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猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

COMの中の女性作家 ② 竹宮 惠子

2007年05月16日 12時23分50秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
       COMの中の女性作家さん その②は 竹宮 惠子 ケーコたんです。

 COM 昭和43年(1968)7月号 第十回月例新人入選作 「カギッ子集団」 16ページ 全ページフルサイズで掲載

 上の写真、39年前発表の作品ですが、どうです?今と変わらぬキュートな絵柄でしょ? と言うか、石ノ森氏風の少年まんが画風のここから始まって、「風と木の詩」 のような華麗な画風を経て、今は又、昔の適度に省略されたすっきりした画風に帰っている様に思うのですが。

 昔はカギッ子と言う言葉が有りました。共働きの家の子がまだ少なかった頃、鍵を持たされて日中一人で過ごす小学生くらいまでの子をそう言ったのです。今は学童保育とかあるし、専業主婦の少なくなった今はかえってそんな言い方しませんね。当時は親の管理の行き届かない子、親にほったらかされてる可哀そうな子と言う風な、どちらかと言えば悪い印象の言葉でした。

 あらすじ

 団地のカギッ子たちの団長 (最後まで名前は出ません) の男の子 (上の写真上段の右から2番目) は新しくカギッ子となったトコちゃん (写真下段 女の子4歳くらい?) をカギッ子集団に入れようと奮闘します。仲間のみんなは女の子だし年も小さいしと難色を示しますが、一人ぼっちで寂しそうにしているトコちゃんをほっておけないのです。それはそのまま自分達を見ているようで。
 
 しかし、トコちゃんは彼らと遊んでいるとママにしかられるので仲間に入るのを 「いや~」 と断固拒否。きちんとママとの約束を守ろうとするのですが、
でもなぜ ? どうして ? あの子たちと遊んじゃいけないの ?
ママに聞いても答えてくれません。カギッ子集団がいたずら小僧の集まりで、団地の奥様方からつまはじきされているから ? トコには理由が分かりません。

 違う日、トコがお友達と遊んでいると夕暮れ時、友達のお母さんが友達を迎えに来ます。何でうちのママは迎えに来てくれないんだろう。涙ぐむトコちゃん。そこに懲りない団長が慰めようと近づきます。

だめ! ママにしかられるもんっ

寂しいくせによ! なーんてま強情なチビなんだろ

だって ママが ママが・・・

 ワァァァと泣き出してしまうトコ。あわてて回りに集まってきたカギッ子集団の面々、アメを出したりあやしたり。

 やっと泣き止むトコを物陰から複雑な思いで見つめるトコママ。帰るトコママにおせっかいおばさんがトコちゃんがあんな監督不行き届きのカギッ子と・・・と告げ口すると 「トコもカギッ子です。」

 あの子たちは監督不行き届きじゃなくて、おとなの理解が不行き届きなんですわ。

 ここ、いいセリフですね。カギッ子集団とトコの楽しく遊ぶシルエットで終わっています。

 視点が紋切り型でなくて全体を見渡し、男性的なものを感じます・・・って、私も女流と言う言葉につかまっているのか ? お父さん達が、団長のことを あれでなかなかやるんだよ と言っているのを冒頭に出したりしています。
 反面、はっきりした解決法やトコママとの和解の場面を描かなかったりで中途半端な感じもないわけでは有りませんが、問題提起ということでしょう。

 選者の 峠 あかね氏 も、ラストで何もかもワカッチャッタ大人と歩み寄るような描き方ならば、文句なく佳作となった作品 と言っています。
 又、藤子 不二雄氏は、竹宮氏の場合は強い個性と言うより総合点での入選と言える。女性作家が男の子のグループを取り上げたことは面白く、又嫌味がなく自然に入っていける。カギッ子とはこういうものという説得力に欠ける。今後は山の張り方にポイントを置いて作品作りをするように、等々の評を寄せています。

 わたしなんか今読んでも、18歳の少女の作品とはとても思えないくらい完成されて見えるのですがねーー

COMの中の 矢代 まさこ ① 「蝶々の泣いた夜」

2007年05月14日 11時35分38秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 矢代 まさこ氏は、COMの女性作家の中でも作品数が多いので他の女性作家と別枠にしました。


始めに、矢代 まさこ氏のCOM掲載作品は以下の通り 参考 矢代 まさこ 掲載雑誌別作品リスト


短編シリーズ 1
 蝶々の泣いた夜 16ページ 昭和43年(1968) 6月号
短編シリーズ 2
 笑いかわせみにいえない話 20ページ 昭和43年(1968) 7月号
短編シリーズ 3
 歌うたう里子 20ページ 昭和43年(1968) 8月号
短編シリーズ 4
 わが名はボケ猫 20ページ 昭和43年(1968) 9月号
ノアとシャボン玉
短編シリーズ 5
 クモの糸 3話 22ページ 昭和43年(1968) 10月号
短編シリーズ 6
 ここちゃん 16ページ 昭和43年(1968) 11月号  
短編シリーズ 7
 5匹と2人の物語 24ページ 昭和43年(1968) 12月号
短編シリーズ 8の1
 シャボン玉 23ページ 昭和44年(1969) 1月号
短編シリーズ 8の2
 シャボン玉 24ページ 昭和44年(1969) 2月号
短編シリーズ 8の3
 シャボン玉 24ページ 昭和44年(1969) 3月号
短編シリーズNo.9
 影を落とした・・・・・・ 20ページ 昭和44年(1969) 4月号
短編シリーズNo.10
 セント・レニの街 20ページ 昭和44年(1969) 5月号
短編シリーズNo.11
 熱・すすき・白い闇 20ページ 昭和44年(1969) 6月号  
短編シリーズ 最終回
 まり子の涙 20ページ 昭和44年(1969) 7月号
ノアをさがして 48ページ 昭和44年(1969) 11月号
風のある絵 24ページ 昭和45年(1970) 3月号
ひろ子が待つ人 40ページ 昭和45年(1970) 7月号 『なかよし』掲載作品再掲
矢代まさこのおもいつ記 3ページ 昭和45年(1970) 5月増刊号
ノミの歌 24ページ 昭和45年(1970) 7月号 42年「別冊マーガレット」掲載作品の再掲 ※タイトルを変更
駄犬の目 24ページ 昭和45年(1970) 8月号
ひいらぎ 24ページ 昭和46年(1971) 1月号  
エミのストールのこと 24ページ 昭和46年(1971) 4月号  
うそつき鏡 24ページ 昭和46年(1971) 10月号


 COM 昭和43年(1968)6月号掲載 短編シリーズ① 「蝶々の泣いた夜」 

 アラスジ

 森のはずれに裸の少女の古い人形が捨てられています。女の子達は金髪のトップモードのお人形に目を奪われるものですから・・・。
 人形はあんなに可愛がってくれていた女の子が急に変わってしまったのがわかりません。もうお友達は出来ないのかしら・・。
 
 そこへバリバリと葉っぱを食べながらイモムシ君登場。イモムシを大きなハチから守ってあげて人形のミミとイモムシのゴロゴロ (ミミが歌からつけた) は友達になります。ゴロゴロがミミのベッドを葉っぱで作ってあげたりして楽しく時は過ぎ・・・。
 
 秋が来るとゴロゴロはあんなにバリバリ食べていた葉っぱを食べなくなり、ついに神様からのような、抗えない命令が聞こえる・・・苦しい・・・と言いながら、サナギになって動かなくなります。大丈夫、僕死にはしないから、というゴロゴロの言葉を信じて人形は木枯らしの中、吹雪にもめげず、花が咲いても鳥が鳴いてもわき目も振らずにゴロゴロのそばで待ったのです。

 そして―初夏。見事な蝶になってサナギを脱ぎ捨てるゴロゴロ。でもミミにはゴロゴロが蝶になったのが分からない。からっぽのサナギを抱きしめて泣き叫びます。あなたったらゴロゴロの中にいたくせにゴロゴロをほおって行ってしまうんだわ。成長すると言うことを、抜け殻を捨てると言うことを人形は知らないのです。カサカサの醜い抜け殻は女の子に飽きられて捨てられた自分の姿にも見えるのです。

 人形は泣いて、泣いて小さな川が出来ました。それでもどんどん泣いたので、人形はおぼれて流れて行きました。このとき人形は死んだのでした。
 ゴロゴロは考えます。知らなかったの ? 生きているものならどんなものでも時間がたつに従ってかわっていくものなんだ。僕も今やっとそれを知ったところなのに、ミミは附いてこられなかった・・・ミミ・・・。

 川に流される死んだ人形の上をゆっくりとついて行く大きな蝶々。
夜釣りの男が死んだ人形の流れてくるのを見ました。それをあやすように水面を飛ぶ蝶を見ました。そしてすぐ忘れました。蝶はなんだか涙ぐんでいるように見えたのですけれど。

 変わることを恐れるなというメッセージを伝えたかったのか ? でも人に作られた人形はどう変わればよかったのか ?

 マンガではあるけれど、言いたい事は大体文章で説明しています。少女向けの甘いマンガでないことは分かるけれど、これからC0Mで何をどのように描こうか模索中に見える作品。

 この号では、矢代 まさこ氏と 山上 たつひこ氏が初登場しています。矢代氏は読みきり連載の形です。山上氏は表紙では新連載となっていますが、作品は 「破局への招待」 という短編SFもの。凶暴な地球外生物が宇宙を護送中に逃げ出し、地球に降り立ち生まれる寸前の女性のお腹の中にいた赤ん坊に取り付いた。かれの名は アドルフ・ヒットラーと言った、というもの。次号の1968年7月号より 「人類戦記」 という長編連載の第1回が始まっています。

 又、この号の ぐらこん 児童まんがコースのトップは 安達 みつる氏 (あだち 充) (当時17歳) の 「友の影」 絵は達者ですね~。



                  

COMの中の女流まんが家 ① 飛鳥 幸子 「キリスト正伝」

2007年05月07日 17時25分06秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 GWにCOMをひっくり返し、女流まんが家さんの記事を書くぞ!と張り切って、まずはCOMに女流で最初に登場した 矢代 まさこ氏 をと思ったのですが・・・、COM掲載作品数が多くその充実度も凄いのに圧倒されてあえなく挫折中。ただいま草稿中ですので、しばらくお待ちくださいませ。

 で、「COMの女流といえば、」 と以前の記事コメントで夜さんが覚えていて書いてくれた 飛鳥 幸子氏 の 「キリスト正伝」 を引っ張り出しました。(短編だし)
 
 飛鳥 幸子氏はCOMに

1968年 2月号 ほほえみをあなたに
1968年 6月号 キリスト正伝
1969年10月号 誰がためにベルは鳴る
1970年10月号 エルシノア城奇談

 の4作品を発表されていますが、夜さんと同じく私もこの 「キリスト正伝」 しか憶えていませんでした。他の作品はまだ再読していないのですが、よっぽどこの短編がお互いの記憶に刻まれていたものでしょう。これ、ギャグ作品なのですがキリスト教関係者が読んだら漏れなく激怒しそうな内容でして・・・。いや、当時カソリック系の小学校を卒業して3年しか経っていない私は大笑いしましたけどね~。(ばちあたり)

 あらすじ

 西暦元年 (当たり前) ベツレヘム―。ヘロデ王の代 処女マリア聖霊により身ごもりてイエスを生みたもう。
 マリアの婚約者ヨセフ (大工さんね) は 「この子はいったい誰の子だ!」 と詰め寄ります。しかしマリア、あわてず騒がず 「神の子です。口を慎みなさい。」 と。東方より来た3博士の薦めもあって、?????? ながらもヨセフはマリアと結婚します。イエスは成人となり、神の子であることを民に告げ布教活動に入ります。
 
汝 盗むなかれ! 汝 殺すなかれ! 汝 姦淫するなかれ!

 おかげでこの地方の出生率大幅低下 (爆笑) 総督のピラトは原因がイエスの教えと分かると困ってしまいます。イエスが神の子だと信じている民衆の騒ぎが怖かったりして捕まえるのを躊躇してうだうだ言ってるんです。しかし、イエスは本当は神の子じゃないと耳打ちされ、民衆をだました罪で捕らえる理由が出来たとばかりにマリアの家に証拠固めに出かけます。
 ところがマリアの前で誰も彼もがイエスは俺の子だと騒ぎ始め、実のところマリア本人にも誰の子か分からないという始末。

 かくも世の中の女の不実なるをイエスはしみじみと泣き、十字架に架けられたのであった・・・。  まんがの画像はこちら↓

 
 十字架に架けられるイエス・キリスト 飛鳥さん、面白すぎ


 最後はSFちっくに終わります。実は宇宙人が地球征服の為に仕掛けた事だった (人口を減らしてから攻めるとか) だが、失敗した。それは人間のバイタリティーによるものだ、二千年たっても救いようのないハレンチな連中ばかりだ、我々植物系の生命体には分からん、とあきれて帰って行くUFOの絵。

 飛鳥氏は聖書読み込んでますね。ピラトが逡巡するところなんか内容はずれてるけど、元の通りのような。(ずいぶん前に読んだのでウロだけど)
 去年公開の映画 「ダ・ヴィンチ・コード」 はイエスが結婚していたというところが欧米では論争になったそうですが、これはそれどころじゃないでしょ。イエスはどこの誰の子とも分からない、マリアの姦淫の果ての子、だと言うんですからねぇ。私、夜さんから聞いたときはギャグだったよな、としか憶えてなかったんですが、再読して納得でした。

COM 表紙 1971年1月号~12月号 及び 1973年8月号

2007年04月03日 15時25分24秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 COMの表紙写真、最後になります。 上の写真は1971年1月号、イラスト 和田 誠氏 
                突き抜けて、No.1 ! 




               
                    


                    1971年2月号 和田 誠氏 むっ、おぬしやるな。



                    


                     1971年3月号 和田 誠氏 人と違うお洒落はオーダーメイドから。



                    


                     1971年4月号 和田 誠氏 ろ、労災きかせてくださいね~。



                    



                     1971年5・6月合併特大号 イラストは 今西 春彦氏 COMが発掘した新人で、日大芸術学部卒との説明が目次ページに有りました。




                     



                     1971年7月号 手塚 治虫氏 なにかアニメっぽい。創刊号の表紙以来2度目の、そして最後の登場となります。



                     
                     


                       
                     1971年8月号 石原 春彦氏 となっているけど、何の説明もなし。もしかして5・6月号の 今西 春彦氏 のミスプリ ? でもタッチがちがうなあ。あたしゃ、永島 慎二氏かと思いましたよ。縞猫の囚人服ね。




                     



                     1971年9月号 石井 いさみ氏  「750(ナナハン)ライダー」 で人気になるのは、1975年から。デビューは1957年の少年クラブ 「たけうま兄弟」 でもこの頃にはもう 「少年サンデー」 で連載お持ちです。 親亀の指に小亀が食いついて~。


 
                     



                     1971年10月号 サインのあるとおり、ちば てつや氏 キスマークって鼻の形だっけ ? 




                      


                      
                      1971年11月号 水野 英子氏 なぜにお馬に温泉マ~ク ?


                    
                      


                     
                      1971年12月号 松本 零士氏 古来より男を捕らえて離さない お・ん・な の魔力。



                      



                      1973年8月号 復刊号 村野 守美氏 

 復刊号となっていますが、これを最後に COM は出されなくなりました。虫プロ商事が1973年8月22日に倒産したからです。そして (旧)虫プロダクション も1973年11月5日に倒産。
 1971年12月号と、この1973年8月号の間に COMコミックス という雑誌があったそうですが、私は見つけられず従って買っていないです。毎月COMが出ていないか待って探していたのにどうして見つけられなかったんでしょうね。部数を出していなかったとか ? どなたか COMコミックス をお持ちの方がいらっしゃったら、書影をぜひ見てみたいものです。

 1967年から1971年まで (おおよそ) COM 5年間の軌跡の表紙集、お付き合いありがとうございました。


 COMコミックスについての情報が有りましたので貼り付けておきます。情報先は日本マンガ学会のマンガデータサイト漫画雑誌データベースです。詳しいですね~。 → 漫画雑誌データベース


 COMコミックス 虫プロ商事
・刊行期間 1972年1月号~1973年3月9日(6)号
・『COM』の奥付を引き継ぐ
・1972年12月1日(12)号 第6巻第11号まで月刊 以後月2回刊
・1972年12月8日号は、第1巻第1号/1972年12月22日号は、第1巻第2号となっている。
・1973年1月12/26日合併号以降は、第7巻第**号に戻る。
・1972年12月8日号から雑誌名が『COMコミック』に変更
・発売日/月刊:・・/月2回刊:第2/4金曜

COM表紙一挙紹介 その④ 1970年 1月~12月

2007年03月28日 18時17分59秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
      創刊4年目の11冊です。5・6月号は合併号となっています。最初は1月号 イラストは和田 誠氏 めでたい初日の出、と思ったらあれれったこかいな。


                 


                 2月号 和田 誠氏 雪は小さな雪だるま !


                 


          3月号 和田 誠氏 うっ自分の足をみるようで・・見たくはないが、そのハイヒールは欲しいの~。


                
                 


                 4月号 和田 誠氏 自分で走って、自分で鞭打って。人間とおんなじだわ。



                 


               5・6月合併号 和田 誠氏 どこまで行っても たまねぎの皮 ?



                 


             7月号 和田 誠氏 こんな綺麗な水ならば、どんなお花が咲くでしょう。



                 
         


                 8月号 和田 誠氏 いつでもどこでもライター要らず。灰皿は ? 



                 


                 9月号 和田 誠氏 問題です。缶詰の容積は 何㎥ か。



                 


              10月号 和田 誠氏 ちっとも怖くないんですけど。



                 


                 11月号 和田 誠氏 世界一強い番犬です。



                 


   12月号 和田 誠氏 今も昔も道しるべなしに人は生きてはいけません。それが看板でもイエス・キリストでも。


 以前の記事で1970年当時の表紙を やなせ たかし氏 と勘違いして書いてしまいまして、失礼致しました。前の記事も訂正しておきましたが、こちらでもお詫びして訂正させていただきます。

COMの表紙③ 1969年1月~12月

2007年03月27日 10時24分40秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
                 1969年1月号 表紙は 和田 誠氏


                


                 1969年2月号 表紙は 和田 誠氏


                
                


                 1969年3月号 表紙は 和田 誠氏



                


                 1969年4月号 表紙は 和田 誠氏



                


                 1969年5月号 表紙は 和田 誠氏



                


                 1969年6月号 表紙は 和田 誠氏



                


                 1969年7月号 表紙は 和田 誠氏




                
                


                 1969年8月号 表紙は 和田 誠氏




                


                 1969年9月号 表紙は 和田 誠氏



                


                 1969年10月号 表紙は 和田 誠氏



                


                  1969年11月号 表紙は 和田 誠氏




                


                  1969年12月号 表紙は 和田 誠氏

 この年の表紙もすべて、前年にフリーランスとなった新進気鋭のデザイナー及びイラストレーターの 和田 誠氏 の作品です。

岡田 史子 デビュー(前)作品 「太陽と骸骨のような少年」

2007年03月26日 13時32分00秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 COM 1967年2月号 第2回ぐら・こん まんが予備校にて

 上の写真はいつものように私の模写です。本物の載っているサイトは見つけられなかったので。どなたかご存知なら教えてください。それにしても誰か綺麗に写真撮る方法教えて(泣)

 岡田氏の経歴については、復刊ドットコムの岡田 史子 復刊特集ページの中のプロフィールではこんな感じ。

1949年 北海道静内町に生まれる。

67年「COM」誌にて「太陽と骸骨のような少年」を発表しデビュー。当時17歳。

翌68年「ガラス玉」で「COM新人賞」を受賞。

以後、72年まで同誌を中心に作品を発表し続ける。

一時は漫画と無縁の生活をおくっていたが、78年から再度漫画の執筆をはじめる。

しかし本格的なカムバックには至らず、90年に「漫画・夢の博物誌」に発表した

「エリム」以降、断筆。 (これ見てないです)

作品は抽象度が高く観念的で、一作毎に変わる絵柄は魅力的。

萩尾望都や山岸涼子ら24年組に強い影響を与えたといわれ、

「漫画家のための漫画家」と呼ばれることも。

2005年4月心不全の為死去。享年55歳。



 上では、 
 >「COM」誌にて「太陽と骸骨のような少年」を発表しデビュー。
となっていますが、「太陽と骸骨のような少年」はCOMの投稿コーナーである ぐら・こん のまんが予備校に投稿された作品であり、600点満点のうち370点の高得点を取っている入選作品なので、デビュー作ではないと思います。すぐにCOMの人気まんが家になっていますが。


    ↓ 岡田氏のファンサイトにも経歴が出ています。

岡田 史子ファンサイト 硝子玉

    ↓ ここでは 「ガラス玉」 と「春のふしぎ」の各1ページと本人のインタビューが読めます。

岡田 史子インタビュー


 「太陽と骸骨のような少年」は7P、全ページ4/1の縮小サイズで掲載され、大野 ゆたか氏が講評されています。要約して下に載せますと、

 岡田さん自信も言っている様に、この現代詩のような饒舌を美しいカットで飾った七枚の原稿をまんがと呼べるかどうかは多分に疑問だ。
 ストーリーもなく対話もかみ合わず、年少の読者には分けの分からない作品としか見えないだろう。
 しかし、まんがの形式を借りたこの作品はいままでまんがでは扱えなかったテーマ ― 人生・希望など ― に正面から挑戦している。
 岡田さんのこのテーマがまんがとして完成され、表情豊かにまんがの主人公がなめらかに 「人生」 をしゃべりだし、多くの読者がそれを認めた時、作者はまんが界に一つのジャンルを築くことになるだろう。情緒と形式に安住せずに勉強してください。それと、よりよき読者としての友人を一人でも多く身辺に見つけることです。


 多くの投稿作品を見ていたであろう 大野 ゆたか氏 にとってもかなりな問題作だったようです。絵柄は、この当時は石森氏にちょっと似ている。後になるとペイネ風と言うかムンクにも通じて、目が空洞になって 岡田 史子氏 の画風になってきます。
 
 この作品は、精神病院に入っているらしい少年と看護士(少女)の会話だけの内容で、神殿のような背景と海が見えます。少年は好き勝手にモノローグを繰り広げ、少女の質問にはかみ合わない答えを繰り返す。今大人になった私が読んでも、悪く言えば独りよがりの作品よ、と言えなくも無い。その後のCOM発表の作品群も難解なもの多いです。
 事実近年出た作品集 「オデッセイ」 などを見た今の読者の中には過去の有名な人なのに良さがちっとも分からない、と言う人もいます。
 
 デモねー、無理に内容をわかろうとしなくてもよいと思うのですよ、この作品は。この後彼女の亜流がどっと投稿作品に増えたほど、当時のまんが好きには彼女を強烈に印象付けた作品。

      私も2P目のこの少年の姿が40年近くなっても忘れられないのです。


 拙ブログ過去記事参考 → 伝説の岡田史子氏に合掌

あだち 充 デビュー前 (投稿) 作品 「虫と少年」

2007年03月22日 15時46分50秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
         又暗い画像ですみません。これも模写してみました。フラッシュ焚くと光って見えないのよね。


 作者16歳当時の作品です。私が模写すると石森調になってしまって、凄く似ていると言う感じでは無いですが、雰囲気だけでもと思いまして出してみました。顔がもう少し丸顔ですね。これはコピー用紙に鉛筆描きです。
 COM1967年9月号 投稿コーナー 「ぐら・こん」 第4回月例新人入選の佳作の2番目、「虫と少年」 20Pの表紙です。

 あらすじ ネタバレです

 ケンは虫を採ったり殺したりすることが大好きだった。夏のある日、林の中へ虫を採りに行き、一匹のセミを捕まえるが、その時一人の少年が現れ虫を殺すと不幸が起きると忠告する。だがケンは聞こうとしないので少年と格闘になった。
 ケンの一発でガケから落ちる少年。心配になったケンがガケ下で見たものは・・・虫の姿に変わっていく少年の死体だった。ケンは驚くが殺したのが虫で良かったと言う。その時あたりが闇となり見知らぬ原っぱにいるケンの前に巨大な虫の一群が現れる。ケンは気絶するが、目を覚ますと知らない人間に取り囲まれ自分たちは虫だと言う。捕まったケンは裁判にかけられ死刑と決まるかに見えたが、リーダーが死刑に反対する。許されたケンは元居た林の中に立っていて、泣きながら家へと走った。

 虫を虐めていた少年が虫の精にピンチに追い込まれると言うお話で、
達者な作品だと言える。ただその後ケンは改心したのか、その後が中途半端 だとか何とかと講評されています。なるほどなぁ。

 でも、16歳ですよここまで描けるなんてびっくりですよ。ここでも栴檀 (せんだん) は双葉より芳し を思い出しました。

 後、COMには1971年の9月号に 「なかよしの詩(うた)」 「夕陽よ昇れ!!」2巻収録 という作品を投稿でなく正規の掲載作品として発表しています。

COMの表紙 その② 1968年

2007年03月21日 23時21分28秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
         COM表紙集第2弾 1968年です。

 上の写真は1968年1月号 絵は 和田 誠氏。


             
               



               1968年2月号 和田 誠氏


               
               



               1968年3月号 和田 誠氏



               



               1968年4月号 和田 誠氏  



               



               1968年5月号 和田 誠氏



               



               1968年6月号 和田 誠氏



               



               1968年7月号 和田 誠氏
        この号の第10回月例新人入選 竹宮 惠子「かぎッ子集団」



               



               1968年8月号 和田 誠氏 



               



               1968年9月号 和田 誠氏



               



               1968年10月号 和田 誠氏


               



               1968年11月号 和田 誠氏



               



               1968年12月号 和田 誠氏



 表紙はいづれもエスプリが効いた、和田 誠氏らしい作品ですね。



               


            手塚先生作 「罪と罰」 (左) は1968年の新年特別付録です。「弁慶」 (右) は同じく手塚先生作1968年4月号の付録。二つとも旧作の再録です。又、以前写真アップした付録の 「ぐら・こん」 は、この1968年の5月号に①が付いてから、6月号②~12月号の⑧迄続きます。
                  

COM 表紙一挙紹介 その① 1967年

2007年03月19日 11時11分29秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 C0Mを1号づつ、表紙の写真とともに内容まで紹介しようと思うといつになるやらなので、表紙のみ一挙に紹介しよう!

 という口実の元、本当は管理人が今 「ベルサイユのばら」 に耽溺し、後半の悲劇に泣きつかれて軽いものでもと手に取った 山田 ユギ氏 のBLの男の子たちの感情表現にこれまたハマリ、これではいかんと 西谷 祥子氏 に逃げ、一ノ関 圭氏 の文庫と 竹宮 惠子氏 の姫川君 (通りすがりに殺したい) にも秋波を送りつつ、というしっちゃかめっちゃかな読書中のため、感想が書けない状態をごまかすためです。
 なお、写真に影が出ているのはひとえに管理人の撮影が下手なためです。

            はぁ~、では本日は1967年1年間分をどうぞ~。

 
 上の最初の写真は以前も出しましたが、1967年1月号 創刊号です。表紙は手塚 治虫先生。



               


               1967年2月号 表紙は 永島 慎二氏


               


               1967年3月号 表紙は 石森(当時)章太郎氏


               

       

               1967年4月号 表紙は 永島 慎二氏



               


               1967年5月号 表紙は 石森(当時)章太郎氏


               
               



               1967年6月号 表紙は 永島 慎二氏



               


               1967年7月号 表紙は 長谷川 京平氏


             
               


               1967年8月号 表紙は 長谷川 京平氏



               



               1967年9月号 表紙は 長谷川 京平氏




               



               1967年10月号 表紙は 長谷川 京平氏




               



               1967年11月号 表紙は 長谷川 京平氏




               



               1967年12月号 表紙は 長谷川 京平氏

 
 以上 1967年1月~12月でしたー。皆様が以前持っていた、懐かしい物は有りましたか? 次回は1968年の1年分です。