比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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2017中欧の旅・・・ハンガリー・・・ブダペスト紀行③・・・栄枯盛衰・・・ブダ王宮

2018-02-17 | 道を行く 海外 中欧・東欧
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

ヨーロッパの中のアジアの石といわれるハンガリ―・・・古来ハンガリーは多民族が侵入と衰退をくりかえしていた土地、紀元前1世紀にローマ帝国が支配、4世紀フン族(中央アジアステップ草原地帯の騎馬民族?)が席巻、5世紀アヴァール族(中央アジアの騎馬民族)の支配、フランク王国(ゲルマン人の部族)の支配、7世紀にウラル山脈の南麓地帯から移動をはじめたマジャル人が10世紀に国家を形成していきAD1000年に王位についたイシュヴァーン1世がキリスト教改宗宣言を行いハンガリー王国が建国。以来、オスマン帝国、ハプスブルグ帝國の支配の歴史はほぼ1946年まで・・・さらに旧ソヴィエト連邦支配の時代が・・・

ハンガリーの国名の由来・・・フン族の国フンガリーといわれるが俗説。マジャル人10部族…オノグル(10本の矢)がウンガールに変化、先頭にHがついてハンガールに・・・だそうです。
正式国名は・・・マジャロリサーク、英語表記はHungary、日本語表記はハンガリー。マジャル人95%、マジャル語98%、カソリック67%、プロテスタント系25%。マジャル人は幼児に蒙古斑がある、姓が名前の前にあることからモンゴロイド系といわるが学説的には定かではない。


首都ブダペスト・・・ドナウ川から中世の面影を残す王宮の丘・・・ブダ城(ブダ王宮)を見上げています。


1241年木造の砦はチンギスカンの孫バトゥ率いる蒙古西征軍により粉砕され、石造りで再建、14世紀ゴシック様式に改造、17世紀オスマン帝国により破壊、ハプスブルク朝により支配、19世紀火災により再建、20世紀第一次、二次大戦で破壊、1950年代に修復。国立美術館、ブダペスト歴史博物館、軍事歴史博物館などに。


ドナウ川に架かる白い吊橋は・・・エルジューベト橋・・・
ハンガリー王妃エルジェーベトの名を冠した橋・・・長さ378.6m、幅27.1m、1961年着工、1964年竣工。
※画像クリックで旧エルジューベト橋が・・・1898年着工、1903年竣工、1945年ドイツ軍の爆撃により破壊。写真はWikipedia より。
エルジューベト王妃(1837~1898年)・・・ドイツ、バイエルン家の次女に生まれ、16歳でオーストリアハプスブルグ朝の皇后、オーストリア・ハンガリー王国の王妃に。ドイツ語表記でエリーザベト、マジャル語表記でエルジューベト、日本ではエリザベートなどで表記。堅苦しいウイーンの宮廷から逃避して各地を旅し、中でもハンガリー王国のブダペストが特にお気に入りだったという。皇后、妻、母の座を放棄、逃避、自由奔放、狭量、尊大、権威主義、傲慢、浪費・・・評判は良くないが、君主制に否定的で、1867年ハプスブルグ朝がハンガリー王国に自治権を認めたのも、王妃が皇帝を説得したからだともいわれ、ハンガリーが独立国家に歩き出した礎を作った人としてハンガリー人に愛されているそうです。戯曲、映画、ミュージカル、テレビドラマなどでヒロインに。日本では宝塚歌劇で。
※撮影日は2017年7月27日。


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