが丁寧につづられていく。涼は女店員に あの子を女として見ていたんでしょ、と言われても言い返せない自分を見つけた。涼はアパートを引っ越すことにした。
 成人してすばらしい人に求められ幸せになっておくれ。でも思い出しておくれおぼえてておくれ、遠いあの日のことをほんの少しでいいから。

 
 月締めが忙しくなってまいりました。今回はあらすじだけにて失礼します。でもまんがは読んでます。萩尾先生 「バルパラ異界」 を読み終わり、今は 吉村 明美 「薔薇のために」 再読中。まんがじゃないけど 「昭和美少年手帖」 なんて本まで読んでます~。アップするのが追いつきません~。
 

COM 1968年8月号付録 「ぐらこん ④」

2007年02月23日 11時22分43秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
          新鋭まんが家競作集 テーマは「晩夏」

 表紙の絵はどなたのかどこにも書いてないです ? 表紙の裏、見返しページには岡田 史子女史のイラストと詩 詩を引用させて頂きます。

くらいへや
ほこりっぽいまど
ちょうつがい
ひっそりとふくを
ぬいでみよう
いつまたなつが
くるのかな

 大きな窓の前にいすに腰掛けた多分裸 (いすの背もたれにかけた服で見えない) の少年。はかなげです。

 掲載順に説明します。黒字は作中からの引用です。

1. 晩夏  作・構成 みやわき 心太郎

 夏の終わり。しゃれた海の家 (良く見ると今でもなさそうなくらいおしゃれなつくりの海の家です) そこの息子がバイトの子達を送り出しながら回想する。
「とうとうこなかった!」
 昨年バイトで来た女の子の一人が気になってしょうがなかったのだ。今年もきっと来ると約束させたのに・・・。店じまいの支度をしながら去年の彼女との思い出をいろいろと蘇らせる息子。
「ばかだった・・・・。雇い主の息子という立場をふりまわさずにひとりの男としてはっきりうちあければよかったのだ・・・。」
 海の家を後にする父親と息子に顔見知りが今年は遅くまでがんばったねーと声をかける。いやせがれが商売っ気出しやがってなどと返す父親。遠くに去っていく後姿。
 知り合いの漁師さん、海の家の前を通りかかると女の子が一人。
「あの、ここはもうしめたのですか」
「ははは あんたもう夏は終わっただよ」
女の子のモノローグ
いまごろ気づいても遅いわ 人を愛するのにテクニックはいらない 自分に値打ちをつけようとして今頃来てもなにもならない ―略―  

 う~んいいなー。この人当時大好きでした。他にもアイドルと偶然付き合った男の子の話とか、年上の2号さんやってるような女の人にあこがれてしまった少年とか、ハートウォームな作品を次々COM紙上で発表してました。絵もすごく上手いんですよ。後に見たときには青年誌にちよっとエッチなものを発表していた。

2. それからの男  はせがわ ほうせい

 西部の男が現代の日本にタイムトラベルしてという話の続編。最後は又消えてしまっておしまい。

3. 包帯をまいたおばけ  川柳 敬太郎

 トラホームになった三つ目小僧が一人ぼっちの少女と出会って・・・・という、ちょっと古い絵柄ですが、ほのぼのタッチの作品。

4. 秋の使い BY 河 あきら

 夏の終わりに終わらない宿題を必死でしている少年。上の方からモミジと笑い声がはらりと。秋の使いというその声に美少女を思い浮かべ宿題も忘れて話し込んでしまったが、実は幼い少女が本と去年のモミジを元にお芝居をしていたというお話。彼はその後あの2時間を悔やみながら宿題をやっているというコマで終わりです。

5. 星は流れて  神江 里美

 大きな団地に引っ越してきた少年に少女ともう一人のヒロシという少年の友達ができる。3人で隠れ家を作って遊んでいた。思い込みの三角関係なども有りまして、ある日隠れ家がブルドーザーに壊されていた。悲しい終わりが待っている作品ですが、子供の気持ちになって描いている。この方、小池 一夫原作の 「弐十手物語」 の作画の人ね、当時からデッサン上手くて実力ありそう。

 この中ではやはり、「晩夏」 が一番と思いました。

COM 1968年7月号付録 「ぐらこん」 ③

2007年02月21日 09時18分19秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
              青春まんが作品集 表紙は はせがわ ほうせい氏

 
 収録作品

石森(当時)章太郎先生 「夜・・・小公園にて」
 恋人たちの行き違いと仲直りを描いた手馴れた小品。

宮谷 一彦氏 「若者のすべてPART3 セブンティーン」
 無軌道な男子高校生がやっとつかんだと思った真実は・・。かな ???

岡田 史子氏 「胸をだき 首をかしげるヘルマプロディトス」
 岡田氏いつもの独特の叙情的な作品。ヘルマプロディトスはギリシャ神話に出てくるヘルメスとアフロディーテの息子で両性具有神。泉の精サルマキスに一方的に愛されて体に乗り込まれ、溶け合って両性具有になってしまう逸話を描いています。

青柳 裕介氏 「陽炎」
 幼馴染のいとこのヨッコを恋して悩み苦しむ青年の愛の葛藤。

 巻末に 白浜 健一郎氏 (劇団 三色劇場 主催者) による 「現代青春論」 という評論有り。そこのイラストは 宮本 貞夫氏 (虫プロのアニメーター) のゴリラの絵。

 まんが4作品の中では、個人的に宮谷氏の 「セブンティーン」 が初めて読んだ時から衝撃的でずっと覚えている作品。私の中でCOMというとこの作品を思い出す程、好きというより衝撃を受けた作品。奔放な若者の行き着く顛末は・・・というような作品だと思うのだけど、映画 「イージーライダー」 を初めて見たときと同じ感覚かなあ。(ストーリーはぜんぜん違いますよ) 
 こんな青春は自分は選ばないけど自分じゃできないから喜んで見てるという感じ。これはCOMに発表された他の宮谷作品の中でも傑作と思うのだけど、どなたか賛同して (泣) 

 青柳氏は、その後商業誌に発表した 「土佐の一本釣り」 のような健康的な作品じゃなくて、この頃は少女に執着する青年とか、年上の女性と付き合ってる男性とか、この作品のように近くの女性への恋心を抑えられない男の子とか、恋愛もの、特にドロドロして読んでて気が重くなるようなものを描いていた。当時中学生の私には重すぎてあまり好きではなかった。
 その点、宮谷氏の絵柄はスマートで描いてる状況は青柳氏のそれより深刻なのに (自分が高校生なのに子供ができちゃったりしてます) カッコイイなぁと思ったものだ。当時COMの投稿作品に宮谷氏の亜流と岡田氏のそっくりまんががあふれていたっけ。


 裏表紙の裏側 (ここの場所はなんて言うんでしょうか) になんと青林堂 ガロ の特別増刊号の宣伝が半ページ載ってます。当時まんが界の双璧を成していた二つの雑誌、お互いに宣伝なんか乗っけていたのかしらん。
 「つげ 義春特集」 で、
「ねじ式」 (書き下ろし) となってますが、これが初出 ?
「紅い花」 これ好きな作品。
「李さん一家」 なんとなーく覚えているがウロだなー。
「通夜」
「チーコ」 これもかわいそうな話なんだけどすきすき。個人的に印象深い作品。
「運命」
「西部田村事件」
「海辺の叙景」
「山椒魚」
「初茸狩」
「沼」
「不思議な絵」
 収録となっています。 

 評論に唐 十郎氏や石子 順三氏、水木 しげる氏らのお名前も見える。これ見てない作品もあるなー、欲しいなー、今となってはどこにもないだろなー、あっても馬鹿高いだろなー、「つげ 義春全集」 みたいの買っても評論は載ってないだろうしなー、話がそれました。


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COM 1968年6月号付録 「ぐらこん ②」

2007年02月20日 08時52分49秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
              珠玉デビュー作品集です。表紙は石森(当時)章太郎先生


 永島 慎二先生の 「愛犬タロ」 と石森(当時)章太郎先生の 「二級天使」 解説は峠 あかね氏 (真崎 守氏) 

 解説によりますと、「愛犬タロ」 は昭和31年雑誌 「少女」 (光文社) 連載、作者19歳の時の作品。これの前に単行本6冊、同誌に読み切り1編を発表した後の雑誌への本格的デビュー作品 となっています。
 これね、今読んでも物語りにぐっと引き込まれます。絵柄はさすがに古いし、なにしろ当時の少女マンガですから、お涙頂戴の箇所もある、しかし叙情が香る好編なのです。少女マンガなのに少年と犬の物語というのも珍しい。私が子供の頃 山田 えいじ氏の 「ペスよおをふれ」 という少女と犬の話はありましたけど。
 
 永島先生のまんがは後に少年マンガ雑誌に連載がいろいろ出た頃、少年マンガの中では結構好きで見かけると読んでいました。COMの中でも見ていましたけど、少年マンガでは少年マンガらしい絵柄で描いていて、器用で上手い絵を描く方だなあと思ってました。そしてなんというか、「柔道一直線」 みたいな男っぽい話でも景色とか時々叙情的な場面があるのです。本当はロマンティックな人なんじゃないかと思ってました。原作者の梶原 一騎氏と後に見解の相違があり、「柔道一直線」 を降りたというのもなんとなくわかるような気がします。
 
 同じく解説によると、石森(当時)章太郎 「二級天使」 は、昭和30年 雑誌 「漫画少年」 (学童社) に連載の作者17歳の時の作品。四コマの投稿マンガののち、発表した始めての長編物にしてデビュー作。連作読みきりで10話ある。一話ごとにテーマやジャンル、手法などを変えて大変実験的な作品です。
 ここでは 
「片目の虎」 ジャングルで片目の虎をカタキとねらう少年の話、

「時間を支配する人間」 古代から今までの時間の流れを見せる石森氏がよく描く、恐竜時代から次第に進化して人間が出てきてという絵巻物、

「雨」 チャップリンのような親父の、心温まる犬の親子との話

 の以上三話が載っています。

 映画の影響が強く、書き込みの多い絵で、ちょっと暗い感じもするのですが、初期手塚作品 「ロストワールド」 風の絵です。しかし、これ17歳の作品ですかー。絵も話も上手すぎてびっくりですよ。

 裏表紙に7名の漫画家および編集者の一言が載っていますが、手塚 治虫先生が 「二級天使」 について 「異常なまでの叙情性への追求は ~ 現在の ジュン にも見出すことができます。」 と褒めているのが印象的。ジュンの初めの頃は今でも語り草になっている 「あれはマンガじゃない」 発言があったと言われていますが。

          お二人とも、栴檀(せんだん)は双葉より芳し ですね。


 最近、古い漫画関係で拙ブログを新規にお訪ねして下さる方が増えて、大変うれしく思っています。作者順、あいうえお順にまとめていなくて見づらいとは思いますが、左のカテゴリのマンガをチェックすると漫画関係だけ出てきますので、60年代の石森作品や水野作品、またはCOMの書影など、写真のみでもごらんになっていってくださいませ。