十石峠をあとにします。
書き残したことがありました。
佐久穂町から抜井川に沿って上がってくる峠の手前に「木地師の墓」という案内板があります。何となく通り過ぎましたが見ておけばよかった。墓石に「菊の御紋章」があるはず。
木地師とは9世紀半ばに文徳天皇の第一皇子の惟喬親王が後継者問題のゴタゴタで滋賀県永源寺(現東近江市)の小椋谷(蛭ヶ谷、君ヶ畑)に逃れ山の匠の祖となり全国に組織をはった集団です。墓石の「菊の御紋章」はそんなことからの由縁でしょう。信州の他の地でも見られるそうです。
信州側と違い急傾斜の道を行くと道が二つに分かれ、林道のほうをを行くと鹿に出遇いました。車を停めてシカトせずにニラメッコしながらカメラをバッグから出していると、サヨナラされました。カメラをシカと身の回りに置いておかなかったのが失敗だったなぁ~。
峠を下ると秩父小鹿野町。秩父市でお蕎麦屋さんにより定峰峠(600m)、白石峠(750m)を越えて帰宅しました。
3泊4日の墓参り、山の谷を尋ねる散策でした。
書き残したことがありました。
佐久穂町から抜井川に沿って上がってくる峠の手前に「木地師の墓」という案内板があります。何となく通り過ぎましたが見ておけばよかった。墓石に「菊の御紋章」があるはず。
木地師とは9世紀半ばに文徳天皇の第一皇子の惟喬親王が後継者問題のゴタゴタで滋賀県永源寺(現東近江市)の小椋谷(蛭ヶ谷、君ヶ畑)に逃れ山の匠の祖となり全国に組織をはった集団です。墓石の「菊の御紋章」はそんなことからの由縁でしょう。信州の他の地でも見られるそうです。
信州側と違い急傾斜の道を行くと道が二つに分かれ、林道のほうをを行くと鹿に出遇いました。車を停めてシカトせずにニラメッコしながらカメラをバッグから出していると、サヨナラされました。カメラをシカと身の回りに置いておかなかったのが失敗だったなぁ~。
上野村の谷に下り神流川に沿って走り、神流町の叶山の麓から志賀坂峠のトンネル(800m)に出ます。
写真はトンネルを出た埼玉県側です。
写真の左側の道が八丁峠の八丁トンネル(1200m)に通じる道です。両神山に通じます。
トンネルから見た二子山(1166m)です。垂直の断崖が迫ってきます。
写真はトンネルを出た埼玉県側です。
写真の左側の道が八丁峠の八丁トンネル(1200m)に通じる道です。両神山に通じます。
トンネルから見た二子山(1166m)です。垂直の断崖が迫ってきます。
峠を下ると秩父小鹿野町。秩父市でお蕎麦屋さんにより定峰峠(600m)、白石峠(750m)を越えて帰宅しました。
3泊4日の墓参り、山の谷を尋ねる散策でした。
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