・・・彩風人の写真帳・・・
青春18きっぷ・・・乗り鉄、駅鉄の旅です。今回はJR東海道線からJR飯田線、JR中央線を・・・コロナ禍戒厳令の出る前の三日間の急ぎ旅・・・
今日で3日目、最終日、豊橋から飯田線、中央本線で新宿まで500㎞に及ぶロングトラベル。
長い飯田線の旅を終えて飯田線の終着駅の辰野から列車はそのまま中央線に乗り入れて上り新宿方面に。
かつての蚕糸の都の岡谷、いまは光学、精密工業の岡谷・・・岡谷駅(岡谷市本町1丁目)・・・
岡谷駅前の風景・・・駅舎は1952年建替え竣工、2016年改修。天空に中央自動車道岡谷JCTから分岐した長野自動車道が見える。
1905年開業、JR東日本直接管理の駅長配置駅。1日の乗客数2019人。
駅待合室のブロンズは製糸工女をモチーフにした「平和のナイスミディ」像・・・岡谷市の象徴「生糸」を両手で抱えている。
1983年塩嶺トンネル完成により中央本線は塩尻、松本方面へは辰野経由せずに直接行けるようになり、飯田線との分岐駅になった。
1983年の塩嶺トンネル完成後の1985年作られた飯田線用の行き止まりホーム0番線。
単式ホーム1番線(停車している列車はJR中央線カラー211系1536M) 、島式ホーム1面2番線、3番線。
※撮影日は3月27日。
★岡谷市・・・1874年岡谷村他6ヶ村が合併して平野村に。1936年村から町を飛び越して岡谷市に、そのご5ヶ村を編入。人口47800人。明治、大正、昭和のはじめまでは全国屈指の製糸業の町。あの大戦のあとは光学、精密工業の町へと変換「東洋のスイス」といわれる。
簡易裁判所、検察庁、八十二銀行、長野銀行、諏訪信金、長野信金。市民病院、信州大学キャンパス、看護学校、県立高校3、私立高校1など。
★蚕糸の都の蚕糸の学校・・・1912年旧制平野村立農蚕学校→蚕糸学校→1922年県立諏訪蚕糸学校→1938年長野県立岡谷工業学校→1948年長野県立岡谷工業高等学校。
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『青春18きっぷの・・・中央本線の旅・・・製糸業から精密工業へ・・・岡谷駅』
以前、比企野さんのタイトル、長いな~・・・・と思って拝見していました。
最近は、私・縄文人のタイトルが意外と長くなってしまった。
ブログはどちらかと言えば、画像UPで、文章を完読される方は(熟読)は少ないと思われる。
タイトルで、全体・把握・理解。
いま改めて比企野さんのタイトルを解体してみましたら、
6何の原則の内➡4何原則
≪青春切符で、中央線岡谷の旅、駅は糸から精密に代わり≫。
これで大筋は理解・・・なるほどエキスバッチリ!!タイトルの意図していることががよく理解できました。
自ら、体験しているところです。
例えば駒ケ根市の生まれの人が、故郷の情報をネットでググる。
キーワードは「中央アルプス」「千畳敷」・・・そんな言葉をタイトルに散らばしておく。何気なく文字が目に入って、訪問してくる。
秩父情報、下町情報・・・しかりです。
タイトルはできるなら日本人の好きな七五調がイイ。
これはブログを始めるときに読んだハウツー本からの知恵です。
写真と文章と結婚式のスピーチとスカートは短いほうがイイ・・・これも真理です。
現在でも全国を股にかけ鉄道旅を続けておられるようで、その意欲、行動力に敬意を表します。
小生も立ち寄った駅、鉄路がありますがいずれも過去のこと、新鮮な駅舎、鉄道に楽しみを覚えます。
それと短いのがイイ
旅行記は私の分身です。キャプションは私。
飯田線は私のふるさと。廃線、廃駅にならないのが不思議ですが愛着を持って。
コメントありがとうございました。